世界スプリント10連勝の中野浩一選手(写真)に求められたのは11連勝でも12連勝でもない。次の10連勝だった。序列数詞の特異点10の魔力。写真はネットから。

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数え方には基本数詞(による数え)と序列数詞のそれと2通りになります。

北米民族の、
序列数詞の特異点への執着、回帰性にレヴィストロースは注目して、そこに文化の周期性を見いだした。
これをにまとめました。

日本人もこの特異点の10には複雑感情をいだきます。

部族民蕃神10月15日
北米先住民の特異数10の例;写真左は雷と蛇が10とそろい戦いに入る(季節の周期性の説明)、右は蛇の1~5が雷の6~10と戦い、その戦いが蛇6~10対雷1~5に替わっていく。1年を現す。
下図はシャイアン族10人兄弟(下)と

マンダン族神話。マンダン族は10+1の力で10-1のシャイアンを破った。
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(写真の出典は食事作法の起源)
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2019年10月15日
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  人類学 投稿2019年10月15日  
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部族民通信・蕃神(ハカミ)義男
   

本書L’origine des manieres de tableは第6Balance Egale(辻褄あわせ)267~310頁に入ります。数進法の解説から入ります。月の満ち欠け月経の起源など、これまで論じてきた「周期性」との連関に理解が巡りにくい理由は、前に展開していた文化論とは論調が大きく異なっているから。そこで結語から;

 

1      数え方には2通りある。一は基本数詞(nombre cardinal)、これは「conception内包される概念」による数え方、1からはじめて2,3,4へと進む。概念なる理由は個々の数詞に数量の意味「=概念」が含まれるから。2と言えば2個、2ccと分かる。故に数列から取り出しても5個、10個と数量を伝えられる。

2      もう一方は序列数詞(nombre ordinal)。数詞には数量の概念がない。序列の中での位置との属性を持つ(=意味、signification)。個々の数詞が前と次との関連(序列)の関わりで意味(=順序での位置)を持つから、抜き出したら裸になってしまい、意味が消える。

3      それぞれの特徴。基本数詞の特異点は折り返し点(10進法での10)となる。折り返し点をすぎても111213なる数量概念を内包し増進するので、周期性ではなく「発展性」を持つ。折り返しと位取り(万、億など)をくみあわせて、無限に進展できる。一方、序数数詞は「数え終わり」に特異点がある。数え終わったら最初から数え直す、ここに無限の周期性を内包する。

4      北米の部族では序列数詞による数え直しを「周期性」とする思想を神話に反映させている。また基本数詞の特異点と序列数詞のそれとを合わせ考えている部族が多い。数量による仲介である。
本書
6部の主題が特異点10(あるいは12)の周期性である

 

わかりにくいので序列数詞による数え方の例;

(日本語では) チュウ、チュウ、タコ、カイ、ナ。5拍子で数える。一の発声で2ヶづつ摘み、ナで10を分離する。20を分離したければ再度試みる。ヒィ、フゥ、ミィ、トオはより一般に使われる序列数詞である。しかし若干ながら基本数詞を借用している(ようだ)。ナナ、ココノツには数量概念の内包が認められる。単独使用でナナ歳、ココノツ(9歳)と意味を成すから。

 

北米インディアン(Mandan族など)では10進法と序列数詞を組み合わせている。1,2,3…10までの数詞に「チュウチュウタコ」にあたる数詞を当てている。

前述のとおりで、序列数詞を序列から抜き取ったら意味を成さない。この証明はリンゴ1個、美人3姉妹は数量の意味(概念)を持つ基本数詞を用いてのみ伝わるが、リンゴチュウ個、美人タコ姉妹などと(数量概念が欠落する)序列数詞での代用は不可能である。

「前に展開していた文化論とは異なっている」とは、周期性を自然現象と重ねていた文化論(月の満ち欠けが月経、日夜の交代が日々の活動など)と異なり、数詞という人工に周期性を与えている洗練の具合を云う。比べれば「交差イトコ婚」「部族あげての贈り物合戦」なども周期性を人工に託した洗練思考である。

 

以上を踏まえて基準となる神話から紹介;

M465 Hidatsa族 les bisons secourables 救いのバイソン(270頁)

