平素はじっくり見ることもないオランウータンの正面顔(タマ動物園のHPから拝借)
オーストラリア原住民の交差イトコ婚の思想、縦線が父息子の財産委譲、斜め線が母娘。LesStrycturesElementaires de la
parante親族の基本構造211頁をデジカメ。

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 部族民通信ホームページ  8月30日投稿  開設元年6月10日 
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ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
   レヴィストロース自ら解説する構造主義 (哲学 8月30日投稿        サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
 
猿でも分かる構造主義の続きとして投稿した 。

裸の男L’homme nu(レヴィストロース神話学第41970年発行)の最終章Finaleフィナーレに作者自らが構造主義を語る段落に出会った。(前文は長いので省略、読みたい方は
前文のページにをクリック)

=前文を省略=

「ヒャッホー」は魂の叫び、慎ましながら雄々しさの裏声地なりの歓声が、裏藪に連なるタマ丘陵に響き渡った。その地のささやかな規模の公立動物園に潜むと伝わる類人猿とはかのウータンども、雄叫びに胆でも潰したか。
小筆部族民の構造主義解釈がまさに正鵠を射たと知った瞬間だった。

 

En acceptant ces postules , le structuralisme propose aux sciences humaines un modele epistemologique d’une puissance incomparable a ceux  dont ells disposaient auparavant.>(同書614)

訳;上記の公式を展開するに辺り、構造主義は人文科学に一つの認識論モデル(modele epistemologique)を提供したのである。その効果たるや、これまで人文科学が展開していたそれらよりも強力だった。

上記の公式とは前文にある;

une rationalite preexistante sous deux formes ; l’une immanente a l’univers, sans laquelle la pensee ne parviendrait pas a rejoinder les choses et aucune science ne serait possible ; et, incluse dans cet univers, une pensée objective qui fonctionnne de manierre autonome et rationelle avec meme de subjectiviter cette rationalite ambiante, et de se l’aservir pour la domestiquer>()

訳;理性力とは全人類(univers)にそもそも備わっており智として2の形態を見せる。一つの智は人に本来的(immanante)で、それ無しでは思考は物事を取り纏められず、科学の発生など考えられない。もう一つは人に内包(incluse)される智で、客観性を持ち自律に理性的に発展し、不確かな理性力に論理性を与えるうえに、思考を自家薬籠中のモノにするため手なずけてしまう。

本来的と内包を使い分けているが、これは繰り返しを避ける筆法と見て、実際は同じ。居場所は人の中で、働きが異なる。

rationaliteを理性力とした。これが人に潜む初原の智の能力で、2の働き様を見せる。1は事象を理解して紐付けて総括する。2は思考に客観方法を植え付け、それを自身の確立に利用する。この分析はまさにカント哲学です。小筆は以下に解釈する。

1      rationalite preexistante=>先験(transcendantale

2      une immanente=>物事を取り纏める内在する智、これがdialectique弁証法または演繹思考。

3      une incluse=>自律する思考、これはanalitique分析思考または演繹思考である。カントが教えるreduction transcendantaleと同義である。

 

レヴィストロースはカント云々を一言も漏らしていない、いわば小筆の拡大解釈であるが根拠は;

構造主義を形成するにあたり「近代知識人として自然にカント哲学をならった」(月の裏側のどっかに出ている)。ここまでを前提の理解としよう、初めの引用に戻る。

気になる語句のEpistemologiqueは認識論であるが、上記の流れでこれをカント認識論の敷衍としよう。(以前から小筆はBlogHPでこの解釈を喧伝していた)

 

構造主義の土台がカントの認識論の盤石、それを人文科学に展開するレヴィストロース的岩盤行程とは;

Il decouvre en effet, derierre les choses, une unite et une coherence que ne pouvait reveler la simple description des faits, en quelque sorete mis a plats et eparpilles sans ordre sous le regard de la connaissance.>

訳;(il)事象の裏に隠されている一体性、統一を構造主義は曝いた。知ろうとするだけの眼差しで物事を記述する。そこにただ置かれる秩序も認められず、散らばるだけの(現実の)事象の裏に隠れる一体性を曝いた。

(今までの民族学、民族誌学の解析手法は単に見えている事象を平坦に羅列し解釈するだけ。それらの内に潜む=一体性と統一:これがカントの智で曝く”思想”です)

 訳にあたりla connaissance=認識としその価値の「順位」を決めた。rationalite理性力、penseee思考が前引用にでるが、connaissanceはそれらの下位「知っているだけ、理解した(つもりになった)状態」とする。それがconnaitreのそもそもの含意でもあるから、訳の「知っているだけの眼差し」に納得いただけると信じる。

行句を引用する;

