葬儀準備の
ボロロ族民
 
ボロロ社会を
覆う緊張、
根源に社会
システムの
単方向性が
(財産権の女系固定、祭祀の女性排除など)
潜むと
レヴィストロース
が見抜いた。

これが
ボロロ神話
のオドロしさ
(母子
姦淫、父親殺し、
他族殲滅)
につながる



ご夫妻
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レヴィストロースの訪日と預言をまとめた

 部族民通信ホームページ   開設 令和元年5月20日 更新
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 酋長   悲しき熱帯の真実 3 最終 
 
意識を持つ死者を利用する社会
 
弱気のレヴィストロース
 蕃神
   

順は逆になったが1、認識するする死体(le mort reconnaissant)へのボロロ思想とは;

ils (animaux) appartiennent pour partie au monde des hommes, surtout en ce qui concerne les poissons et les oiseaux, tandis que certains animaux terrestres relevent de l’univers physique. Ainsi les Bororo considerent-ils , que leur forme humaine est transitoire : entre celle d’un poisson st celle de l’arara ( sous l’apparence duquel ils finiront leur cycle de transmigration). Si la pensee des Bororo (pareils en cera aux etshnographes ) est dominee par une opposition fondamentale entre nature et culture...>

訳; 小動物および全ての魚と鳥は人間世界に所属する。しかし地に棲む幾種かの動物は物質(自然)界に属する。ボロロ族男の生きる今は人としての形であるが、魚と金剛インコの間の、仮の姿でしかないと考えている。ボロロ族の思考、民族誌学の先達もそのように解釈しているのだが、根底に文化と自然の対立があるとすれば....

 

文化と自然の対向を考えの根本にボロロ族は置く。

人間界は村落、田畑に限定されず動物、魚、鳥も含めた(西欧感覚から判断しての)自然の領域に広がる。自然界は(大型)動物、それらが棲む奥深い山川、森で構成される。そして霊が自然と文化を行き来する。それは魚霊として生まれ、転生し人に取り憑き、後にインコに変わる。この転生する実体は何か。レヴィストロースはそれをame=霊と教える。



写真はボロロの葬式(レヴィストロース著作から)男のみで追悼する。呪術師Bariが葉を全身にかぶって死霊を装う。腰蓑を着用する縁者(左)
民族、部族の多くは「霊とは人の霊、取り憑いている人の分身」と捉えている。日本人では菅原道真が憤怒のあまり霊に化け人間界に悪さしても、その霊の心と姿は道真の憤怒版そのもの、すなわち個体の変節はない。

bari、全身を葉でくるみ死霊を装う(同出典)

一方でボロロ族の霊への信心はそこにない。

生きている間は身体に潜み、死んだら抜け出てインコに取り憑く霊は「人の霊」でも「インコの霊」でもない。人に取り憑くけれどその人と同体となるわけでなく、別体のアルターエゴ(もう一人の己)でもない。人が死んだら離反して、借宿の主人などすぐに忘れる。

故に、取り憑いた人が死んでモノに果てても霊は自らの意識を保ったままインコに姿を借りてあの世(自然)に生きる。転生する主体はこの霊である。

一時を生きるボロロ人は背に憑いた霊にすがり、考えて動いて死に臨む。これまでと諦め死骸となればモノに果てる。霊は取り憑き主をインコに鞍替えして自然に生きる。

雄大にして虚無、これがボロロ族の生死観です(あくまで小筆の理解です、レヴィストロースは詳細を語っていない。故に語の意味、文と行のつながりを解釈すると上記にまとまる。オーバー解釈であるとの指摘をいただいたら甘受するしかない)。

この霊は1の意識を保ち人間界と契約する霊です。

 

しかし自然に入ったインコの霊、その他諸々のあの世の霊とBororoは語り合えない。bariが仲介に出てくる。

Les bari forment une categorie speciale d’etres humains qui n’appartiennent completement ni a l’univers physique, ni au monde social, mais dont le role est d’etablir une mediation entre les deux regnes>272頁)

訳;bariは人間ではあるものの特別な範疇に属し、物質宇宙に完全には帰せずといって社会世界に属している訳でもない。両の世界を結ぶ役割を担うのだ。

(物質宇宙(univers physique)を自然nature、社会世界monde socialを文化cultureと言い換えれば理解は易しい)

Le bari est un personnage asocial. Le lien personnel qui l’unit un ou plusiers esprits lui confere des privileges ; aide surnaturelle quand il part pour une expedition de chasse solitaire, pouvoir de se transformer en bete, et la connaissance des maladies ainsi que des dons prophetiques.>273頁)

