文化維持に周期性が必要との説明にレヴィストロースは
同盟結成の周期性(本投稿の主題)の他、
(広い意味での)食事作法=漁労の年周期、オリオン座が知らせる=、収穫材の適宜消費、
月の満ち欠けと女の経血周期=これによって女が文化に取り込まれた=、
社会構成員の飽和(10を持って充満)による新たな社会の創設...などを上げている。いずれも神話学3,4巻の主題です。

蕃神
ボロロ族の村落(思想としての形状)。村は南北に2分割され、2の部として構成される。中央の楕円状は男屋、部にはそれぞれ4の支部を持つ。円形状に村内を囲む。
支部と部は「族外婚」、族としては「族内婚」の仕組みで婚姻が決まる。婚姻活動の周期性を保証する仕掛けである。
文化が創世され維持される「周期性」の仕組み写真クリックでPDFに
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年1月15日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
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サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
   Charivari大騒ぎ、周期性の遵守 ネットの炎上 2 (人類学) 2月31日 投稿
  (Charivari大騒ぎ 1 に戻る)
 
   

一方で、

こうした風潮(不倫を集団であげつらう騒動)を行き過ぎ「異常」とする主張も見かける。

コメントを拾うと「騒動は(昔は)すぐに鎮静化したが、今はネットで炎上してしまうため雪だるま式に話が大きくなる。芸能人にとっては生きにくく すると規模と継続性で今の時代は騒動が恐ろしいまでの規模になっている。「雪だるま」「炎上」などが出てくる。規模の増大が今風と言えるのか。「そもそも悪い事はその通りだから非難は受け止めるべきだ」と理解してしまう。昔から倫理原理主義だったのか、日本人は。

上例に限らずこの手の「不倫」騒動にはきっかけに一定の状況が読み取れる。突如として勃発、常に不同意が表明され、ねらい打ちされるは婚姻外交接。そして、

 

1    叩かれるのは未婚女、既婚男への叩きは申し訳程度。

2    婚姻外交接が人倫への冒涜である、「男の家庭を破壊するから」「妻が出ていった」などもっともらしい言い訳を付け加える。中世のウワナリ打ち(責められるは後妻)を彷彿させる。

3    突如「炎上」する背景にはサルトルの説くserialite連続性が、隠されながらもネット民に存在している。

これら3の表面観察からさらにその奥、なぜ規模、継続性がかくも増大しているのか?に入りこむ

古代の日蝕大騒ぎ、中世ウワナリ打ち、そして今も続く金目当て結婚を一つの原理に結びつけると、思想は「周期性」への固執です。周期性を破壊しかねない行為、現象に対する部族民の怖れが怒りに替わって表出した。 周期性とは何か?文化を創世し維持する原理です。

 

レヴィストロース著神話学全4巻(1の生と料理から4裸の男まで)は一貫して「文化」の形態と思想を、周期性とつなげて解き明かしている。創造は一人の英雄の行為に帰せられるが、肉付けとなる「形成、維持」は個の力量を越えている。族民全員を統制する制度、それは共同幻想ともイデオロギとも比せられるが、なにがしかの統一原理を産み出す必要がある。この原理が「周期性」であると主張している。

3巻「食事作法の起源」では「周期性の大三角形」を発表しているPDFをクリック、フランス語の原図を邦訳して作製した。その頂点を、周期性に安堵されて安定している同盟(婚姻)が占める。頂点の下の左右には左に近すぎる同盟、右に遠すぎる同盟を傅かせる。近すぎ遠すぎでは周期性を形成できない。

近すぎる同盟を先住民は近親婚と規定する。

日本、西欧などでは近親の定義が法にて規定され、それら間の結婚は認められない。理由付けに「遺伝子重複による人性、知能の劣化」を上げる。(遺伝子の概念はこうした法の整備後に出てきたので、曖昧に「遺伝」の劣化を想定していた)。日本では今も親子、叔父姪(叔母甥)の婚姻は許可されない。

