モノを敷衍し世界観を形成しても見えないモノにはたどり着かない(重力、DNA,免疫作用など)
「見えないモノが宇宙を作っている」に感づいた時に近代科学が生まれた。


第一章の章題はLaSceneceduConcret
具体科学はモノ(知覚できる実体、現象)を追求する思考である。
モノを敷衍する仕組みの解説、パワーポイントをデジカメ化した。鮮明な図はPDFに、写真をクリック。2頁あり、モノ敷衍は1頁め。
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年6月30日
 
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   野生の思考 LaPenseeSauvage を読む 2 (人類学)2020年6月30日
 
 具体科学 ScienceDuCocret
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野生の思考の本文に入る。

第一章「具体科学」Science du concretの訳。

名詞concret具体とは。辞書LeGrandRobertの知恵を借りる;第2義(philoqui exprime qc de reel sans que l’on en isole une notion de qualite.3qui peut etre percu par les sens ou imagine

訳せば2義は:質を離すことなく実体を表現する 3義:感覚で捉えられる、あるいは想像するモノ。23義がレヴィストロースの伝えるconcretに近い。世界森羅万象をreelとして、思想でも本質でもない「モノ」に託して思考する科学である。

モノに託すとは取り巻く世界を思考するにあたりモノの集体としてそれを見る。それらを統合(integration)かつ敷延(globalisation)し、分割して(morphologie)、モノ同士の関連についてanalogie(類推)assimilation(同一化)congruence(本質は同等、形体が異なる)inverse(対立)identique(本質と形体が同一)を判断する。

するとこの科学はモノを見つめる思考の流れを整合する世界観に他ならない。

それはは「未開」とされる先住民が多く実践する科学である、とされる。一時代前(20世紀初頭)の哲学者、人類学者は先住民はモノに執着する思考の傾向を見て取り、彼らはモノから質に昇華できない、具体観念のみ、抽象化する思考に欠けるとした。故に「未開primitive」とした。レヴィストロースはその語「primi...」を用いない。premiere(最初の)科学としている。これと比較する「進歩した」科学とは西洋科学の全般となるのかについて、単純に未開対文明の構図で決めつけていない。生物分類の祖リンネは未開人の特異とする形態学の極点とも言える(本文にscience du concretとのリンネ分類学の類型を指摘している)。ダーウインにしても形態の変化を基礎として進化があったとしている。

レヴィストロースは具体科学に対抗する科学に「sciences moderenes近代科学」を当てている。この意味がよく分からない。ヒントとして文中の「新石器革命、8000年前とされる」を取り上げると、この時期に農耕、栽培、土器、絵画などが草創され、それらを支えた思索活動をしてscience du concretscience premiere)を人が編み出したと理解する。これがまさに初元premierの科学となる。新石器革命以来、premier scienceは連綿とヒトの思考を「モノとの連関」に閉じこめていた。故に後の展開が滞った。これを新石器革命パラドックスと教える、らしい(蕃神はこの語、新石器パラ...を知らぬ)。

sciences moderenesはモノから離れた科学となる。

形態を見えるとおりに分割し統合し同一化する科学を否定し、見える形の裏側にある本質を演繹する科学をsciences moderenes近代科学とする、小筆は規定する。コペルニスク(「天体の回転」の出版は死後の1543年)、ガリレオ(異端裁判は1630年)、ニュートン(プリンキピアの出版1687年)らは見えている太陽の動き(モノ)を見るままに解釈する手順は誤謬を招くとした。天動説が近代科学sciences moderenesの魁である。哲学側からはデカルト(方法序説の出版1637年)カント(理性批判の出版1788年)らの貢献も語られる。

「未開」民族を新大陸の先住民、大洋の孤立民族、アフリカ先住民などとすると、彼らは残念にもコペルニスクやデカルトを生み出さなかった。彼らの科学は新石器以来のモノに拘泥する段階にとどまっている。これをして彼らの知性とはLa pensee sauvage野生の思考だとレヴィストロースが規定したが、これはまさに逆説である。著作表紙には厳つい族民ではなく可憐な三色スミレを置いた、これが逆説の証明である。そして具体科学、すなわちモノにとどまり世界を解析する思考の手段は西洋社会において生物学、地層学、考古学などで連綿として継承されていたからである。