訳;bari、その人格は反社会である。一のあるいは複数の精霊(esprit)と結びつき特権を享受している。超自然(surnaturelle)の加護を受けるので、獣に化けて狩りに出て収穫をあげるのはお手の物、病の知識、預言者としての警鐘も受け持つ。(ここでのasocial「反」社会は「反逆」ではなく社会から離れる、対峙するととらえたい。辞書には第3義としてpersonne qui n’est pas integree a la societe とあるGR

自然からの恩寵がbariを通じ人に授けられる。それらを整理すると;

1    bariが狩りでると獲物がごっそり

2    疾病を診断し(おそらく)治癒

3    自然現象、報せは災厄か警鐘かの預言

 

Le gibier tue a la chasse, les premieres recoltes des jardins sont impropres a la consommation tant qu’il n’en a pas recu sa part. Celle-ci constitue le mori du par les vivants aux esprits des morts ; elle joue donc, dans le syteme, un role symetrique et inverse de celui de la chasse dont j’ai parle>(273)

訳;狩りの獲物と初めての収穫は、その分け前(bariの分)を取るまでは食してはならない。この分け前はmori=生きる者が持つ自然に対する債権=と反対にある。

注釈;自然へ突きつけた債権がmori。一方、人が平素、狩る獲物や収穫は(自然からの収奪であるから)自然文化の仲介者bariが堪能するまで消費の対象にしてはならない。(霊前のお供えだが、bariは実際に食する)

Mystifies par la logique de leur systeme, les indigenes ne le sont-ils pas aussi autrement ?>自分たちの(虚構)システムにより煙に巻かれた先住民達に別の選択は無かったのだろうか。(虚構は訳者の加筆)

システムとは村落の構造、社会制度、言い伝え神話などが強制する心理など幅広い。文化を形成する総体と取れる。ボロロのシステムなるは前述している。おさらいになるが;

社会構成;村落が2分割され(部)、さらに各4分割(支族)されている分節構造。

婚姻;男は母親の部、支族に属する。婚姻の相手は対抗する部、特定の支族、同じカーストの娘と決まる。

身分;男は父親と息子が別の部に属す。

所有形態;家屋、畑地、什器家具の一切は女の所有物。

信仰;憑依していた霊はあの世(自然)に転生する。霊の踊りなる儀式を、死者が出たときに司る。女は生きて死ぬのみ。死んだら霊魂も個人名も何も残らない。

子は母の系統を継ぐ、母系の原理であるが、二分する社会構成と合わさると、男の系統を分断させている(父と子は対立する支族に属する)。男は自己の屋を所有しないから「安住の場」を捜せない。心理不安と独立した生活空間を持たない分の軋轢を内包するシステムと言えようか。

「別の選択」を頭に浮かべるレヴィストロースが感じるボロロへの杞憂は、この制度が誘発する緊張に源を発していると思われる。

 

男達による死者の儀礼の描写が続く。礼式の手順は興味深くあるが、民族学の門外漢なる小筆に理解が至らないので省略。霊の踊りの一文を引用する<Vers le soir , deux groupes comprenant chacun cinq ou six hommes partiraient , l’un vers ouest, l’autre vers l’est.Je suivis les premiers et j’assistais, a une cinquantaine de metres du village, a leurs preparatifs dissimiles au public par un rideau d’arbes. Ils couvraient de feuillage a la maniere des danseurs...中略...ils representaient les ames des morts venues de leur villages d’orient et d’occident pour accuelir le nouveau defunt.>280頁)

訳;夕方、それぞれ56人で構成される2の男達集団は一方は西に、他方は東に発つ。私は西に向かう集団について行った。村から50メートルほど離れた辺り、木々の被いで隠された場で儀礼の準備を始めた。彼らは身体を枝葉で厚く覆い、すっかり死霊のダンサーに様変わりした。衣装が意味するところは西の、東のあの世から新仏を迎えに来た霊である。

死霊を迎える儀礼の描写に続いて、

La confrerie des hommes pretend representer les morts pour donner aux vivants l’illusion de la visite des ames ; les femmes sont exclues des rites et trompees sur leur nature veritable, sans doute pour sanctionner le partage qui leur accorde la priorite en matierre d’etat civil et de residence , reservant aux seuls hommes les mysteres de la religion.>282頁)

訳;儀礼に列する男達真実の姿は、女達に隠し通されたままだ。間違いなく、この配慮は物質の所有と家宅を女達に委ねる制度を保証している。男には代償として信仰の主体であること、それと秘蹟の執行を与えている。

Mais leur credulite reelle ou supposee possede aussi une fonction psychologique : donner , au benefice des deux sexes, un contenu affectif et intellectuel a ces fantouches dont autrement les hommes tireraient les ficelles avec moins d’application.(同)

訳:しかしながら彼らの信じやすさには、真実か見せかけかに関わらず、心理学的機能が付与されており、それが男女双方の利益となる。操り人形(死霊に扮した踊り手)に一種の効果、知的機能を授ける事となる。そうでもなければ、男達はこれほど熱心に人形の操り糸をたぐる訳がない。

