佐藤尚武、1971年没。戦中ロシア大使、戦後、外務大臣、参院議長などを歴任。英米派の吉田茂は外務省内の大陸派(ドイツ、ソ連を守備位置とする)を徹底して排除した。しかし大陸派である佐藤は戦後に外交でも活躍した。(ネット検索)
スターリン神話の偽りを曝いた功績を吉田が評価したからなのか。

歴史を開けば立派な人物を探せるものだ。

勲一等従2位、エラーイのだ。
現代の神話
共産圏では統治者の神格化が流行った(トニージャット)スターリンにその典型を見た


彼らの仕掛けは


スターリン実像と偶像の差とは、行動と精神の交差軸で、安住する位置の逆転が見られる。
猜疑心の塊一人のオトコをイエスの地位に引き上げて神だと僭称したのだ(写真斜め破線)

写真クリックでPDF


大戦後、1947年
ピオネール少女を優しく励ますスターリン(トニージャット著・ヨーロッパ戦後史からデジカメ)

この画像はネットで探せなかったスターリンの笑顔はケナン「長文報告」スターリン残虐性状とのかけ離れに驚く。

脇には追従する部下が控える。花束少女と同じ画角には作為を感じる。


1936年は大粛清の先触れ、スターリンはブリヤート族の少女から花束を受け、演壇に抱き上げた。これぞ「神が贈ってくれた少女」(プラウダ)。脇のアジア的人物はおそらくブリアート共和国主席。

この写真をソ連全国にばらまいた。





米国大使ケナンは花束少女の作為とスターリンの猜疑心をトルーマンに報告した
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2019年12月31日
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   現代の神話 スターリンの神格ねつ造 1 (神話の投稿) 2019年12月31日
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現代の神話を考えてみる。

神話とは神の物語である。現代に神はあからさまには降臨しない。目立たぬように降り立ち、密かに誰かの心に忍びこむ。こんな話を幾つか;

東シベリアに居住するブリヤート族(ロシアに住むモンゴル人)の7歳の少女、エンゲルシナはブリヤート自治区農業人民委員を務める父アルダン・マルキゾワに連れられモスクワに旅たった。アルダンはモスクワで開催される全人民会議に派遣される共和国代表団の一員であった。エルゲンシナには旅行する許可もモスクワに滞在する資格もないけれど、何故か許可証を手に入れた(ソ連では移動にも滞在にも身分証明書と許可証が必要だった)。

会議当日、宿泊所に一人残すわけにもならず、アルダンは娘を同行させ、何故か人民会議にも入場させられた。会議は時間通りに始まり、空虚な中身と饒舌に時間を費やすソ連式演説が続いて、エルゲンシナは退屈感にすっかりとらわれてしまった。壇上貴賓席にはスターリン、ふと、

>「私は『あの人に上げよう』と考えながら、2つの花束を手に取り演壇に向かった」と、エンゲルシナは後に述べている。ところが驚いたことに、独裁者は喜んだ様子だった。彼は、エンゲルシナを抱き上げ、「フェルト製の長靴をはいた私を演壇上に上げた」。彼女が花束を手渡すと、スターリンは彼女を抱きしめ、ジャーナリトたちは写真を撮り始めた。

「君は時計が好きかな?」。スターリンがこう尋ねたことをエンゲルシナは覚えている。勇敢な女の子は「はい」と答えた(実は、時計を持ったことはなかったのだが)。指導者は金時計をプレゼントし、家族には蓄音機を贈った。しかし彼女がもらったものは、それよりはるかに多かった。

「神自身がこのブリヤートの少女を私たちに送ってくれた。彼女を幸せな幼年時代の象徴に仕立てようじゃないか」(プラウダ紙のレフ・メフリス編集長)スターリンとエンゲルシナの写真があらゆる新聞に掲載されると、21世紀風に言えば、思い切り「伝染」してしまった。

「翌日、私がホテルのホールに入ると、そこは、おもちゃその他のプレゼントで満たされていた。…私と両親がウラン・ウデ(ブリヤートの首都)に戻ると、人々は、後に宇宙飛行士を歓迎したときのような熱狂で私を迎えてくれた…」<

