新大陸神話では月は女性と結びつけられる。北米プレーンズに住むArapaho族とっておき美形の少女が月に拐かされた。



ネット採取のアラパホ少女の写真、天上世界で文化(調理と什器)を学んだ人類の恩人は、きっと彼女似のおてんばだっただろう。



南米での月と女の結びつきは、月の障りを介しての女に規則性を与え、文化への帰順を主題にしている(酋長)

額田王の作風は「茜指す紫野行き...」にあるよう、すっきりとした叙情を風合いとしている。左引用の叙事歌とは趣きが異なる。叙情も叙事もお手の物、それが歌人と云うやも知れず、よって彼女の作とする説に従った。
画は記念切手から。


雄略天皇ワカタケルに比定される倭王武が宋に遣使したのは477年、日本書紀では勇猛な大王と記録される。一方万葉集巻頭第一首(左引用)により、ナンパ士本邦第一号の栄誉を古くからモノにしている。

この絵と「こもよ...」はイメージが合致しない。
絵はネットから(吟光画)
 部族民通信ホームページ投稿6月30日   開設元年6月10日 
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本稿は(上の面)渡来部
須万男の寄稿
   日は数え月を読む 1 (読み物)   サイト主宰・蕃神(ハカミ)
   

空にさまよう月、いつも一人、ならば数えない。闇に沈む人はその戻りをひたすら待つ。(本稿は201712月にGooBlogに投稿、20196月に加筆)

♪熟田津に船乗りせむと月待てば潮ひもかないぬ今は漕ぎいでな♪

 

万葉集、額田王の作と伝わる。熟田津は今の愛媛県松山市。斉明帝御親征に大兄王子らを伴いに投錨した(661Wikipedia)。

汐満ちに舟は上り汐の止まりに泊る。兵を乗せ、汐をよみ港を出る。「かなう」は「予想が望み通りになる」である。しおひ=潮干=は引き汐、満ちも引きを汐を招くは月、西に傾く手前で潮干が始まる。朔か満月ならば汐の流れも急となり、港を一気にかけ下り内海に舟を導く。しかし必ずしも、期待道理に発生するとは限らない。故に月を読む。そして戦はじめのこの夜の月読みはかなおうか、かなわなければ先が危うい。

 

海人頭は澪筋をじっと見つめる。引き目のハナ、その証がザザに流れる乱れ波紋。月の沈みは傾げる光、その海面が崩れるかかに渦を巻く。ひたすらその証し、言葉もなく待つ。

高止まりに荷駄は積み終えた。甲板には槍と盾の立ちふすま、甲冑こしらえの屈強な防人兵士が座り込み、剣を抱くも皆、押し黙る。艫には漕ぎ手、櫓を押立て水面をにらむ。それら幾十もの舟を内海に、そして一気に海峡にまで押し出すには満月の潮干に乗らねばならぬ。

月が大分、西に傾いた、おっつけ始まる。澪を睨む頭の口が大きく開いた「漕ぎ出せ」。待ち望んだ強者共の剣叩き、幾度も槍が空を抜き盾がうなる。兵ども歓声グーッオが港中に響いた。

この歌は叙事詩である。

 

船頭に「引きは何時始まるか」尋ねても「分からない」が答え。釣り遊びならばこの返答が通る。

しかし兵士達を乗せて「あとは引き汐任せ、出が何時かは分からない」で軍はまとめられない。潮の上げ下げその止まり。月の高さと汐カッ飛びの速さを熟知する者達、海人族の介在が読み取れる。汐を待つ「月読み」の深さが推察できよう。

 

人は多く内陸に住む、潮の満ち引きは陸の生き様と関わりを持たない。山間、谷間、村落に住む者は月に何を読むか。

 

満月前の呼称。

朔(生まれ変わる、新しい)、二日月(繊月とも)、三日月(眉)、上弦(弓張り)、十三夜、小望月、望月(満月)と呼ばれる。すべて月の形状を伝える。しかし満月を境にして月の呼称が様変わりする。

 

満月の翌、

十六夜(いざよい)月、立ち待ち(17夜)、居待ち(18)、寝待ち(臥し待ち19)、更け待ち(20夜)と続く。これら呼称は人が月を「待つ」行動を月の齢に言い換えている。2122夜は伝わらず、23夜以降は下弦、25夜は有明、30夜は晦日、満月前と同じに月の形状に戻る。