引用のcredulitegrande facilite a croire sur une base fragile (辞書robert)。あやふやな前提ながら信じ込む偉大な能力とある。信じ込んだ「フリ」を通す場合も含むようだ。枝と大葉に身をくるむ、不気味な物体が部族聴衆の前に死霊ダンスを舞う。あの世からやってきた霊、そんな「あやふやな前提」を信じているか、信じた振りをしているのか。どちらかと詮索する必要はない、参列族民の全員が死霊の舞い戻りを信じている。この建前が前提となっているから熱中するのだ。

筆者の注;死者の儀礼に熱中する事を、自身の不定なる立ち位置の安堵としている。そう信じる、あるいは信じている振る舞いを見せる)

 

レヴィストロースは「信じやすさcredulite」をサンタクロース伝説に結びつける。<leur ferveur(子供達のサンタへの執心)nous rechauffe, nous aide a nous tromper nous-meme et a croire qu’un monde de generosite sans contrepartie n’est pas absolument imcompatibles avec la realite.>238頁)

訳;子供達の熱狂は我々大人を熱く変え、異論を許さない寛容さは社会の現実と不協和をもたらさないと信じ込ませる。サンタクロースの社会機能を信じやすさに収斂させている。

(信じやすさの社会機能を蛇毒消しの土俗医でも取り上げている。論理性を排しても秩序維持を図る平衡感覚は、ブラジル奥地の住民もラホールのイスラム教アマディ派においても同一であるとの指摘である。土俗医師の項として後投稿する)

Et pourtant les hommes meurent , ils ne revient jamais ; et tout ordre social se rapproche de la mort, en ce sens qu’il preleve qulque chose contre quoi il ne donne pas d’equivalent>

訳;人は死ぬ、それでも帰ってこない。社会の全ての決まり事は人を死に向かわせている。何らかの物事を除外しておいて、それに対する代償などなにも与えない。

悲しき熱帯での圧巻と小筆は受け止めています。

注釈:

引用の最後の文、「tout ordre social se rapproche de la mort....=社会の全ての決まりが死に近づく。この句の示すところを探りながら全体の解釈に迫る。ordreの意味が解釈の糸口となる。

フランス語ではordreとは秩序と順番の2の意味を表す。

辞書robertに当たるとその義は1 succesion reguliere de caractere spacial, temporel. V.Enchainement  2 qualite d’une personne qui a une bonne methode. 例文として<La mere, pleine d’ordre, tenait les livres .... menait toute la maison.Zola

>とあります。

1は空間、時間の尺度で規則正しい継続。2の義で規範に則り、順番に片付けていく人の行動を表します。例文の訳は<母は規則正しい性格で(散らかった)本を(順々に元通りに)仕舞い、家中すべてをとり纏めていた>秩序を保つために本などを整理する様も秩序である。フランス語のordrediachronie=経時の行動です。

一方で、日本語で秩序は静的状態を表す。

本を所定位置に戻し置く母の行動を秩序とは言わず、それは片付けという。秩序にいたらせる行為である。このように行動を伴う事柄を日本語では秩序と言わない。片付けが完了して正しくあるべき状態になった場に秩序が生じる。

秩序は日本語でsynchronie(共時)です。

それでは、ボロロ族の社会では

秩序なる行動が順々に物事を追い続ける。その目的とは「死に近づく」。行動の規範、社会の制度が人を死に追いやる。死に向かわせる制度、システムが何かは前述されている。それは家財を管理する訳でないし、野良仕事に精出す気構えもない。祭儀のみに時間をつぶす。成人式、死霊迎え、その他いろいろあるらしい。男屋に閉じこもり、昼は寝て夜は祭り三昧。気晴らしは狩り。男の死を前提にしている習俗である。それが社会身分の断絶、資産を手にしない出来ないなど制度に裏打ちされている。

すると前述の「何らかの物事を除外しておいて、それに対する代償などなにも与えない」の何らかとは「男の疎外、生きている事が生から疎外されている」とレヴィストロースが見抜いた。

 

再び非熱帯の旅に戻る。弱気のレヴィストロースがかいま見える

4年を費やした先住民調査を終え、帰国に向かうレヴィストロースの語り口に異変が生じた。

J’avais quitte la France depuis bientot cinq ans, j’avais delaisse ma carriere universitaire ; pendant ce temps , mes condisciples plus ages en gravissaient les echelons ; ceux qui, comme moi jadis , avaient penche vers la politique, etaient aujour’hui deputes, bientot ministres. Et moi,je courais les deserts en pourchassant des dechets d’humanite.Qui ou quoi m’avait donc pousse a faire exloser le cours normal de ma vie ?(450)