(ロシアビヨンド、ネット版「子供達の友スターリン」より)

少女が代表団と共に旅立て列車で移動できた偶然が、会議場でスターリンを間近に見た偶然を呼び、花束を抱えて壇上にちん入する偶然を導き、スターリンが花束とともに少女を抱き上げる奇跡を生んだ。これほどの偶然の重なりなど起こるはずがない。この奇跡を神の御心とメフリスが決めつけたのだが;

初めから人為の仕掛けが組まれていたら、神の介在など必要はない。ソ連の宣伝活動(プラウダが取り仕切っている筈)がスターリンを「神」に奉りあげるシナリオを仕組んだとしたら、エンゲルシナの移動、滞在、入場の絡繰りは神の介在ではないと云える。「神」を造るためプラウダあげての仕掛けであった。

花束少女の顛末は1936年、これと大戦前にソ連にて猛威をふるった「大粛清」を重ねてみよう。

>ロシア国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937~38年年に、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が収容所に送られた。
ただし、この人数は反革命で裁かれた者に限る。
ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層はごく一部を除いて絶滅させられた。特に、地区委員会、州委員会、共和国委員会は、丸ごと消滅した。<(wikipedia大粛清から)


大粛清の最盛期は1937年、その苛烈さを前もって覆い隠すために「子供好き」「慈しみ深い」スターリンを演出していたとは容易に推察できる。神を否定した共産主義ゆえに統治者を神になぞらえた。実態の残虐さをすっかり隠す優しい父、我々を信じてくれる「神」に姿を変えた暴君にソ連人民がすっかり騙された。

もう一例; 1949年モスクワにおける対ドイツ戦争勝利の記念式典で、ピオネール(共産党少年団)の少女が壇上に立った。
右コラムの写真はヨーロッパ戦後史(トニー・ジャット著、みすず書房)人間の顔をした社会主義の章から。

彼女が何を語ったかの記録はないが「祖国亡命のためにピオネール団は一丸となって同士スターリンを支える」的なことを述べた(筈だ)。 スターリンは「君たちの活動を見守っているよ、困ったことがあったら何でも相談に来てくれ」みたいな返事をした(ような顔をこしらえている)。
右写真のスターリンをご覧ください。まさに「慈父ジョーおじさん」(スターリンの愛称)ではないか。ここにも「優しい神」の顔がちらつく。

歴史家ジャットはこの顔つきをして「神話のねつ造」としている。

スターリンの実像とは、フルシチョフ報告(1956年ソ連共産党20回大会)によると;
 1        権力を個人に集中させ、個人崇敬を強要した
 2        個人指導による教条の強制
 3        粛清、弾圧―にまとめられる。

この批判はスターリンの政治、権力行動に向けられている。

彼自身の心理、性状に関してはどのような人物だったろうか。先の大戦前、駐ソ連アメリカ大使館に書記官として勤務(1933~37年)、1944年には駐ソ連大使(代理)に就任したジョージ・ケナンのトルーマン大統領宛、いわゆる「長文電報」の中身を借りると;

不気味な前文「スターリンのライバル達は全員が暗殺され、逮捕流刑を受け処刑された」のあとに、
>地味な風貌の裏にどれほどの深い計算、野心、権力欲、嫉妬、残忍さ、悪辣、復讐心が潜んでいるとは知られていない。邪悪、無常、狡猾、危険性において傑出した人物である<(ベイム著まさかの大統領ハリー・トルーマン、訳本は国書刊行会の出版)。

ルーズベルト死去(1945年4月)で「まさかの大統領」に就任したトルーマンへソ連の状況の、その裏の面に焦点を当て取りまとめた報告である。この趣旨を理解してポツダム会談に向かう事になったトルーマンが、(容共にして共産主義工作員の側近を抱えていたルーズベルトと比較して)決して友好的立場で対スターリンに臨んではいなかった。毅然とした外交姿勢の背景と評価したい。
(長文電報は1946年の発進なのででポツダム会談の以後となる。しかしトルーマンは就任早々、スターリンの個人情報を国務省に求めているから、上記と同じ内容がポツダム会談を前に報告されていたと推測する次第である)