あらすじ:ある日、村に小太りで醜い風体の男がふらり現れ、賭を挑発した。村人は受けて立つが負け続ける。バイソン婦人(la Bisonne=大文字で始まる)がこっそり「あの小男は太陽神の化け姿、武器をすべて巻き上げてから、手下部族どもが村を攻撃に来て村の男すべてを殺す手はず」(村の長に)告げた。「乗っ取られる」頭を抱える村人に婦人は「一つだけ手がある」。やり方とは;若者達がすべての神(les dieux)を招待しふんだんな料理で饗応し、さらに彼らの若妻を伽に差し出すと。

早速、神々が呼ばれた。若者達はバイソン婦人に宴の執りしきりを願うが、婦人は表には出ず月に「一番の別嬪を与えるから」約束をとりきめ企ての共犯に呼び寄せた。

部族あげての神々への饗応が始まった、婦人は月を通し太陽に宴に入り込むよう誘うが、疑いを払いきれない太陽は断る。宴もたけなわ3夜目、月が「お前に当てられる筈の新妻は別の神に渡されるぞ」と太陽をせかす。宴の館に近づき中を覗くも、太陽は入らない。

4夜目、太陽は館に入った。バイソン婦人が近づいて甘い言葉で誘う、お前と寝たいと。

原文は<<Soleil se sentit floue, car la Bisonne avait deja ete sa maitresse. Mais, en ces circonstances, on n’a pas le droit de refuser. Et il s’executa, bien que ce retour aux anciens errements ne lui plut guere>270頁)

「騙された」(floueflouerpassifaccentが被さらないにはご容赦)と太陽は気づいた。なぜならバイソン婦人はかつての愛人だったからだ。でもこんな状況、周囲は宴の真最中で宴とはMandan族が神々に約束した「新妻夜伽の饗応」、昨夜に盗み見た状景とは私に回るはずの美形が月に抱かれじゃないか、に陥ったら突き進むしかない。

上引用中のerrementsは常日頃のやり方、あるいは間違ったやり方。否定的に用いられる。「腐れ縁」は強すぎて昔の「縒り」では弱いきらいが残る。「飽いた仲」。

バイソン婦人の甘い誘いを拒絶する手だてなどない、実行してしまった。焼け棒くいは拾わねば据え膳食わねば。昔なじみの浮いた肌しみる入る汗の香が慣れし懐かし。腐れ縁の再現に喜びはなかった。しかしこの気の緩みが太陽の大失敗。

Et voici l’effet du coit : le pouvoir surnaturel de Soleil passerait aux Indiens>

訳;この性交を通じて太陽が持つ超自然の力はインディアンに移った。

12の敵部族が太陽の息子に率いられMandan村に攻め入ったが、もはや太陽ご加護の神通力は無くなった。村人の反撃に屈した太陽息子、彼に率いられた12部族長が首は狩られた。バイソン婦人の機転がMandanを救った。

 

留意として;

Hidatsa族は12の数字に特異点を感じている。12まとまれば強力となり、近隣に覇権を打ち立てられる。その強力を具現しているのが「小男の太陽」であり、彼が勢威を振るっている間は特異点の12の威力は消えない。バイソン婦人が性交を誘ったのは小男太陽が秘める12の力を抜き取る手はずだった。

 

M465神話のあと数進法に論点が移ります。

各地の神話の主人公の兄弟姉妹の数から5進法、6進法などの例を挙げるが、小筆にて数理は門外漢なので字面を斜め読みすると、北米でも10進法が支配的として;

Quelle valeur s’attache a la dizaine.? Bien que les connaissances sur les systems numeriques des indiennes laissent beaucoup a desirer, on sait que les systems  decimaux reganaient en Amerique du Nord. En revanche, a l’ouest des Rocheuses, on trouvait des systems tres divers:>同書276

訳;10のまとまりの価値とはなんだろうか。アメリカインディアンの数システムについては十分な知識が集められている訳ではないが、北米では10進法が主流。しかしながらロッキー山脈の西では他の数進法が用いられている。それらは<<quinaires-vigesimaux, quinaires-decimaux, decimaux purs, ou quternaire>の進法である。