十六夜(いざよい)は地平から出てこない「月の思わせぶりな行動である」の解釈が一般である。いざようは「人」と筆者は考える。それと知れば二十夜までが「人が何かを待つ姿」を表しこれを月齢に言い換えしている。これが呼称の一貫性、辻褄があう。そして2夜の沈黙、また月の姿に戻る。

呼称の様変わり、月が何を意味しているのか。

 

朔は見えないけど2夜月(眉)から満月まで、夕暮れには天空に顔を見せている。待たずに見える月だから、出を読む必要はない。標準時明石での4月の満月の出は1840分、日没は1825分。日没に比べ月の出は遅いが、西に残照が続くから夕暮れではない。とっぷりと暮れた頃には東から、月が明るく顔を出しているから満月にしてもその出を待たない、読まない。読まぬとなれば天空に浮かぶ姿で齢を表す。女の歳を立ち姿で推量する視覚則と同一です。

 

一夜おいての十六夜、その出は1933分。日没は一日の隔たりでは差が無いから1825分あたり。小一時間の差に隔たるから、夕が暮れてもまだ月は出ていない。冬ならその時差と分差はより長い。まだ月が浮かばない、日に去られたこの地が闇に閉ざされる。

でも16夜、今夜はおっつけ出てくる。そのはずならば待つ人が、一刻いざよう。いざようその場は軒下、庭先。ちょっとの間だから外に出てまでいざよう真似などせまい。「それでも月よ、早く出ておくれと」待つ人はうろつく。

十七夜以降は闇が長くなる、それだけ待ちが辛くなる。17夜は月の出は2027分、182120分、192212分、202302分となる

 

17夜、「立ち待ち月」と伝わる。

闇を嫌い月の明かりを待つ人が「それほどには遅く無い」と月読みし門脇に立つ。立ち待ちしばし、東が明るみ「やっと明かりが差し込んだ」。

その翌夜、闇は昨夜よりは長いから立つままは疲れる、門脇から先に出て道端石に腰掛ける。月が無いうちに来ないと知るが、ここで待てば来る人の急ぐ影が真っ先に分かる。これが「居待ち」。次の晩は外に出たとて長待ちになるから気だけがせいる、布団にくるまって「寝待ち」。その次は待ちくたびれて寝入ってしまい、夜更けにはね起きたけれど、まだ月は出ていない。これが20夜の辛い更け待ち。

21夜はいつまで待っても月は出ないから、ふてくされ寝しちゃう「くされ待ち」。22夜は今頃来たってもう遅い「見限り待ち」。

おっと21,22夜、こんな待ちは伝わらない。20夜の更け待ちで「月待ち」はお仕舞いです。

 

人は何故月を待つのか。妻問いと小筆は答える。

万葉の古代、中世、人は夜には出歩かない。夜に訪問する、面会する風習を庶民は持たない。あえて語れば夜討ち、夜の合戦が絵巻物に伝わるが、庶民とは別の事情。一の例外が「妻問い」。

夜は暗い。闇夜には動けない。月夜には足元が見えるから、通い慣れた道ならば目指す落、その内の一屋に辿り着ける。通いの夜の頼りは月明かり。男も女も月を読み逢瀬を待ち望む。月読みは色恋の習いでした。

 

提灯と蝋燭もてば闇夜も安心、これは正しい。

中世以前は蜜蝋である。国内生産はなく唐宋からの輸入頼りで高価であった。皇室、主殿寮が管理すべき貴重物として「燈、燭」などの記載がある。この燭が蝋燭だった(以上はWiki仕入れ)。ハゼから蝋を採取したと聞くが江戸中期以降、そのハゼ蝋にしても高価だったと聞く。

松明、篝火に適した生松枝を村民、庶民はいたずらに採取できないし、手に入れた処で、松明をめらめら焚いて妻問いをかける不調法者はいません。断られるは必定です。

高貴諸雑を問わず妻問いは人に知られず灯りなし、月夜に通うが礼儀です。

 

