南米アマゾニア、マトグロッソの月分け年間降雨。乾期(毒流し漁)のピークに月差が見える。漁を告げる星座(プレアデスやオリオン三つ星)が異なるのはこれが背景であろう。
地域によっては星座の導きとは別の指標を取る部族もあるかも知れない。

周期性の確立をsyntagmeに取る神話でも指標が地域ごとに変容する理由が伺える。
(民族誌学の分野なのでここでは指摘のみ)クリックで拡大。生と調理挿入図から。
コロロマンナが射止めて悪霊がねらった獲物は吠え猿。膨らんだ腹を夜通し叩いて、悪霊を追い出した。「あいつの膨れ腹を叩いたらでかい音が出る」と族民が納得。なぜってこの皮は太鼓に使われるから。
クリックして拡大。図は「生と調理」の挿絵から。
レヴィストロースが神話学第一巻の序曲で展開した
神話表現の3分節論は
個体としての神話の
解析です。
本稿で取り上げた神話群
のグローバル野は、群れとしての神話の
解析です。
趣旨は共時因果(神話の
主張であります)と経時
因果(展開)がグローバル野を作成し、
神話群はその野に納まるとの主張です。
共時因果は分析思考、
経時は弁証法思考
です。


カント哲学の人類学への応用であります。(蕃神)
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2019年10月15日
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ボロロ族酋長 
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 (人類学) 投稿20191031
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群としての神話の規定を前回(神話から物語りへ2)に説明した(神話群のグローバリズムをご参考に、もう一葉こちらは神話伝播を説明している)。神話学第一巻「生と調理」の前文(序曲)には単体としての神話の構造を解説している(「生と調理2」(2019年6月が、こちらも化している。参照としてリンクしてください。

 

シミデュの冒険神話(M60Tukuna族)がモンマネキ神話と他の同類神話とで形成するグローバル野に位置を占める事ができない理由と、それら神話の群に仲間として認識されない仕組みを明らかにするに、本書「食事作法の起源」95頁の記述を引用します。

On ne saurait pourtant négliger le fait que ces mythes apparaissent très différents quand on les envisage sous l’angle syntagmatique>

動詞savoir(知る、できる)の条件法sauraitをここで用いる。この場合は<Pour marquer un fait douteux, en particulier lorsqu’on presente ce fait comme une assertion>疑わしいと示すものの、とうの本人(主語)は断定している。一歩の踏みとどまりの含みを見せるが、それは修辞で読者に判定を委ねるため。こんな用い方である(文法書Le bon usage)この用法は「条件」法の意義から離れると同書に注釈がある。

訳;しかしながら「読者に判断をゆだねるが」syntagmatiqueの視点から両神話(モンマネキ、およびシミデュ神話)を比較すると似通いは全くない。

 

当該神話群でのsyntagmePDFから抜き書きすると;天体の創造、日夜の交代など「天文周期性の創造」が含まれる。再確認はPDFで。しかるにシミデュ神話にはそれらがsyntagmeとして、別の言い方でanalytique(分析思考)として、さらには共時性因果として、筋立てに反映されていない。天体と関連するのは庭番のVenkicaの膝をシミデュがしこたま打って、脚無しにしてオリオン座に昇天させたくだりがあげられる。しかしこの発端はM362の筋(兄嫁にそそのかされた次弟が末弟を殺して脚を切り取った)、polyandrie一妻多夫にまとわりついた罪、そして罰の葛藤は天衣無縫シミデュには読み取れない。Syntagme(分析思考)がparadigme(弁証法思考)に影響する、さらに前者と後者が枠となり群としての神話の伝達意志、筋道、背景を拘束する仕掛け、これがglobalであり、この枠内にシミデュは住まない。

Tous deux affectent la forme d’un récit a episodes mais, dans M354,  cette ressemblance est trompeuse puisque  nous avons pu mettre a nu derrière la forme une construction dont les éléments, observes dans des perspectives diverses, s’agencent toujours avec precision>

訳;2の神話は語りの流れを挿話のつながりとしている点で似通う。しかしM354(モンマネキ神話)についてはすべての挿話の帰結が、ある原理に支配されているのだから、(形だけの)似通いは当てにならない。我々(レヴィストロース本人)は形態の背後に潜む、とある「構成」をすっかり裸にしてしまった。構成体の各要素は正確にあるべき処に収まるからである。

「転がる首」神話に限らず、神話群が規定するglobalに位置を取れば、その神話はsyantagme/paradigmeが固める枠、制約(contraintes)を受けるから語り口が整うとの主張である。そもそも、そうした制約が神話群の規定である訳です。
上記の「ある原理」とは狭くはsyntagmeの制約、広くはglobal野の規制と言える。

 