見慣れない語が並びます。辞書に照らすと520進法、510進法、純粋10進法、4進法など。数進が紹介される。

 

On (Salzman) a propose de classer les systems numeriques en function de trois criteres> ザルツマン氏(wikiで検索出来ず)は世界中の数進法を3の基準に設け、分類した。

1  constitution基本数進法。これは数を示す用語が還元(termes inirreductibles)できない部分と、派生(合成derives)される(還元できる)部を識別する進法である。すなわち10進法では1~10までは(還元できない)固有の語(イチニィサンシ)かまずあって、10を超してから派生するジュウイチ(10+1)ジュウニ(10+2)が出てくる、これらは分化し還元できる。こうした数進法である。

日本語では11をジュウイチと云う、これは10+1に還元できる。フランス語では11をディス10dix)アン1un)とはせずonze(オンズ)と言う。onun zedixの短縮に他ならない。以下12douzedeuxdix13treize…10を折り返しにして還元できる数詞が出てくる。この辺りはetymologie語源学に当たってください。

2 サイクル。特定の数字が「折り返し点」となり、またも1から始める仕組み。イチニィ10,20,30…で折り返す。 

3オペレーションメカニズム。これは例えばニジュウニなる意味が数量として22であることを担保する仕組み。足し算の原理と理解すればよろしい。10進法に生きている我らは1~3を理解できる。

 

そしてレヴィストロースは<D’autres auteurs ont objecte que cette reforme laissait encore trop de champ aux interpretations subjectives.訳;この立て直し作業(Salzmannの説)は主観的解釈の影響を残すと幾人かの研究者(レヴィストロースのこと)からの反論を呼んだ。

 

奇妙な数え方を尊師は報告する。eskimo, athapaskan, penutien族(エスキモはご存じ、アサパスカンはエスキモ隣接部族。アラスカ、カナダ北東部に居住。penutienはネット検索で探査出来ず)。彼らは1から6までを特定する用語を持つ。それら1~6は還元できないから(6=5+1と表現しない)基本とサイクルで6進法となる。しかし3のオペレーヨンメカニズムが狂っている。7を指す数値を6+2とする。以下8=6+39=6+4と数える。

 

足し算の原理に反している。どの先住民にしても7=6+1の原理は知る。7=6+2とするのは数進法の考え方であって、数の単位とそれに結びつく「思想」に対する定義が、彼我で異なるからなのだとレヴィストロースは示唆する。(合理的解釈の)Salzman定義では7=6+2の数進の思想は説明できない。そこで;

Dans le domaine de numerologie comme ailleurs, il faut determiner l’esprit de chaque systeme sans introduire les categorie de l’observateur> 訳;それ以外分野でも同様のことが指摘出来るが、特に数進法においては、観察者の持つ定義づけを導入せずに、それぞれ(先住民の)システムについての「エスプリ理念」を解明すべきだ。

 

人類学的な方法論を持ち込んで数進法の独自理論を展開する;

Entre le nombre ordinal et le nombre cardinal, la somme arithmetique assure une sorte de mediation,puisqu’elle permet toute a la fois aux nombres de parraitre l’un apres l’autre , et d’etre presents en meme temps>289

訳の前に若干の解説を。

(前述の繰り返しが含むが、Blog投稿の原文を残す)
数詞には
1)「量を表す」数詞。これをnombre cardinal白水社の大辞典で基本数詞とする。GRに当たるとgrandeur mathematique, puissanceその数字が表す大きさとある。これに対峙するのがnombre ordinal(序列数詞、le rang d’un element dans un ensemble bien ordonne.一つの集合体の中での数え方の順番。出典は同)とある。

 2通りの数詞に加えレヴィストロースはla somme arithmetique 数量詞(足し算合計)なる概念を導入した(彼の独自か数理論の借用かは知らない、きっと前者と思う)。cardinal1,2,3自体が合計(数量)の概念を含むのだが、あえてsomme…を別だしとした根拠とは1,2,3は表層の言い回しでその奥に思想に(数量)が潜み、その思想が伝える数量をsommeとした。さらに基本数詞cardinalに含む数量とは常に途上の未達成数量で(なぜなら順列の中に曝され、常にその数量を引き継ぐ数量が用意されるから)中ばの概念が加わるとも伝える。