近親婚が同盟継続を保証しない理由は、その閉塞性にある。ここではそれ以上を語らない、レヴィストロースも近親婚が同盟の周期性といかなる関係かには「親族の基本構造LaStructureElementairedelaParente]にて「交換」の社会原理からの派生を証明した。女を冨として「交換」する目的のために自家消費してはならない。納得がいく説明だ。

イトコは認められる。
日本も西欧もこれは同じ。また西欧にはcousins germainsゲルマンイトコなる規定があるが、両の父親母親が兄弟姉妹の関係である。この組み合わせは遺伝子的に血が濃いけれど、語の由来からしてゲルマン族からの風習なので認められるし、推奨されている。

「血の薄さ濃さ」を基準にして結婚の諾と非を決める地域(日欧など)と異なり、先住民は「近さ遠さ」を同盟形成の基準としている。近遠の意味は地理的距離もあるが制度として機能するかしないかを判定材料にしている。

南米アマゾニアに居住していたTucuna族が伝えるモンマネキ神話(食事作法の起源の基準神話、M354)では大洪水から一人生き残った(老母も残るが、婚姻対象ではない)モンマネキが、社会を形成しようと同盟形成に奔走する。けれどいずれも結成に至らない。理由は「周期性が担保できない」関係であったから。

地上のそこいら(近辺)で彼が見つけた相手とはカエル、トリ、上下分離式女のみでそれらは食事作法=食べる物自体、例えばカエルはムカデを好むから食事作法で遠すぎる。あるいは取得する方法(上下分離女の経血を撒き餌に用いる魚獲り法)で人の文化(=食事作法)と相容れない。「周期性」は形成できない。

アマゾン下流のWarrau族伝承のアサワコ神話(同書、M406)は遠すぎる例である。通過儀礼でカヌー下りを選んだ若者が、とある村で麗しきアサワコと出会う。愛を交わすが二人は結ばれない。遠すぎる(川下りの旅程では時間以上に距離は積もる)から周期性が確立できないのだ。周期性を保証する同盟への先住民の解は;

イトコ婚である。

ボロロ族(ブラジル・マトグロッソに居住)は村落を2の部、8の支族に分割して居住区域を円周の上に固定し、対抗する支族とのみ通婚する婚姻規則を持つ。自が所属する支族内での婚姻は「近親婚なので」あり得ず、対象から離れる他の支族との婚姻も(おそらく)厳禁されている。この制度ではイトコを強制しないが、同世代で婚姻するから相手がイトコとなる率は高い。

悲しき熱帯の記述では、レヴィストロース調査の時点で300人ほどのボロロ族は(盛期に3000人ほどの人口であった)。8の支族(clan)に分かれるから、一支族の構成員はかつては400人弱、さらに支族は3の階層(カースト)に分割されるから、婚姻可能な相手の支族カーストは人口でおおよそ130人ほど、女は幼女から老婆を入れて65人となる。この分母から、己に見合った適齢期の娘を捜し出す。

適齢期の娘を15~25歳として人数は20人には達しないであろうが、嫁とりは出来るだろうか。可能かも知れない、難しい若者も出てくるかも知れない。

若者一人が20人から選ぶのではなく、20人の若者が20の娘を選ぶ。となると、もし娘が(若者が)一人抜けたらワリを喰う若者、娘が出てくる。マトグロッソで勇猛を誇ったボロロ族、その盛期でもこの程度の狭い婚姻圏であった。さらにはこれら嫁、婿のプールから特定の誰かと誰かを結びつける細則があったのかも知れない。

それが厳格規制なのかおおまかな取り決めなのかにかかわらず、先住民において、誰と誰が結婚するとは、幼少から時に生まれる前からで決まっていた。

同盟から再同盟、再々同盟へとつなげる労力コストを可能な限り低廉に抑える仕組みである。婚姻を巡る周期性である。図の三角形の頂点の位置である。

 

