レヴィストロース自ら解説する構造主義の前文
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御大自らが「教える」内容は後記にするが、これまでの作品で「構造主義」について述ぶる解説の行句は、著作のどこにも読みあたらず、まして己を「構造主義者」として標榜し、他者を批判する手段として活用する(サルトルなんかが得意とする)思想売り込みもなかった。

世間で語られるソシュール構造言語学を土台に「構造主義」なる思想を形成したなど、由来と概念の攻略本的説明も(小筆の知る限り)これまでの著作で一行もない。それゆえこの1頁は希有です(神話学第四巻裸の男614頁)

外周から事を語ろう。


「悲しき熱帯
TrietesTropiques」のある一行(ポケット版169頁)を小筆は留意していた。文を引用すると<le melentendu entre l’Occident et l’Orient est d’abord semantique : les formules que nous y colportons impliquent des signifies absents ou differents>

訳;西洋と東洋の誤解の原因は(言語の)意味論から納得できる。我々(西洋)があちら側(東洋)に売り込んだ公式(ソシュールの意味する・意味される対峙関係)が、そこでは(意味する言葉だけを訳して)意味される実体のモノ(signifie)が異なる、あるいは不在である。

これだけながら「構造主義」の全貌が掴めた。

ここで指摘されるsignifieの不在」の指摘を小筆は自由liberteに当てはめた。

実はこの頁でも誤解の例証にliberteを用いているから、この語ほど西洋にて独自に発展し、他地域の文化人に蠱惑的に受け止められる言葉は他に無いのかも知れない。デカルトが説いたliberte(後にスピノザ、ヘーゲルそしてサルトルも説いた)を諭吉翁が「自由」と訳し、新しい言葉として流布する。しかるに対応する形(意味されるモノsignifie)が日本社会の概念には無い。レヴィストロースの指摘はまさに「思想」を導入しても土台を作れない東洋の限界に誤解の元があると指摘している。別の言い方では東洋独自の哲学体系を打ち崩せない西洋。誤解根源は両極の思考のあり方にある。

(なお;「カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ」に自由の構造、その彼我の差を述べた。さらに
  構造主義とはなんぞやをこれまでにBlogHPで開陳した(猿でも分かる構造主義、ジンジャンがカントに先験を教えた)をクリックご参照。


部族民解釈の構造主義とは;

存在に本質はない、人の持つ思想(ソシュールが説くsignifiant)と形状(同signifie)が対峙する。この対峙する構造の中に本質が宿る。

例証をレヴィストロースは著作「親族の基本構造」「野生の思考」「構造人類学」で綿々と展開し、そのベクトルの向かう彼方に構造神話学が花と開いた。されど
4部作を通じても「構造主義とは」の攻略本的解説はどこにも読めなかった。行から頁、章から冊、それらを読むに年余を越してようやく昨日(20198月ある夕べ)、最終4作目「裸の男」の最終章の最後尾、これだとぶち当たった。上記の(部族民として)解釈での論旨を行間に当てるとなんと、隠喩換喩だらけひねくりまくりのレヴィストロース修辞法がすっかり読み解けた。我の解釈は正しかったと知った。

「ヒャッホー」魂の叫び、慎ましながら雄々しさの裏声地なりの歓声が、裏山なるタマ丘陵に響き渡った。その頂の動物舎に群れると伝わるウータンどもめが胆でも潰したか。