 

以上、予備知識とし前引用を(部族民通信は)以下に解釈する;

<序列数詞(チュウチュウ)と基本数詞(1,2,3…)の間には数量詞somme arithmetiqueが仲介役(mediation)として働く。

1,2,3…と順繰りに引き出でてくる仕組みとは、基本数詞に内包する数量を、数えている者に、その時点での合計を教えている。基本数詞は数量を内包(conception)するので序列数詞と異なり単独で存在できる=単独属性を持つ。順列を止める合図のある時、あるいは折り返し点(10100など)で特異点を持ち、その数量、力がそこの場に所有される事になる。

基本数詞とは進展であり、序列数詞とは同時性である。序列数詞の特異点とは終結する点で(チュウチュウでは「ナ」)、それまでは各個は共時性を共有するのみ。この特異点10ではその絶対数量とそれと結びつく属性が全面に出現する。それは力、性格などの「充満」の意味づけである。
本書L’origine des manieres de tableは第6Balance Egalではそのように理解できる。

 

要約:数進法をsyncronie(共時性)とdiacronie(経時性)と組み立て直し、仲介媒体として数量詞なる概念を持ち込んで、数え方の「思考」に迫った。

 

この考え方で前引用エスキモ(イヌイット)7=6+2を説明すると;

6進法である、16は基本数詞であり還元できない。それぞれは数量詞としても用いられる。6となって数量がひとまとまり、折り返し点、特異点に達する。また1に戻るが特異点に1度を達しているのでこれを6+1で表す。折り返し点の特異性である。7とは特異点の6+1の次数となるから6+1+1となる。これがesquimoの数え方で、基本数詞の経時性に序列数詞の共時性思考を組み入れたと理解できる。

(小筆の解釈。レヴィストロースは常に良き提題者であり、解答は読者が見つけてくれと勧奨するので、解釈の一部は部族民流です)。

 

10進法では)基本数詞における折り返し点「10」が内包する特異とは;

la notion de decade nous a suggere qu’elle exprimait la plenitude>288

訳;10日間(あるいは兄弟10人の単位など)10の数量詞に充満、横溢の思想を振り付けたのである。(途中の7,8,9などは序列のみで数量の概念を帯びていない。非特異点である)

Salzmanの数進法解説では新大陸先住民のcardinal(基本数)に潜む思想を説いていないから、イヌイット的数進法(7=6+2、すなわち7=6+1+1)を解明できない。さらに、新大陸先住民は基本数詞の折り返し点(10進法なら10)にも、序列数詞にある特異点の概念が内包されるとの指摘です。

(数の「数え」には)この特異点があるとの思考を明瞭に表すが序列数詞である。

新大陸先住民は兄弟(姉妹)の名称に序列数詞を用いる。兄妹、姉弟の混ぜあわせの数えは(引用される神話に限り)これまでに検証されていない。あくまで男、あるいは女の数である。(日本語でも兄弟と姉妹を分ける)。10進法なので7~9兄に該当する序列数詞があったはずだが、長兄、次兄と続いて6兄まで(それと最後の10番目)の固有の序列数詞が復元されている(らしい)。

兄弟は10で力が充満するから、そこで終わり。最後の10番目の弟を表すにbenjamin=「末っ子」の言い方は都合がよい。ただしも何人の兄弟がいても(米仏、日本では)benjamin末っ子なので新大陸の用法とは異なる。先住民の数法ではこの10番目の末弟にmediateur(仲介者)なる神聖性格が被さる。その性格とは「plenitude, puissance, satulation充満、力、飽和」の意味であるとレヴィストロースは教える。
数え方の思想をPDFにした。クリックを。

 

姉妹を兄弟から排除する数え方、兄弟が幾人姉妹は幾幾人と伝える別立て数えは、おそらく世界の民族部族で共通かと思う。兄弟と姉妹には性格が異なるので、合わせても結集する力は無いのだ。新大陸先住民の神話でも10と揃えるのは兄弟か姉妹かでしかない。

 

M476289頁)Fox族の伝承;