文明国でもイトコ婚は同盟継続の手段であった。

英国でイトコ婚は奨励されており、ダーウィン家とウエッジウッド(陶業家)の通婚は知られている。フランスではノートルダム(ユーゴー作)でエスメラルダに懸想しながらも貧乏騎士が、裕福なイトコとの婚姻をまとめるために「ma cousine私のイトコよ」と甘く囁くシーンが印象的だ(囁き方がいかにも作為的で金目狙いと理解できる。ユーゴーの筆力である)。そして呼びかけとしてのmon cousin, ma cousine(私のイトコ)は婚約者の意味を持っていたとも知れる。アンドレジッドの「狭き門」はイトコ同士の悲恋譚である。

かつて、封建制の生活圏は村落共同体に閉じこめられていた。おのずと婚姻も狭い地域に規制され、それにまつわり、制度も規定されていた。何らかの仕組みイトコ婚なり部族内婚、支族外婚なりを確立することが、婚姻に基づく同盟の周期性を保証する手段である。

そうした風習が現在にも(20世紀初頭に)残っていたと思える。

 

しかし、往々にして規則破りが大手をふるう、

 

封建領主の婚姻権ごり押しか、高利貸しが金貨を撒いて若い村娘を拉致し嫁にするかも知れない。金、権力を持つ老人が村の嫁プールから一人を抜き取る構造である。すると結婚できない若者が一人出てくる。村落維持に欠かせない婚姻周期性を侵害する違反行為である。大騒ぎvacarmeはこうした不均衡婚姻に対する不同意で、その発生は突発的に自然に、まるで道路渋滞でいらつく運転者が一斉に警笛を鳴らす(パリで頻繁)大騒ぎと同じ原理、参加している者達のserialite連続性の確認である。

サルトルは「バス待ちの列」「サッカー場、観衆」に連続性が発生すると曰った。バスが遅れる、列に不満が高まる。一人が「資本家がバスを減らしたのだ」と不満を顕わにすると、そうだ!バス会社に抗議しようの怒りを皆が共有する。サッカーお気に入りチームが負けた。「オーナーが有力選手をクビにしたからだ」の扇動に続いて人々が石を投げる。

 

一方、今の日本、

ネットの参加者は不特定多数で匿名であるが、あたかも近隣の知り合いであるかに情報を交換している。親しい仮想を現実と錯覚してサイバー空間を構築しているのだ。

 

芸能人の「不倫」に対しての精神のブレと不同意、その複雑感情を共有するserialiteが今の日本のネット空間で発生している。そのエンジンは人の世の大昔からわだかまる周期性を取り崩す行為へのsharivari大騒ぎである。

心の深層には怖れ、怒りなど原始感情が潜在している。
思い遣り心遣いなどの多様性はそこに宿っていない。その根源は人々が自然の不順、変異に対して怖れ、そして怒りで対応していた原初心理の名残である。村社会、そしてそれ以前のバンド放浪時代に培った原理とは、社会を存続するための近親婚の排除であり、歳の差の離れた婚姻の否定である。
「周期性」に貢献しない婚姻を怒りから否定するのである。

突然、大昔の倫理を思い起こし倫理原理主義に立ち戻って、婚外は不倫だと否定反応を顕わにしてネットで大騒ぎする。

 

V嬢の悲劇、清純派の試練、これら以外にも「不倫」報道はネットを賑わしている。その度の大騒ぎは最新技術のネット空間で、人類最古の倫理原理、周期性の遵守が噴き上がった現象と思える。

♪さようなら今日限り、愛ちゃんは太郎の嫁になる♪
太郎家は豪族、村の嫁プールから別嬪愛ちゃんを引き抜いた。ワリを喰らった「おいら」は出しゃばりオヨネ(取り持ち役)を憎む。鈴木三重子唄、1956年大ヒット。



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