雑感1:昨夜(某年1230日)、12時過ぎに夜の塩梅を確かめようと庭に出た。月は見えない、25夜だから2時過ぎに月は昇る。夜目にも白く空高く雲が靡いていました。月の先走り、まだ出ぬ月の照らしが雲を白くした。この夜の白雲の下なれば、森を抜け峠を越せるか、25夜でも問いを敢行したのか。

万葉人の月待ちの心境に思いを巡らせた。

 

疑問が湧く、

「月の出は天体現象、前もって今夜は何時にと予測出来る。昨夜の月の出の時間から、今夜の出を類推できる、一夜で一時間ほどのズレ。古代人だって天文現象に気付いているから、日没から幾刻の後とすればうろつき、立ち歩きやふて寝、居直りは考えられない」。

今の時間制、標準時と絶対時間に浸かった現代人の感想である。

江戸時代までは夕を暮れ六(ムツ)、明けを暁(あけ)六として、昼夜を六等分していた。不定時法の時制である。冬は夜の刻(トキ、春分秋分の夜であれば2時間)が長く昼のそれは短い。夏は正反対である。時を刻と書いたが、これは相対時間であるために時と区別した。

暁暮れに関係なく一日を十二等分する定時法も併用されていたとも聞くが、天文方など絶対時間を必要とする機関での利用と推察する。そもそも定時法の基準となる時計など誰も持ち合わせていない、和時計なるは刻、すなわち不定時を刻む特殊な時計である。

万葉の古来、日本では不定時法が生活に根ざしていた。

 

古代中世人の感覚で日没、月の出をなぞると、

日が沈んだ(暮れ六)、今夜は十六夜、月の出は近い(十二月で日没と月の出の隔たりは一時間半ほど、六月では三十分。2016年の気象庁記録、明石基準)。この三十分、一時間半を庶民は計れない。十六夜なればおおよそ見当はつくから、イザヨウだけで刻をしのげる。しかし十七夜以降は二時間を過ぎるから、計測はお手上げ。ひたすら待つ。

宵の明星が出ていれば上がりの具合を見て、それが傾くまでが三十分、あるいは一時間と推量が付くから、落ち着き待てるとなるが。その推量の機会が不確かである。正しく計るのは六分儀を持ち出して水平をとって角度を測り、頃合いを見て再度測って、時間の経過を知る。人を待つ女はこの作業をしません。さらに宵の明星は常に出ているとは限らず、出ていても1時間を超す滞空は少ない(金星と太陽の離角度はさほど大きくない)。

時間の長さを身体で計る。そして身体には常に精神が影響する、心が「早く上がれ」と望むほど焦る。待ちの長さと焦りの度合いが正比例する。うろつき、立ち居、仮寝、ふて寝…時間差毎に身体の焦がれも昂進する。

 

月を待つのは女、男は女屋(産屋ウブヤとも伝わる)に通う。妻問の実体が古事記に記述されている。神社の縁起から。

>美しい乙女活玉依姫(いくたまよりひめ)のもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体大物主大神であり<

(大神神社のHPから転載)縁起は妻問いでした、おおらかな時代だった)

 

万葉集の巻頭、雄略天皇の句とされる

♪籠もよみ籠もちふくしもよみふくし持ちこの岡に~家のらさね名のらさね♪(部分)

野良で娘を見初めた男(大王)が、何処に住むの、名はと迫っている。娘が「私のコト関心あるの、私はね、泊瀬村の朝倉郷に住むヨシコちゃん」と答えれば女が受け入れる証し。「じゃあ今夜」で妻問いが成立する。大王が月読みするとその夜は十七夜、暮れてから一刻半ほどに月の出。奈良県桜井市から朝倉郷へ灯りを持たずに、森を抜けて峠を越して美子ちゃんちを目指す。ああ、やっと着いた。したら美子ちゃんが門脇に立ち待ちで待っていた。

大和朝廷の征服と殺戮の冷血大王、ワカタケル雄略天皇の御歌は万葉集の巻頭の一句。それは軟派行為の濫觴でもあった。

 

月を詠んだ歌を幾首かあげます。月読みと妻問いの視点からそれら解釈する。万葉人の月夜宇宙が広がりそうだ:

 

♪月読みの光に来ませあしひきの山きへなりて

                   遠からなくに♪(4670湯原王と伝わる)

拙訳:月を読んで、足下明かりが確かになってから来てくださいませ。山を越すとしても夜道も遠くはありませんから。

王が待つ妻の気持ちになって詠んだ歌。いつ頃の月を詠んだのだろうか。寝待ちなら19夜、遅い月の出にも私は焦りませんわ。優しさがこもる。5歳年上の熱い情けを感じるは誰だろう?