訳;フランスを離れもうすぐ5年が経過する。私は大学での職位を放り出しそのままなのに、賢く立ち回る同期の幾人かは、かつて私も志向した政治分野に入って、次官に上りいずれに閣僚となろう。人影も希有な地をはいずり文化の痕跡を探し出していただけだった。誰が、何が、まともな生き様から破断するように私をし向けたのか。

続いて

Ou bien ma decision exprimait-elle une incompatibilite profonde vis-a-vis de mon grouep social dont quoiqu’il arrive, j’etais voue a vivre de plus en plus isole ? Par un singulier paradoxe, au lieu de m’ouvrir un nouvel univers, ma vie avetureuse me restituait plutot l’ancien, tandis que celui auquel j’avais pretendu se dissolait entre mes doigts.(451頁)

訳;私があの決定をしたその時すでに、属している集団と深い亀裂が生じてしまったのだろうか。何が起ころうとも、どんどん孤立して行くのだろうか?わずかな食い違いかもしれない、それが私に新しい世界を広げる代わりに、冒険にかけたこの年月の成果が私を古い世界に戻してしまうのか。手に入れられるとした世界が、指の隙間から抜け出てしまったのか。

あのレヴィストロース御大がなんともすっかり、弱気になってしまった。

クリックして先住民の美学に

 

ブラジル行きはBougle(高等師範学校学部長)の電話で端を発したので、生活を破断させた「誰か」はBougle。レヴィストロースが関心をもつ民族学が「何」に対する答え。

しかし、その見方は単純であろう。彼には属している集団があったが、ブラジル行きでそれと亀裂が生じた。フランスに戻ってからの約束された世界とは大学での地位かと推察するが、戻る場所を見つけられない。その背景とは、とあるいざこざが出発の時に発生していたのか。主任教授だったGerogeDumasとの確執でもあったのか。それらは書かれていません。

帰国のヨーロッパはドイツがポーランドを侵攻した1939年。

 

帰国直後、パリで開催した講演は不調だった。

le petit amphitheatre sombre qui occupe un pavillon ancien au bout du Jardin des Plantes.La societe des amis du Museum y organize chaque semaine des conferences sur les sciences naturelles. L’appreille de projection envoyait sur un ecrin trop grand, avec des lampe trop faifables , des ommbres imprecises dont le conferencier parvenait mal a percevoir les contours et que le public ne distinguait guere des taches d’humidite maculant les mures. Un quart d’heure apres le temps annonce, on se demandeait encore avec angoisse s’il y aurait des auditeurs...(11)

訳;パリ植物園内、古い離れ屋、そこには薄暗い小さな階段教室がある。博物館友の会が毎週、幾つかの自然科学の講演会を開く。投影器に比べて大きすぎるスクリーン、暗いランプ。映し出される影はぼんやりしているから、講演者にも形状は分からない。聴講する側は壁に張り付いた滲みかと見えるだろう。開始予定時刻から15分経過した。まだ誰も座っていない。

植物見学に飽きて講堂の無料講演に引かれた親子連れ10組が入ってきた。彼らに南米先住民の生き様を講演しなければならないのだろうか。5年の歳月と国内での地位を振っての成果がこの惨状で終わった。

書き出し< Je hais les voyageurs et les explorateurs >私はあらゆる旅行者と探検者が嫌いだーの背景にも見当がつく。

 

大学の地位はかなえられずモンペリエlycee高等学校に哲学教師の職を得るものの、すぐに徴兵、そして敗戦、すぐ様公職剥奪(ヴィシー政権反ユダヤ法)と苦難が続いた。降って湧いたかのアメリカ亡命行、これは本文初頭に取り上げている。ニューヨークでの5年、帰国、その後、親族の基本構造、本書、野生のスミレ、神話4部作など発表し、構造主義の観点から先住民の文化と精神構造を論じた。

 

僭越なる私見であるがレヴィストロースは民族誌学的にはそれほどの業績を上げていない。この分野では未開民族を訪ね歩いて調査に時間をかけなければ成果はモノにできない。言い換えればあらゆる旅が好きで開拓者の風姿を好む者が民族誌学の大家となろう。本書冒頭の第一行目で宣言した<Je hais les voyages et les explorateurs>私はあらゆる旅といかなる開拓者も嫌いだ、この裏は「民族誌資料は集めればよい、それらを解釈し民族思考を論ずるのが私である」のメッセージにつながる。コレージュドフランス教授職を拒否された意趣返しと理解しよう。

哲学の方法を取り入れ「民族思考論」を立ち上げ、文化人類学の可能性を広げ、神話構造学を開拓した。あらゆる旅が嫌いでもいかなる開拓者が嫌いでも、人類学を学べると証明した。ルソーに帰れと言いたげです。   了