民間においては今も信条、古来のしきたりで受け継がれている。エンブレムにライオンを選び、戦闘機にシャークマウス描く。その思想はライオンや鮫など強者との同一性assimilationを願うからである。モノへの拘泥、それは先住民に特有な思考ではない故に逆説とした。

本書に使われている用語をscience du concretsciences moderenesに分けたPDF、パワーポイント図を右コラムに掲載する。クリックしてこの に飛ぶ。

 

図の説明。

野生の思考は具体科学の一形態、その元祖形とも言える。

具体科学は現実reel、動植物、気候、天候、宇宙など、すなわち「モノ」を解析する科学である。それは形状formeへの肉薄に他ならない。思考を巡らせ言葉を用いて世界をモノと見て彼らなりに敷延する。彼らと申したがそれは未開人であるし中世人、近代人でもある。最後者にしてモノ世界を敷延する思考は21世紀においても保持している。

3列目に本著に用いられモノの観察を展開し思考として敷延する用語を書き入れた。

例としてassimilation(同一化)を取り上げる。どんな展開を手法はどんな敷衍を示すのか。歯痛にキツツキのくちばしを患部に当てる(本文21頁)。おそらくほじくるのだろう。ヒトの歯とキツツキの頑丈なくちばしを同一化し、歯よ!くちばしみたく元気になれ(同一化)で痛みを霧散させる思考の敷衍がここに見られる。

 

先住民は「抽象」能力に欠けるとした学説を先に紹介した。ここにレヴィストロースが切り込む。

pretendue inaptitude des ‘primitifs’ a la pensee abstraite =中略=la richesse en mots abstraits n’est pas l’apanage des seules langues civilisees<(本書11)訳;未開人には抽象思考が無いと言われているが、抽象言語を用いるのは文明化した言語の領分とは限らない。

例としてBoasの報告にあるChinook族の言い回しを「こうした言い回しは私の言語でも用いるのだが」と引用する。「意地悪な男が貧しいなか(己の)子を殺した」これを彼らは>La mechancete de l’homme a tue la pauverete de l’enfant()>男の意地悪さが子の哀れさを殺した(終わらせた)と伝える。そして「おおよそ全ての言語は...」以下原文に;

le discours et la syntaxe fournissent les resources indispensables pour suppleer aux lacunes du vocabulaires.>語のみでは言い切れない含蓄を追加するに、語り口と文構成が必須なのだ... 直接に語ると「貧しい男は可哀想な子を殺した」とは言わず、「貧しさが男をして哀れむも子を殺した」と言い換えた。「形容詞を名詞に替える」言い回しはフランス語にだって多い。ここまでは理解に至る。

続く文節が難しい;

Le caractere tandancieux  de l’argument evoque au paragraphe precedent est bien mis en evidenace , quand on note que la situation inverse : celle ou les termes tres generaux l’emportent sur les appellations specifiques , a ete aussi exploitee pour affirmer l’indigence intellectuelle des sauvages (同)

訳;先の文でカッコ内(Boasの言い回し)は以下の議論を誘導するに為にある。それら状況が逆になったとしたら、すなわち非常に広い意義を持つ語となって、その範囲が納める語彙が多くなる場合を仮定すると、先住民の知的(抽象)能力は貧しい(indigence)と結論せざるを得ない。

レヴィストロースは度々BoasFranz、アメリカ、18581942年出身はドイツ)を好意的に引用する。今回も「先住民の言語抽象能力、子の哀れさの終結」を評価したと受け止めた。しかるにその言にtendancieux(底意の見える、誘導する)なる形容を被せた。となると;

Chinook族の言語力は意地悪、貧しさ程度の「狭い範囲」の抽象には対応できる。そして「意地悪男が哀れな子を...」の言い回しでは殺人の背景を説明しきれないからChinook族民は「男の意地悪さが...」と文構成を(名詞的、抽象的に)練り上げ、正しく状況を表した。しかしここまでである。続く

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