Benjamin(10人兄弟の)末弟に課された義務は「失われた魔法の矢」探し出し、戻ること。探査に10日、帰還に10日の期限が認められた。一日探して近くの村に宿を借りる、宿先では主人に見込まれ「娘の婿に」を申し入れられる。benjaminの答えは必ず「かたじけないお申し出、しかるにそれがし今は流浪の身、魔法の矢を探し出さねばならぬ、探し見つけた暁の帰り道には必ずや立ち寄ろう」これを10夜繰り返し、魔法の矢を見つけ出し、帰り路は行きの逆で10の嫁を引き連れて村に凱旋した。

兄達に長兄には歳のいった老娘(demoiselle trop ageeドゥモアゼルトロアジェ)、次兄にはその次と嫁を振り分けた。自身にはもっとも若く見目の良い娘(ベルフィーユシャルマント)を残した。この采配が兄達に嫉妬を引き起こす。

留意点;

 

1      魔法の矢探しは末弟への通過儀礼の隠喩である。矢を見つけだし、行き10日と帰り10日で戻らなければ成人になれない。達成しないと集団は9の数のまま、未完成にとどまる。冒険に困難が伴った。10という特別な数字を背負う者には難事を課す。たやすく成就する試練で験したら、達成したとてひ弱な若者かもしれぬ。それでは9兄達が希求するpuissance力は充満しない。

2      過酷な試練を一の瑕疵すら犯さずに、末弟は課題を成就する。すると10兄弟集団の統治は長兄から末弟に移行する。末弟による嫁の振り分けが例証。Dans le mythe des freres celibataires, l’aine le sait fort bien, et c’est la, le motif de sa jalousie>(289)訳;独身10兄弟の神話では、長兄はそれ(統治の代替わり)を知るから、末弟の成功に嫉妬する。結局、集団はまとまらず内輪もめ、末弟は9人の兄に殺される。

3      嫁らはそれぞれ旅すがら一夜の妻、異なる部族(支族)の出身である。彼女らを10という単位に取りまとめなければならない。benjaminが一旦、すべてを己の嫁に迎えた理由がもう一つの10の整合であった。すると10の兄弟にしても同じ両親の血を分けた兄弟とは限らないとも推察できる。村落部族を通じての10の若者であろうし、9人の同胞が10番目の若者に試練を課してえり好みしていたかもしれない。一群の独身兄弟神話には父母の存在が希薄(出てこない)であるから、家族を越えた広域部族の単位での10の息子の取りまとめと考える事も可能であろう。

 

4      10を達成した集団が次に求める数は11でも12ではない。もう一つの10を求める。1112...などの序列数詞は(投稿子は知らないが)おそらく存在しないだろう。充満する10が求めるのは別の10である。1010との邂逅では多くが闘争。10兄弟は10の首級を求めるために他者10を殲滅し、集団の力puissanceをより貯える。

1~4の論点は一部が小筆の解釈だが、多くは文中のレヴィストロース文中の示唆による)。

なお10の次が11ではない序列数詞特異点思考については、自転車トラック競技で10連勝した中野浩一選手(右コラム上に写真)10の決断をアラカルトにしている。

 

M475神話Menomini族、東の空の姉妹、286頁)を紹介する。

天に10姉妹が住む。

時折、地上に下り立ち男を誘惑し無防備男を殺し、心臓を抜いて肉は皆で食べ分ける。地上に女が一人、弟(ヒーロー)を育てるが男食い天女を怖れ、用心深く弟を小屋の内に籠もらせる。ヒーローが成人(思春)を迎える年になった、見計らった10姉妹は地に下り、弟の前に立った。彼女らの後ろに心臓を抜かれた霊に果てた9人が生気なく従う。ヒーローが吹きかけた暖かい息で亡霊は正気に戻った。

10姉妹が入れ替わり誘惑する、ヒーローは最も歳の行った(醜い)老女を婚姻相手に選んだ。この選択が賢明、見かけの老女の実際は一番若くてそのうえ綺麗、なおさら夫への気遣いを惜しまない末娘だった。

en realite elle est la plus jeune at la plus jolie ; la plus compatissante aussi, puisqu’elle revela a son mari l’endroit secret ou ses seours dissimilaient les coeurs ravis aux prisonniers> 夫に秘密の場所、誘惑した男どもから抜きとった心臓の隠し場所を教えた。

