再生産パラダイム(部分)、写真クリックでPDFに飛ぶ
行為としての性愛と制度、それと法での取り決めを分けて論じたい。
同性婚を制度に取り込み、法的優遇を与える事に反論は多い。その根源に同性カップルは世代の再生産能力を有しない生物的事実が残る。無視、忌避、偏見の態度が表れるとしたら、異形排除、人の防御本能だろう。欧米では同性婚カップルが(金に飽かせて)養子をとる例が増えている。
男が二人で生活していれば経済優者にもなるから、養子も貰えるらしい。しかし彼ら彼女らは「そもそも子を持てないと知りつつ、配偶関係を営むのに、何故子を」と非難される。
Ruwen Ogien フランスの哲学者、他者へ害悪を及ばさない限り個人の行動は自由であるべき。同性婚、マリファナ喫煙にしてもしかりと説いた。パリの学生騒動(1968年)の申し子(1949~2017年)
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年2月15日
 
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  同性婚、結婚、世代再生産について 哲学 2020年2月15日投稿  
   

同性婚を認めるよう個人、団体の圧力が勢いを増していると聞く。
同性婚を制度として認める国をネットで調べると
26箇所、19%を越す国地域で同性パートナーシップを含め、「法的に」認められているという(NPO法人EMA日本のサイトから)。日本においては法律として異性婚(このような言い回しはないから以降「結婚」とする)と同等の権利、認知関係を法律として、同性婚にも規定する事を同団体は求めている。

如何に考えるかを部族民の立場から述べる。

結婚による配偶者であることの権利、優遇、認知は以下にまとまると思う。なお以下の3の権利優遇はいずれも、とある特定の義務と裏表である事実が大前提である。

  1 両性相互の扶養の義務と権利。かつては夫が働き妻は夫を助け家庭を切り盛りした。妻の扶養に法の根拠はないが、法律以前の倫理として夫はそれを持つ。結婚は子を成すから夫の稼ぎで子を扶養し、養育は妻が担う。

  2 近隣、地縁、村落共同体で結婚への認知は通過儀礼(婚礼)と併せて、かつては不可欠だった。社会認知を受けることにより各種権利と義務が生じ、村落自治体的な給付にも預かることができた。入会権、刈り払い、伐採、農作業の手伝いなどが挙げられる。それらが義務と同時に利得も補償している。今の世では勤務する会社から配偶者(子息)への補助、福利厚生、旅行の機会が供与されると聞く。かつての村落しきたりの延長であると思う。地域共同体あげての結婚への盛り上げ風習が今も残ると感じる。

   3    国、法律、制度による結婚への優遇。配偶者であることの優遇には税金(特別控除)、相続(無税の範囲)、年金(第3号資格)、保険(家族単位での支払い)など小筆が個人的に数えた。前出のEMA日本サイトでは同性パートナーには医療行為への同意の不能、カルテ開示に請求不可、医療費合算不可(控除のため)、介護休業の不許可、借地借家権の継承で不認可など排除されている。その多岐に驚いた。

番外;しきたり習俗との不調和も挙げられる。
親族の冠婚葬祭に「同性配偶者」が呼ばれることは少ない。配偶者の葬式にあたり「死亡証明書」の交付を受けられないから焼き場に持ち込めない、ひいては葬式で「喪主」に座れず、呼ばれもしない(多々あるとか、EMAサイトから)。


同性が互いを配偶と認識し、共同生活していても社会は「他人同士」としか認識せず、多くの生活運用の仕組みから除外されると知った。

家庭、社会、制度での疎外、それに加え周囲人々の心情、風習との不協和にきしむ背景は「なぜ」か。取り上げると;

文初に申した「特定の義務」とは世代の再生産活動への参加である。しかし同性婚者はこの義務を果たし得ない。故に根源的に違和である、この不協和がきしむのである。

「世代の再生産」すなわち子を産み育てるを個々の単位で行動しても効果がない。
集団として村落共同体として、さらには国家ぐるみでこの活動を維持、促進しないことには国が滅びる。褒賞を設けると同時に義務課す仕組みである。端的に言えば優遇するから、結婚して子を産めである。

犬や猫など動物であれば仔を産むに病院に入らない。産んでしばらくは母犬猫が授乳させるがそれも幾カ月。母と子はやがて別れるから、仔育てにおける親の懸かりは僅少である。よって犬(猫)が両性挙げての育児や、犬法なり猫制度を定めて子犬猫の育児を援助するは聞いた例しがない。蛇やトカゲ、トンボに至っては、子育てはさらに乾燥している。

なぜなら犬猫猿は視界が狭い。共時的事象にしか目と頭が届かない。共時的とは今の見える、それを行える状態であり、それが彼らの活動そのものである。雄と雌が交尾する、仔が生まれる。交尾と仔は時間差のある経時だから、奴らには原因結果の因果に気づかない。交尾にしても「一時の子育て」授乳も本能に制される行動である。

人は犬とも猫とも異なる、

共時と経時の因果を知る。だから「再生産パラダイム」を本来的に心に持つのだ。
PDF 北米インディアン(Arapaho族)神話と日本の「結婚と再生産パラダイム相似」を作製した。
ロゴをクリック。

家族制度、社会の仕組み、法制度。これら全てが結婚を「世代再生産」活動の出発点と規定している(これが共時性)。結婚している両性を保護、育成する。経済的利得と法制での優遇を与え再生産活動を促す(経時性)。

結婚とは子を産み、育て、新たな家庭を形成させるとは再生産パラダイムの活動野に両性が身を委ねる事に他ならない。

 

同性婚を法として「結婚」と認め、さらに「結婚と同じ」水準の制度優遇を法制化すべしはLGBTを実践する人々、団体の要望である。部族民としてはこの要求は、人が過去、幾万年の文化形成の歴史で練り上げた「再生産パラダイム」にただ乗りする行為だと考える。

賛成できない。

また批判の一部には「(異性の)夫婦にだって子を持てない組み合わせもいる、彼らには(再)生産性が欠けているではないか」の意見がある、しかし持とうとして持てなかった場合と、始めから持てないのを承知ながら「夫婦」となった場合では、質が全く異なる。前者はa posteriori(後から分かった)、後者はa priori(始めから承知の上)であるから。


衆議員の杉田水脈氏の発言「LGBTは生産性がない」(2018年8月)は社会の多層から反論を受けた。LGBTとは同性愛者など性行動の少数派を総称する用語(英語圏で広まる)である。この語を用いる目的は「規格にとらわれない性行動の自由」、性愛形態の融通無碍を求める運動と見る。そうした方々は「生産性が劣る」かの受け止め方(杉田氏)にはそれなりの背景があろう。

背景とは;

かように性と愛とに年中拘泥するとは「社会での実活動をないがしろにする性状」の人々ではないかとの危惧である。誰もが抱くそんな怖れを杉田議員が指摘したと推察する。

杉田氏への批判側は「そのように決めつけるは人権無視」できあがり文句を繰り返すのみで、前向きに「LGBT実践者だって(年がら年中、頭は性愛でいっぱいではない)社会の中で実活動も積極的」を証明する機会を自ら排除した。その中には国立研究所の所長を務める著名人(国籍はアメリカ)が含まれる。まったく彼(米国人)には残念だった。

敵対側を全否定する過激にのめり込まず、性愛行動のあり方と同性婚の可否を推進と否定の議論とで噛み合わせ、共通項を探し出す風潮を希望する次第です。

(小筆は生産性と再生産性を区別しております。本来の意義でそれぞれを解釈しています)

 
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