側近のフルシチョフ、ミコヤンらがスターリンに危惧を抱く理由は分かる。明日は我が身、己の身への粛清を怖れていたからである。「花束少女」「ピオネール少女の励まし」などはねつ造神話であると、とっくに知っているし、フルシチョフは側近中の側近なので、でっちあげ本人かも知れない。

ケナンは大使として面談するのは就任の際の一回のみながら、これほど的確な分析を可能せしめた能力には驚かされる。書記官勤務が大粛清(1934年~37年に最盛)と重なっている事実は要因であるが、ひとえに個人資質によると思いたい。上記の2少女挿話に臭う作意に、すっかり鼻を曲げてしまったのだ。
ネット百科で調べるとこの長文報告が基調となって、戦後の封じ込め外交が展開され段取りとなる。 スターリン神格はねつ造と見破った人物の功績は大きい。

ソ連国民よりも10年以前に米国はスターリンの本性を知っていたといえる。

尚、日本は;
1944年9月、日本は大戦を条件付き降伏で終結しようと「ソ連を通じて」連合国に働きかけた。当時のソ連大使佐藤尚武氏は、これを実行ある計画とは判断せず、消極的であった。彼はスターリンの本性が裏切りに根ざすとを知っていたのだろう。国内の外交中枢がスターリン評価を佐藤氏と共有していれば、そうした企てなど立案されなかったであろう。

(小筆は佐藤尚武氏を存じていなかった米大使のケナンと同時期の駐ソ連日本大使をネットで調べてたどり着いたが、大変立派な経歴である。彼にして、スターリン像はねつ造と気付いていた。偽り神話を見破ったもう一人がいた)

ソ連の市民はスターリンは「慈しむ父」を、プラウダの教化であろうか、盲目的に信じていた。

死に神の報復(ホフマン著、白水社刊行);
ソ連の毒ガス、細菌兵器開発の実態を曝いた告発書である、その廃絶にはゴルバチョフを待たねばならないとして、同氏の紹介にあたり簡単な家系史が挿入される。本書から一節を借りる。ゴルバチョフが7歳の年;

>ゴルバチョフの母方の祖父パンテレイは1936年(花束少女の年)に「反革命組織のメンバー」として逮捕された。1938年に釈放された。その間の状況など一切口にしなかったが、ある夜、ぽつりと家族に「どんな風に殴られたか、拷問を受けたか」を語った。そして「スターリンは秘密警察の悪行を知らない、逮捕、虐待は自分の不運の故だからソヴィエト、スターリンを恨んではいない」と加えた(同書297頁)<
悪いのは取り巻き、スターリンは人民の父親だから、こんな悪さを命じるわけがないと祖父は信じていたのだ。

花束少女の父アルダン・マルキゾワは1938年に逮捕、銃殺刑に処された。獄中から、かつて出会い神話ねつ造に一役買ったよしみからスターリンに無実を訴える嘆願書を発送した。彼も悪者は秘密警察、スターリンがこのような非道を命じる筈がないと、ねつ造神話の効果に騙されていたのだ。娘をして花束少女に仕立てた宣伝の勝利が、まさに身に跳ね返った。

以上、実像とねつ造ののスターリン仮姿を挙げた。

ここに奇妙な変身の様に気付いた。

信じやすさの機能(2019年8月31日ホームページ投稿)クリック、で人の本性を行動(信じやすさVS疑い深さ)、と精神(善意VS悪意)の2軸で説明できるとした。PDFにエッセンスを述べているからをクリック。
スターリンを疑い深さ・悪意の範囲においた。一方、イスラム教ラホール分派をその対極にした(レヴィストロースの「悲しき熱帯」文中の解説を借りての分析)。この位置(PDFにおいて右上)とは、全くのイエスキリストの位置である。
実態がどうであれ、悪意のスターリン(本来位置はPDF左下)を「信じやすい・善意」の対極に移動させる、これがねつ造の原理では無かろうか。

1の了

 
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