En changeant de niveau dobservation, et en considerant par deca les faits empiriques les relation qui les unissent, il constate et verifie ces relations plus simple et mieux intelligibles que les choses entre lesquelles setablissent et dont la nature derierre peut rester insondable , sans que cette opacite provisoire ou definitive soit , comme auparavant , un obstacle a leur interpretation>()

訳;観察する目線の位置を変え、経験的に確認できるいろいろな事柄を通して、それら(事柄)を結びつけている紐付けに思考を巡らせる。すると、(現実として見えるままの)物事の突き合わせの「混乱した関係」よりも、(思考を巡らせ単純化して解釈する)関係のほうが、単純でより理解しやすいと判明する。ただし潜む背後が薄ぼんやりしているままで、(正しい)解釈の妨げになるままであったら、それら物事は覚知不能のままで残る。

この引用は、前段の引用を言い換えています。構造主義としての見方ととらえ方。従来手法のそれとの対比です。(思考を巡らせ解釈する)関係、この考え方が前回(猿でも分かる構造主義)で紹介した智の力(transcandantal先験)の要素のdialectique(弁証法)であるとは自明。

目線、あるいは思考点を(構造主義流に)変えれば、物事の背後に潜む事柄が覚知でき、その様態は(見るがままよりも)単純になるのだとレヴィストロースが教えてくれた。

この単純かつ分かりやすい背後を「思想」とする。すると事象(形状)は経験則で関知できる現実、物事となる。メルロポンティの現象論(カオスのこの世の「場」と神の意志の思想を「現象論に一筆したためた)から大きく影響を受けた構造主義がここに見えてくる。「親族の基本構造」で交差イトコ婚を図式を用いて解説した(こちらは人類学志向参照)。
婚姻関係と遺産の流れの図はオーストラリアアボリジンの抱く思想です。

現実は日々、実践されている婚姻となる。全ての婚姻が交差イトコ間で締結するは難しい。相手家族群に適齢の嫁
(婿)の候補が見つけられなければ成就しないし、若い男(娘)ならばしきたりで決められている娘(青年)には目もくれず、赤の他人の明子チャン義男君に首っ丈などとの恋愛ゲームだって必ず、先住民にだって発生する。一方で、父から息子に譲る財産(遺産;部族での地位、狩りの権利、狩り技術の伝承か)、母から娘に渡す財産(土地、家屋、耕作権などか)は社会の規則として決まっている。こうした制度としての決まり事は(今の日本の有様を見ても)かなり強固です。この財産委譲の規則に背く個人感情に従う「身勝手」結婚は、反逆と否定される(土地屋敷が赤の他人に相続されたら大騒ぎとなるは必定)。

部族が継続するため、富の委譲の仕組みを婚姻規則に結びつける制度が交差イトコ婚の「思想」である。そして思想と実際が補完して、常日頃の言行に結びついている実体を「構造」とする。

構造人類学「anthropologie structurale」(1953年パリPlon社)では過剰な財物を隣接部族に贈りその部族は破産する。しかし時期を待てば、別部族からのそれに見合う贈り物をうけとる風習(メラネシアのKula、北米インディアンPotlatch)を汎部族社会の連帯維持との思想とし、現実の贈り物のやりとり行動・言辞を形状として構造主義的に分析している。

もう一文を引用

le structuralisme est teleologique , apres une longue proscription par une pensée scientifique encore imbue de mecanisme et dempirisme, cest lui qui a restitue sa place a la finalite et qui la rendue a nouveau respectable>615頁)

訳;構造主義は目的論である。長いこと機械決定論と経験主義に浸透されていた名のみの科学思考のくびきをはねのけ、彼(構造主義)は己の立場をしっかと決め、その究極位置こそが彼をして新たな賞賛をうける根拠にもなった。

teleologie目的論を、幾分強い意訳ですが「思想革命」とすると分かりやすい。機械決定論、経験主義は後の文列に出現するPiaget(発生心理学)、Sartre(実存主義)を当てつけている。それら理論はあるメカニズム、外界からの刺激を想定し内部(心理、思考)が変質するとの機械的、経験主義を土台に置いている。またPiagetは「心理発達論」の観点からレヴィストロースへの批判を重ねていた(時期があった)。レヴィストロースはそもそも人に内包する智から人の思考と行動を出発させているので、(外界刺激を発達要因とする)彼らとは相容れない。

レヴィストロースのサルトル批判(本ホームページの別投稿)にも同様の亀裂(智の起源を本来とするか、個人経験とするかの差)を解き明かし、個人経験則から智は発生しないと批判しました。本ホームページの別投稿にあります。上の引用はまさに構造主義の勝利宣言です。

多くの論客(フランス語の文献も含め)に違われる「構造機能論」での解釈なる誤解を正し、構造主義の正しい理解を持って、世の過ちの風靡、そしてそれらが猖獗に一矢を報わんと本文をまとめた次第です。
20198月末日)