駒と馬
辞書(広辞苑)では駒とは乗用馬であるとされる。その昔、馬に乗るのは貴人か武人に限られた。馬の中から体型優位の雄を選び乗用、戦用とした。齢若くから選ぶから同時に若い馬の意にもつながる。

言い伝えや古謡では駒の本意を謳いに残す。那須大八が平家落人椎葉を巡回する様は胴丸小大刀の駒乗りであった。
鶴富姫が大八に逢うため抜け出る言い訳は「駒に水やりょと」出ませ(宮崎椎葉稗つき節)。
那須与一が舟の扇に矢を射た時に立ったのは「駒立岩」(=高松市字牟礼の言い伝え)

馬は選別から外れた劣等級。
荷を運ぶを駄馬、田を耕すを「代馬」(白と当てるも代掻き馬)
代掻きを着飾っても駒にはならない、馬は馬のまま(岩手農村のチャグチャグ馬こ)。



馬ながら仕立ては駒、年に一度のハレの日の子供乗馬だから許されたのか。定家歌の駒の様を想像してください。写真は滝沢市観光協会HPから(この写真個体はアジア系和種ではない、明治期に改良された馬であろう)
 部族民通信ホームページ 投稿6月30日   開設元年6月10日 更新
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  日は数え月を読む 2 了 (読み物) 一部に飛ぶ  渡来部
須万男の寄稿
   

「日は数え月を読む一部」の万葉集歌引用の浪漫雰囲気から一転し、「構造主義」の論旨に基づいて尽き読み、妻問いを考察してみよう。

これら歌を読み進むにつれ釈然とはしない。歌の訴えがあまりにも定型化しているからです。

その定型とは

1 女は月の出を待っている、今夜は来ないならば明日の夜には必ずと男を待つ。

2 女は月の明かりを見て泣く。逢い引きに良い月夜なのに(あなたは)来てくれないのねと。「あの人はもう来ない、袖は濡れたままで乾かない」梅雨の洗濯物となるパターンが多い。

3 男の歌では「用が出来ちゃって行けなくなった。それにしても今晩は問い行に最高の月になった、さぞかしあの子が嘆いていることか」が多い。これは2の裏返しです。

4 嫌よと女が振る、振られ男が泣きわめく。近所の老婆なんかに見つかって噂になる。こうしたネガティブ系はありません。

(以上はあくまで素人の感触です、正しい展開とは全歌を吟味解析して統計をとる。しかしこの分野(万葉集)には専門家がいるので、部族民は遠慮する)

歌作りが定型化している背景を突き詰めているうちに、妻問いの歌とは実体験を詠っていない。願望、あるいは社会がかくあれと決めた定型、ステレオタイプを歌にしただけではないかと疑いました。ひねくり回しの歌詠みでしょうか。

 

題詠という和歌の分野があります。また本歌取り(なりすまし技法)も後世(新古今あたりか)は盛んです。いずれも実体験にはよらずその状景、場面に歌人が入り込み、あたかもその人物に成りきって詠う。架空の歌状景です。例として一首あげる;

 

♪駒止めて袖打ち払う陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮れ♪

 

「駒」とは貴人あるいは高位の武人が乗る馬、若い馬、美しく飾り立てられる駿馬。駒と聞けば(平安時期には)乗る者の華麗さをも思い浮かべる。袖を打ち払うのは雅な貴人、狩衣、太刀、冠には山鳥尾羽を着していた(想像含む)。佐野を和歌山新宮とするが解釈らしいが、小筆は上野(群馬)の佐野(高崎市)の舟渡しの場と古文で習い、それと信じていたし。状景は雪景色なので今もそう思う。和歌山には雪は似合わないと勝手解釈している。

一面の雪、渡し場の舟列も雪に隠れる、渡し守は見えない。駒の一騎、そに乗る貴人の肩に積もる白雪をしのぐ木陰すら見えない。白一色の雪景色から抜け出る雅人の華麗な旅姿が浮かぶ。そんな状景です。

長忌寸奥麻呂の本歌(下に引用)は雨に打たれる、そちらは実体験であろう。しかし歌の品格としては定家に軍配は上がる。しかし彼が駒を駆り、都から上野佐野に遠乗りして名物の渡しで雪に狩衣をぬらした経験はない。

(苦しくも降り来る雨か
の崎狭野の渡りに家もあらなくに ネット採取)

なりすまし、あるいは本歌取りは技巧に偏り、(素人意見ながら)歌技法としては退廃している。タイハ...は語意が強いかな、円熟しているとするか。それがすでに万葉に時代(成立は西暦800年以前)に一般化していたのではないかと疑う。すると巻頭の雄略天皇の御歌と大神神社の縁起(古事記での一挿話)の意味が分かってきた。

 

レヴィストロース(哲学・社会人類学、1909~2009年、構造主義の旗手)は「悲しき熱帯」(Tristes Tropiques)でサンタクロース伝説を取り上げ興味深い分析を見せている(生者と死者=les vivants et les morts, 23章、ポケット版P283)。サンタクロースを信じる側(子供)と仕掛ける側(親など社会)の対峙(Dualite)を持ち込み、この対峙が「社会の維持」であるとしている。

