毛沢東の神格化をPDFにした。画像クリックでPDFに飛ぶ。解説は次回
右上は神の居場所の特異域、そこに毛沢東が居座った。これがカリスマの源、神話のあがり。彼の権威と政治力の根源が作為にあると分かった気がするが、
蕃神
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年1月10日
 
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   現代の神話 毛沢東神への祈り 2  (神話) 令和2年元旦2020年1月10日
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前回投稿(毛沢東神話1 )右コラムに掲載したを載せる。ODF図を元に毛沢東の神格化過程を考えよう。 図の右上に、毛沢東を神格化する作為が幾つか認められる。(写真の不鮮明さをご容赦、は鮮明です)

座標は;

縦横の2軸は「信じる・疑う」と「寛容・悪意」を示している。人の行動と精神はおおよそこの座標に組み込まれる事になる。四隅に特異域が位置する。斜めの破線は毛の「神格化」移動経路である。

毛の正しい位置は左下、疑い深い行動、悪意の信念の特異域である。理由をこれから述べるが、スターリンとこの域を共有していると説明すれば、読者は納得するであろう。前々回に投稿した
PDFを参考にして欲しい。なおこの座標は部族民蕃神のオリジナル(創作、ねつ造)などではなく、レヴィストロースが「悲しき熱帯」で開陳した人性分析を図式にした(改編はごく一部)

毛沢東が冷酷である事実は「毛沢東大躍進秘録」(楊継縄著)など実録書におぞましい実態が多々記載されていし、ここで説明する要はない。小筆としてあまり語られていない一点を挙げる。

一村一殺。

支配拡大に用いられた共産党の「戦術」である。戦とは軍隊どうしの戦いを意味するが、ここに八路軍(後の解放軍)は登場するが、敵は軍ではない。村の住民、旧式銃で武装した自警員がせいぜい数人で夜盗から守る、全くの非対称戦争である。


写真が一村一殺であるかは不明ながら解放軍兵士らしきが、銃口を拘束者に向けている、ネットから採取

狙いを付けた村を軍が包囲する。前もって内通者から情報を得ているから、地主がどの屋敷に住むか、一族郎党が集結する時間、その場などを八路軍は知り尽くしている。地主の一統を包囲して一殺に向かう。

小筆は一殺とは地主「一人」を殺す事と理解していた。そのように解説する「ネット」サイトも多い。これが大きな間違いであるとは引用の書籍で知った。地主の一統「一族郎党」を全員殺戮するのである。その中には女子供、乳幼児も含まれる。なぜそこまで残酷をするかとは、それが毛のやり方、毛沢東主義の実践であるからと考えるしかない。

中国人、この場合には漢人が正しいだろう、はもともとその風習を持っている。一人だけを殺したら生き残る係累に必ず、仇討ちに遭う。皇帝位の継承紛争において、負けた側は「一族」全員が殺される(と歴史書に書かれる)。そうした残虐漢人の精神風土の内側に「毛沢東主義」を毛沢東が植え込んだ。「目的のために手段を選ばない」、卑劣行動を増進させる破滅の思想である。
目的は「共産支配」、思想が帰結する着点とは、たとえ狭い村の地主にせよ、共産支配を妨害する一統ならば、全員を殺戮する。

殺戮を終えたら仕入れていた情報で、土地の権利関係書類の在りかを探し、焼却する。これで農奴達が自由になった、土地(の使用権)を分け与え財宝、現金を根こそぎに略奪して引き上げる。共産主義の村の出来上がりである。村の壮丁、若者、少年は八路軍に狩り出される。

後に、「一殺」の一網打尽の殺戮が、文化大革命で再度、花を咲かせる。

「百花済放百家騒鳴」は文化革命の前の一時(1950年代後半)、自由な言論、弁舌を保証する共産党の解放政策であった。国家主席を解任された(1958年)毛の雌伏の時期と重なるが自由解放の狙いが、反毛、「反革命」言論人を「蛇を巣穴から引き出す」あぶり出し作戦とされた。
後に、自由言論を論じた文人は「反毛の不満分子」としては摘発され、手ひどい迫害を受けた(老舎など)。

毛の疑り深さ、信念の底に悪意が跳梁する例として、これらを挙げた。

壇上の毛に戻ろう。

写真は再掲

1      党主席毛沢東はそこにいない。一卒の老紅衛兵がそこに立つ。

国家主席としての毛、紅衛兵の毛の写真を下に挙げる。上の毛は人民服なるモノを着しているが素材も仕立ても見るからに最上である。下は兵卒の毛、体躯にあわない粗末なカーキの軍服を着し、解放軍兵士の徴である襟章を付け、紅衛兵の腕章を巻いている。