それでは、いかなるglobalからも外れる神話は何を表現するのか;

les types dont ils (=episodes) relevent semblent resulter d’une invention plus libre, toute prete a s’affranchir des contraintes de la pensee mythique si même elle ne l’a déjà fait.On peut se demander si l’histoire de Cimidyue n’illustre pas un passage significatif du genre mythique au genre romanesque, dont la courbe est plus souple ou n’obeit pas aux mêmes determinations.>

訳;それら挿話が取り上げる登場者の行動や形態は全くの自由解釈に寄るものである。神話的思考(la pensee mythique)の制約を乗り越える手前、あるいはもう乗り越えてしまっている自由さを享受している。

物語に移行する際の選択はかなり柔軟で、登場する人物動物などの規定(神話の3分節PDFが伝えるpropriete)も無視している。神話から物語りへの移り変わりを表す例としてシミデュ神話を取り上げないとすれば、なおいっそう自問しなければならない。

(注:なお一層の「自問」とレヴィストロースは断定には踏みとどまる。しかしそんな結末にはならない、断定しているのである。修辞として引き下がっているだけである)

 

シミデュに脚を砕かれた庭番はVenkicaと伝えるが、これは凶悪鬼である。それがたかが女のシミデュに打たれ「しゃべるなよ」と脅され、ジャガーの問い質しに「あの大女にはほっといてくれ」と泣いた。こんな語りを聞いたら族民は、Venkica定義、3分節でのproprieteの無視に走り、神話的思考から解き放たれて、ヤンヤの喝采をあげただろう。

 

もう一例;

M317 Warrau族 コロロマンナ(Kororomanna)の冒険(蜜から灰へ332頁)

狩人コロロマンナは吠え猿をしとめ村に帰らんとするが日が暮れた。仮の宿をこしらえ一夜を過ごす。夜ふけて適地でなかったと知った。<son campement est en plein milieu d’une route frequentee par les demons>仮の宿りの周りに、ありとあらゆる悪魔が出没し始めた。身動きせずに潜んでいたが、獲物の吠え猿がおならを漏らした。死後、腹に溜まったガスが勢いよく漏れたのだ。悪魔に獲物を取られてはならじ、臭いけれど獲物を手元に寄せた。しかし悪魔が臭いをかぎつけた。

Il eu envie de se moquer d’eux et répondit a chaque coup en frappant le ventre du singe avec son baton>

訳;奴らを馬鹿にするしかないな、悪魔が脅し声をあげるたびに猿の腹を棒で打った。

 

その腹が打たれる度に猿がボンボンと騒音をまき散らす。この音が悪魔の力を凌いでコロロマンナにも猿にも、悪魔らは手出しはできなかった。<Il riait aux eclats d’entendre une bete morte peter si vigrousement . Le chef des demons se desolait de ne pouvoir faire un bruit aussi beau>猿がでっかいおならを放ってコロロマンナも大笑いした。悪魔の親玉はこんなにすごい騒音は出せなかったと悔やんだ。

神話ではこの後も破天荒な冒険話が続く。筋立はシミデュ神話と同じく挿話の繰り返しでそれらの内容は神話的世界の決まり事、制約から大きく離れる。

 

夜に音を立てる、新大陸の多くの部族で禁忌である。夜泣きする子をもてあます母の悲話も神話に取り上げられる。祖母に一旦は預け、引き取りに行くと「孫など預ずかったりしてない」祖母は否定する。夜泣きを嫌う鬼が、祖母に化けて預かったわけだ。

しかしコロロマンナはこの禁忌を豪快に破って、悪魔共に一泡吹かせて獲物を守った。発想が自由闊達、奔放自在。こんな語り口を聞いたら族民は拍手喝采をあげたかもしれない。

 

破天荒な筋立てのM60(シミデュの膝叩き逃走)、M317(コロロマンナの吠え猿ドラム叩き)、さらにM402,404(本文に掲載無し)は元々が天体コード神話の伝播を受けて後に変容したとしている。

au terme d’une serie de transformations dont le point de depart theorique se trouvait dans des mythes sur l’origine de certaines constellations. De ces constellations, nous avons passe a d’autres, puis a des symboles logiques de constellations sans existence réelle (c’était le ca de M354) >(104)

訳;そもそもは星座の起源に関する神話の伝播を受けた派生神話の幾つかがある。それら星座について検証したが、具体価値が(伝播先の部族では)見つけられないから、シンボルとして名目だけに変遷した可能性がある。M354モンマネキ神話がその好例であるとする。

(シミデュでは膝を打たれたVenkicaはオリオン座に昇天した。これが天体コードの名残り)

モンマネキにおける天体コードの遺構を述べると;

嫁取り挿話の5例目「上下分離式」は人間の嫁。これを天体コードの伝播例とする。

原型はM136 Arekuna族伝承のJilijoaibu(プレアデス)が姑を殺す(生と調理250頁)である(=部族民蕃神の解釈)。その要約;姑は己の子宮からひねり出した魚を婿(プレアデス)に与えていた。その現場を目撃した婿は怒り、姑が「漁に出る」と称する川岸にガラス(ママ)破片を撒き、葉で被った。それと知らず踏みつけ脚を切り、よろめいて体中傷ついた。血を吸ったガラス片は投げられピラニアに変身した。姑は水生植物に変身した。婿は昇天しプレアデスとなった。

