東京博物館サイトによれば画中の泉石は藩主土井氏の名代として誓願寺に参拝した際の正装である。侍烏帽子、素奥、肩前両袖に家紋、平胸紐、帯刀。ネット検索するとこの装束は従6位の定めらしい。
蘭学者にして古河藩家老500石。
モーリス・メルロポンティ、彼が唱えた現象論とは有神論の構造主義に他ならない
鷹見泉石(渡辺崋山、国宝、東京国立博物館蔵)

泉石画の評「日本の肖像画の傑作の一つと見なされ、幕末の画では唯一国宝に指定されている......西洋式画法--陰影法と彩色法によって鮮やかに描き出されている」(ドナルド・キーン著渡辺崋山、新潮社発行、151頁から)
椿椿山作渡辺崋山像、田原市博物館蔵、国の重要文化財



肖像画の調和、光と影、表情と意志をにまとめた、伝源頼朝像(部分)
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年1月15日
 
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   書く苦しさ、絶対解は目の前に 2  (読み物) 2020年1月31日投稿

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モーツアルトが「フィガロの結婚」を作品にすると決めたのは、ボーマルシェの同名の戯曲に接した直後と伝わる。フィガロの婚約者は愛し可愛いスザンナ、結婚に立ちはだかる公爵。彼は中世の悪しき風習「初夜権」をタテに処女スザンナに交情を迫る。フィガロの機知で公爵をやりこめる筋立てを2管編成、4幕、幾つかのアリア多重唱を散りばめた。筋立ては耶蘇と封建領主支配が支配する中世に別れを告げる。アリアに重唱に自由市民の賛美する歌詞が入る。
近世に変わる、その思潮をモーツアルトが己の思考に取り入れた。

すると彼に、
序曲、アリア、重唱で歌われるメロディが自然に耳に湧いて聞こえてきた。なぜなら神がオペラの解、おそらくは一部分であろう、モーツアルトに耳打ちした。

五線譜を目の下にした。完全解は底に出来上がっているのだ。

そして、

神が造りたもうた音の重なりと和音の響きの流れる様をを苦心して、盗み聞いたら譜面に起こして作品と仕上げる。いわばそんな程度の単純作業が残るだけだ。しかしここに困難が顕れる。人は神に決して行き着かないのだ。だからそれで何とか、結構な近さにこはびりつくヒトだっている。
そんな努力をやり遂げる男こそ天才と世が語り継ぐ。

モーツアルトにしてその才能たるや、神から授かったほど完璧だけれど、イザ作曲せんと羽ペンを取って五線譜に四分音符をとりあえず書いて眺めて、それでも即座には、神が和音進行は見えなかった。それを曝こうと耳と心を研ぎすましての苦心の果てが幾日幾週、幾月にして身を削ったフィガロが出来上がった。

人類には彼を越える才能を持つ者はいないから、これ以上のフィガロなどは他のどの作曲家にだって作れない。人が楽しめる可能の限りの最高の「フィガロ」がモーツアルトなのだから、聞いて感動したら、その気分こそ神が与えてくれたと崇めたらよろしい。サリエリ(当時の宮廷作曲家)だったら着想でつまずき、メロディを聞き取れず和音進行に撥ね踊るドラマなどは書き込めず、神が授ける筈の完全解には及ばない凡庸な作品に終わっただろうに。モーツアルトは思想を抱いて作曲したが、サリエリはどっかの思想を借りて真似した。
(ハリウッド映画アマデウスが描く天才と普通人の構図)


しかしフィガロの初演で皇帝は、欠伸で背を伸ばして退席し、モーツアルトはさんざんな悪評を受けた。

もう一人の天才;

崋山が鷹見泉石に肖像画を依頼され、狩衣冠に正装した彼と浅草誓願寺にて対面した。崋山の心に何が跳梁したのだろうか。作品から探るしかない。

肖像ならば顔の全体、着衣帯刀の半身像が描かれている。後代の者がその半身像を前にして何やら異様を感じれば、それは漲る光であろう。半身の全様から光が発せられている。それは泉石のその時の生きる覇気であろうし、それを感じ取った崋山の受性ではなかろうか。今の世の使途にしても、その画に対峙しらた何やらに引き込まれる。そんな力の原点は泉石の意思であり作者の洞察であろう。
さらには;
画裏の奥に意思なる力の中心の核が存在し、発光の起点となって絹布を抜け、作風の光が放射している。

両の目に漲る光、何やらの異様さの正体はそこに漂う意志、彼の意思である。意思を思想と固め、崋山が作品とした。

そして;

絶対の解は崋山の目の前に座り、目を光らせた泉石の存在そのものであろうか。それならば写実に徹すれば神の解を得られる。
しかし小筆はその考えに与しない。物体としての泉石は創造の解ではない。崋山が温めた思想としての泉石が解なのだ。画にしたのは形態の泉石ではなく、崋山の頭に閃いた思想の泉石を崋山が画にしたのだ。


なお;

作品(国宝1837年、東京博物館所蔵)実物を目にしていない。一般公開はされるはずだが、その機会に浴していない。同館ホームサイトを眺めるのをもっぱらにするが、パソコンスクリーンからでも目玉の異様に圧倒される。

続く

 

 
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