まず、信じる心の仕組みをCredulite,Naivete=信じやすさ=としている。この心情は子供にのみ現れる仕組みではない。途方もない信仰や慣習をもつ未開人、例えば部族の全財産を消費して、隣の別部族に贈り物を届けるなど(アメリカ原住民に拡がっていたポトラッチ)。贈り物を届けることで酋長の名誉が保たれると(たわいもなく)信じていた。数々の民族誌に記載されるこうした先住民の慣習を例に挙げ、これもCreduliteであるとした。

辞書を開けば
Creduliteはスタンダード辞書では「軽信」とやや否定的に説明しているが、フランス語では否定語感はつきまとわず不確かな土台にもかかわらず信じてしまう「広い」心(Robert)としている。寛容さgenerosite「おおらかさ、天真爛漫」が含意される。

サンタクロース神話とは;

夜中にトナカイの橇で空中を旅し、(君にプレゼントするため)煙突から入り込むという(子供心にも)およそあり得ない話を信じる心を大事とする。この信じやすさを「物事の道理を知らない幼稚さ」と切り捨てていない事実がある。純真さそして寛容が「社会構造」に不可欠。
一節の拙訳をここに引用する:

彼ら(子供)の熱中を目にすると私たちまで熱くなる。信じてしまうほどだ。この天真爛漫さが、寛大(generosite)とは世の現実と相反していないと我々も気付く。(同P283

親と子の立ち位置の関係は家族基盤であり、それは社会構造の基礎であります。子供の信心(credulite)と親の現実主義が共感し、互いの居場所を確認しあう。親子の対峙が寛大を媒体して思いやりとして反映され、家の維持に役立つ。サンタへの熱中を目にすると私たちまで熱くなるはあっさりとした記述ですが構造主義なりの分析(思想のサンタcreduliteに対する形体のサンタgenerosite)をしっかり表す数行と言えます。

 

さて、万葉集に戻る。

妻問い月待ちの歌に帯びる真摯に感動する一方、ステレオタイプ化していると小筆は気付いた(前述)。

決して「実体験」ではなく「妻問い」はかくあれと希求している男女歌人の願いではないかと。門脇に、道端石に座り待ち、人を焦がれる女の姿こそ、必ずどこかで(私ではないけどそのうちに)よき妹が実践しているし、月の夜道を息せき切る男への思い遣りだって(私には無理だけれど)かくも真剣に実行されているのだ。
この情けの源が信じやすさ
Creduliteではないかと思う。

妻問いの歌は、一の歌にも実体験から詠まれた歌では無く、全てがかくあるべきの心情の「信じやすさ」を胸に秘めて詠まれたのだと感じ入る次第です。

愛しい恋人よ、私を待っていておくれ、私を待つとは月の上りを待つのだよ。今日は17夜だから、日が沈んで追っつけ月が上るから、門の脇で立っていておくれよーこのように信じれば、真偽はともかく波風は男女に立たない。

そして分かった。

なぜ雄略天皇の♪こもよみこも持ち…♪が巻頭に置かれたのか、そして大神神社の縁起(=古事記)で神社の主が美しい若者だったのも、それぞれが、そうした状況の中に思想が潜ませ、思想とは状況を篩い分けの濾過機構でもって、登場するおのおのを脱脂還元し、ひたすら美化している純粋培養に他ならない。いわば至高を歌に詠むロマン主義極点の「理想」がこれら月読み万葉に表現されている。

  

妻問いの相方(七生落の)明子チャンは、夕暮れを迎えると通い兄子(セコ、恋人)の南平郷のヨッチャンを「いまかいまかと待つ」らしい。ヨッチャンが通えない夜には明子チャンは「濡らす袖の乾く間もないほど恋いこがれているようだ。妻問いに最適の月の塩梅が16とか17,18夜に、ヨッチャンが別の用事で来ないとなったら「月め失せろ、闇夜たれと呪っちゃう」までに混乱するらしい。

雑感

万葉の歌人が詠う娘さんはかくもスッゴーク純情。けれどそんな女の純情さなんて、どうにも頭と首を共にひねってもあり得ない。そもそも男女の仲は騙しあい、引っ張り押しつけの駆け引きが基本だから、万葉の代のみに妻問い「エデンの園」が実現したとは思えない。しかしエデン園をこれほどに歌に寄せた時代は他に無かった。

 

雑感続き

114日土曜日(2017年)、部族民は所用で外出、帰りに駅を下りたのは20時を過ぎました。帰宅の途中、夜道の左手が東、小さな丘陵にコナラハリエンジュなど雑木に被われ、それぞれが枝を横に縦に伸ばしています。そして、上り始めた月の明かりのまばゆさに目が驚きました。月よ木々の隠れを抜けろ。最後の一句は

♪妹が目の見まく欲しけく夕闇の

         木の葉隠れる月待つごとし♪(112666

拙解釈:(七生落の明子ちゃんよ)木の枝にいまだ隠れるこの月を門立ちして待ってくれて欲しいな、(南平郷のヨッチャンが)月が抜けたら向かうところだから。

いざよいながら待つ明子チャンは門の内、月の齢は15.7夜でした。了