Arekuna族はヴェネズエラ、ブラジル北部に居住。モンマネキ神話のTukuna族とは水上交通で交流していたと思われる)

ここでは魚と漁労の起源、天体との関連が説明されている。プレアデスは漁労(毒流し漁)の開始を告げる。この漁労は天体に呼応し年単位の周期性をしきたりとする。毒は動物の血であってはならず、植物由来と決まっている。ここにも年の周期性が認められる。

モンマネキ神話での天体コードとは。両者を比較しよう。

分離した下半身から経血を垂れ流し、嫁の上半身は水に浮かんでピラニアを掬い上げていた。子宮と魚の連関は認められるが、それは行為としてのつながりである。モンマネキ神話には天文コードによる周期性は見えない。姑が嫌ったのは特異身体であって(経)血流しの漁ではない。再合体を姑の工作に阻まれ、上半身がうろつき廻りモンマネキの背に取り付き(ここには月に変身したがん首神話の名残が読める)、最後に「どっかに」云ってしまったオチに終わる。しかし天体プレアデスも年周期を求める漁労も、植物由来毒を使えとの戒めなどどこにも出てこない。

 

M136 M345(モンマネキ)2の神話を比べると;

1 前者は天文コードを展開し周期性を呼び出す。これを基盤としてsyntagme・共時性因果を表した(漁の開始とプレアデスの出現)。

2 後者が取り込んだのは社会コード(code social=婚姻同盟の形成)と身体コード(code anatomical)であり、それを持って姑が嫁との同盟を否定した(分離式と垂れ流しでは文化の創設は不可)。決して(周期性に欠ける)子宮由来の毒を否定したわけではない。

3 ここでのsyntagme共時性因果は婚姻同盟なので、M136の挿話を取り込んでも粗筋の似通いは認められるも、共時性因果までは導入できない。モンマネキ神話等のパラダイムPDFを参照(注:モンマネキ神話のみを取れば天体コードは現れない)

 

神話は語られる。新たな語り手を取り巻く環境と伝播された内容に齟齬が見つかれば筋、登場人物動物など語り手聞き手の判断で変遷するし、語りの新たな筋が族民に受容されれば、改訂版が流布される。

comme le linge tordu et retordu par une lavandiere pour exprimer l’eau qu’il contient, la matiere mythique laisse progressivement fuir ses principes interne d’organisation. Son contenu structural se dissipe. Au lieu des transformation vigoureuses du début, on n’observe plus a la fin que des transformation extenuees>(105)

洗濯女が布を浸しては水を絞る、布が含む水を絞って出すたびに布の組成が変わっていく。神話の伝播でも同様だ。神話素材が変遷する行程で内部に宿る成分が抜け出てしまう。素材どうしが寄り集い、構造としてまとまる仕組みが抜け消えてしまう。伝播する初めには荒々しかった変容が仕舞いには、力の抜けきった弱々しい移行体に落ちてしまう。

(「寄り集い構造としてまとまる仕組み」を小筆部族民はsyntagmeparadigmeが形成するglobal野と理解する)

 

Ce phenomene nous était déjà apparu dans le passage du réel au symbolique , puis a l’imaginaire et il se manifeste maintenant de deux autres façons : les codes sociologique , astronomique et anatomique qu’on avait vu fonctionner au grand jour passent désormais a l’etat latent ; et la structure se degrade en serialite >()

この衰退現象についてはすでに実体から表象、そして空想へと空転してゆく「伝播道のり」を解説する中で取り上げている(本書68頁=この伝播衰退の仕組みは別項で取り上げる)。本項ではこの衰退が2の様態を見せる事を指摘するのだ。一は社会コードにしても天体、身体にしても、コード(神話の3分節PDFを参照)が衰退する傾向が指摘される。二には神話構造それ自体が直列(serialite)伝播の経時疲労を受け弱体を見せるのである。

 

基準神話が見せている主張の強烈さは、コードとその発展(コード進行)が明確な直線方向であったからで、一旦形成され伝播を重ねるなかで、その構造と方向が弱められる。これをして物語化すると言う。

最後に;

レヴィストロースは神話の物語化をroman-feuilletonなる言葉で比喩している(105)。その意味を辞書で尋ねると<episode d’un roman qui parait regulierement dans un journal. Histoire de rebondissement (affaire scandalouse)新聞に頻繁に出てくる逸話物語。刻々と様相を変える物語、多くはスキャンダル(ロベールミクロから)。小筆は例として新聞社会面の定番記事「お涙ちょうだい」、例えば家族の絆、母と子のつながりなどの物語を連想している。

神話から物語りへの了

 

 
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