 

♪照る月を闇に見なして泣く涙

           衣濡らしつ干す人なしに♪(690

拙訳:月が照っている、妻問いには最高の明かりなのに私には人が通わぬ闇の夜。何故って、かのお方はやってこない、心が闇になってしまったのよ。涙で濡れた衣を乾かすあの方はもう来ないのよ。

 

♪ぬばたまのその夜の月夜今日までに

        我は忘れず問いなくし思えば♪(702 河内百枝娘子)

拙訳:あなたが来た(問いに訪れた)あの月夜を忘れていません、もうあなたは来ないのですから。

ぬばたまは月の枕詞、この語にはことさら煌々とした月を小筆は思い浮かべる。となればこれはイザヨイか立ち待ちの月であろう。月明かりの晴れ晴れしさともはや妻問いされない女の寂しさを対比させている。

 

♪夕闇は道たずたずし月まちて行(いで)ませ

我が背子その間にも見む♪(709 豊前国娘子大宅女)

拙訳:夕になった途端はまだ闇ですから道は難儀します。月の出を待って「出でませ」私、門に出て大事なあなたを待ちますわ。 

立ち待ちの月か。「その間」は、あのあたりで見えてくるとの意。岩波の文学大系では「帰るのは月が出てからにしてね」と注釈するが、すると「背子殿は昼来て夜帰る」になる。妻問いは夜這いの源流なのでこれはない。行ませを「いでませ」と読めば、月が出てから来てねとなる、妻問いの正統です。

 

♪み空行く月の光にただ一目

相みし人の夢にし見ゆる♪(710 安都扉娘子)

拙訳:読んでの通りの意なので解釈しないが、「月の光」が効いている。これで妻問いがあったのだ、しかし一回だけだった、その後、幾月幾年、今でもあの月あのお方を思い出しているのよ。「月の光」の意がずばり逢い引きに喩えられている、換喩の修辞。

もう一首、

♪この月のここに至れば今かとも

          妹が出で立ち待ちつつあらむ♪(1078)

拙訳:月があの高さになっているから私が道のり途中だと分かっている、妹(イモ、妻問い相手)は門に立って今か今かと待っているだろうな。

男は月の出で出立した。登り具合が時間の経過、立ち待ちの月をそのまま歌にした感があります。

 

拾い読みするだけでも、月と妻通いを結びつける歌を万葉集に多く見つけられる。岩波の古典全集の解説も両者を結びつけるが、結び付けの様はあっさりとしている。

十六夜から更け待ち月(20夜)までが妻問い頃合いとなる。その理由は既述したが、追として述べる。満月までは日没と同時に月が出ている。夕暮れが明るいから人々の活動もそれなりに頻繁。うっかり「月の明かりもいい塩梅」と妻問いしたら近在の老婆に見つかってしまう。一旦の闇にとぎれて人が皆,屋にこもる夕べの端、夜半に出れば人の目が避けられる。さらには、満月前の月も夜更けには、頃合いの明かりとなるがこれらの齢は入りが早い。せっかくの逢瀬が短い。

月明かりが不可欠要素であるけれど風雨、雲のたれ込めで闇夜になったら、月読みはせっかくでも夜道は踏めません。百夜通いの九十九夜目の大雪に身ごとつぶされ、憂き目の凍死にあったが深草少将。その切迫感を万葉の読み手は胸に秘める。それだけに日より月より、静かな夜がいかほどに、男に女に待ち望まれたか。上引用幾つかの歌、女情けに触れたれば焦がれほどが熱さに打たれる。

月読みの内に隠れる願いと嘆き、喜びあれば諦め悔やみも、歌は31語に籠められる。男が試練は夜道の渡り、女に強いる月夜の長待ち。妻問いの喜びそして緊張を万葉集に読んだ。この月読み心を共有するのが万葉理解への近道と小筆は考えております。

一部の終わり

 

 

 
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