それらを盗み取り亡霊9人をヒーローが蘇生させた。「裏切りヤツめ」鬼の天女に夫婦は追われる。夫は先頭にたった長女の膝を打ち跛行者とさせた。村に戻ると蘇生させた彼らも戻っていた、9人は実は兄、兄弟は10人にそろって東の空は鬼天女の住むところ、復讐に向かう。相手は9しかも長姉は跛行者で戦列から離れる、すると8に落ちる。女達とつながる悪さの根源の鬼も殺しそれらの母も息絶えさせた。若者は9の兄達に9の鬼天女を配偶に割り当てて(長兄には跛行の長女)東の空に残し雷となれと命じ、自身は妻と共に西に向かった。

 

この神話を前述で留意点とした1~4と対照し次の指摘を挙げる;

1      成員10番目となる末弟に課せられた試練は厳しい。東の空の姉妹の美醜10そろえから誰を嫁にするかと迫られる。勇気ある末弟は自ずからに試練を課し(醜い老女を妻として)、結果として麗しい妻を得ることとなった。M476Fox族失われた矢では末弟は(見てくれがよい)妹を娶って、内紛を引き起こした。

2      末弟は9の亡霊を復活させて、己とあわせて数は10と揃った。10にそろえば<plenitude en puissance、力充満>条件がそろった。

3      10の姉妹はあり得たはずの同盟1010を否定した、9男の心臓を抜き取った。10マイナス10を作戦としたのであるが。10番目若者の機転で返り討ちにあった。

4      M476神話では10兄弟は10の姉妹を求めた、10+10。これと10マイナス10の差異は神話表現の変異(ヴァリアント)であろう(と小筆は考える)

 

2神話ともにすべての展開において10の力を念頭に置いている。その展開とは;

1      10に整合するための集団努力

2      10の力をより強めるための選抜(10人目に過酷な試練、通過儀礼)を負わせる。

3      10の集団が相手に求めるのは別の10である。同盟する場合と殲滅とに分かれる。

4      対抗の場合には相手員数を10から減らす(バイソン婦人神話では12の魔力を根源の太陽から抜いた、天の10女では長姉を跛行にした)

 

数量詞としての10の威力に納得がいったと思います。

数進法あり方からの発展として、新旧大陸の思考の差異にもレヴィストロースは言及する。以下にそれを伝える;

Nous avons souligne cette difference entre pensee scientifique et pensee mythique : l’une travaille avec des concepts, l’autre avec des significations ; et si le concept apparait comme l’operateur de l’ouverture de l’ensemble, la signification apparait comme l’operateur de sa reorganisation>(290頁)

訳;科学的思考と神話的思考の差異はすでに説明したが、科学思考は「コンセプト思案」に基づいて働き、神話的思考は「意味合いsignification」で働く。コンセプトは集合体の開示として現れ、意味合いは再構成として現れる。(開示と再構成の区別が分からないが、何とかせねば、エイヤ!で以下の解説)

解説;数進法での科学思考とは基数詞優先、その思想の「数量」を常にコンセプト思案として内包する。継続して無限大に発展すると経時性の因果が基本。

序列数詞は、数詞に共時性因果の意味合いsignificationをもたせ、終結点(チュウチュウの「ナ」)にのみ特異価値をのせる思考である。終結点に達したら、さらに数え直す。ここに回帰、すなわち周期性がある。(本投稿の冒頭と重なる)

科学的と神話的思考とは、2の数進法における共時因果か経時因果か、いずれに重点を置くのかの「思想」の差異を説明している。

 

さて;

1      10の単位を基礎とする周期性(本文297, 350頁の図、右コラム写真)

2      10に達成するまでの人的(好悪、選択など)関与が強い。10単位は創成、維持再生産するではない自律性を持たない。

3      南米神話に見られる単純周期性;オリオン三つ星が出たぞ~魚をとるベ~、髪の毛座が見えていたぞ~魚取りは止めるべ~、とは異なる。交差イトコ婚などの人工による周期と近い。

この周期律の人為性が第4巻「裸の男」に連なるので、こちらと合わせて「周期性の北米ヴァージョン」を論じるつもりである。了

 

 
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