外交用、各国大使館に配布される無表情の毛 
 一兵卒の毛、神の肖像 

2      毛に腕章を巻いてを紅衛兵に取り立てた娘は宋彬彬である。

第一回紅衛兵大会(北京天安門広場、
19668月16日とされる)、1000万人(ママ)の紅衛兵予備集団を前に、毛の左腕を取り彬彬が腕章を巻いた。大会の以前、北京の名門校から学生生徒を選抜して原初紅衛兵団、いわばゲリラ団を宋は組織し、反毛沢東一派の狩り出しに、実力行動に出てていた。

北京で名門校に通う学生生徒とは王府(有力者が住む一角)に居住する共産党幹部の子弟を意味する。
幹部の子弟であるとは決して庶民、まして貧農の子ではあるまい。宋の父親も共産党の幹部であった(ネット情報)。原初なる紅衛兵集団とは学生達が「自発的」に団を組織し、手当たり次第に政治家文人を街路に引きずり出したーのではない。毛の肝いりの裏工作、用意周到の組織工作がここ、学生生徒にまで入っていたとしか思えない。

彼女は大会の
12日前に北京師範大学(正しくはその付属女子中学校=高校)の副学長を「撲殺」している。自ら率いる衛兵数人で副学長を校庭に引きずりだし、逃げぬようと取り囲み、樫の杖で頭骨を幾度も思う存分に打ちて砕いた。この殺人をもって紅衛兵の乱暴狼藉の嚆矢が残虐の野に放たれた。
ネット情報ではつかめなかけれど状況からして、被害の副学長(
下仲耘と伝わる)は毛が狙いをつけた北京市長彭真、それに連なる戯曲「海瑞罷官」を立ち上げた一派であったかも知れない。
(人を貶める際のこうした隠匿のまま進行する計画性、深慮遠謀が漢人の行動原理であるからして、そうと思うしかない)

    紅衛兵、にこやかに笑う宋彬彬 は殺人の嚆矢

 

3      宋は毛に腕章を与えることで毛を紅衛兵として取り立てた。
毛はなすままに左の腕に腕章を受け、紅衛兵となった。宋の殺人は贖罪された。さらに、紅衛兵達が後々にしでかす、反革命派(走資派とされた)への狼藉行為に免罪が安堵された。造反有理、法外の暴力集団が毛により正統機関に引き上げられた瞬間だ。
党主席の毛は自らを兵卒におとしめた、しかし紅衛兵の一員となって、
1000万兵士の前、天安門の壇上で紅衛兵を承認したのだ。

毛は神に昇格した。PDF図の斜め破線を左下から右上に昇天したのだ。

そこは人性の特異域である。
早速、毛は「寛容」を発揮した。これまでに私兵にすぎない紅衛兵が犯した数々の乱暴を許した。宋の撲殺事件を「有理」と許した。

信じやすさも公衆に伝えた。紅衛兵の「行動が共産革命につながる」1000万人を前にして、乱暴狼藉こそが共産革命への道、正統化した。

それを革命教とするのか。
ならば、教義は共産主義、理念は神なる毛にあり。善行は紅衛兵の腕力がもっぱら受け持つ。祈りは不信者の浄化である。

浄化の過程とは;
反革命者を引きずり出し、黒悪の行状を曝き、公衆の前に引き回し、殴り倒し牢屋に押し込む。自己批判をしたためたせて、ソヤツは文に行句に、己の罪状を正しく取り纏めさせて、真に反省するまで幾度も、北京で終わらせず、あちこち引きずり回して、取り囲む衆愚に反革命者の、のたうち様を見せつける。

「こいつ、頭から血なんぞを流しているぞ、こらえ性の足りないヤツだ」

「おい、額を見せろ、何だ、たんこぶが3つしかない。これでは反省には足りない。もう一つだ、えいや、バッシ」

(ちなみに漢人は棒で打擲する時には手加減など見せず力を込める。大躍進と文化大革命で絶命した7000万人とされる(楊継縄)人々の多くが、餓死を除けば、撲殺死であるし、弱者を打ちまくる勇気の奔放さは今も健在であるのだろうか)

反毛沢東一派は反革命でありアメリカと内通している走資派だ。弾圧は正義だと紅衛兵は信じている。
さらには失敗に終わってしまった大躍進は、もう少しのところで成功するはずだった。失敗の原因は走資派の妨害工作。仕返しだと思え、バッシ。血が流れこの中華の大地がまた汚れた。

宗派は革命教、神は毛沢東、教義は「目的のためなら手段を選ばない」。

そして祈りは迫害。

血の流れ、怒りのたんこぶ、バキバキ骨折の砕け音が一帯に飛び交い、死に行く者のうめきに昇華する。こんな祈りの死が7000万回繰り返された。

毛が逃げ出した左隅の空白はどうなったのか。反毛沢東派を押し込めたのである。

己の本貫の座標位置は左下の特異域、しかしそこから逃げ出して、座れるはずのない右上、寛容と信じやすさの特異域ならば神の居場所だ。ふんぞり返った毛の作為は、偽りの重なりだ。

しかしなんと毛は、己が抜け逃げた位置に善良なる同胞を走資派なる烙印を押して埋め込んでしまったのだ。

続く


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