フランス語の美;

美しい形容詞はbeau、女性形はbelle。頻繁に口にする語ではない、強すぎる。ちょいと知ってるフランス女性に「t’es belle お前、綺麗だ」と言うと、単なる外見ではなく賛美が混じり、あなたの感情の動き「お前を好き」も伝えることになる。見てくれの良さのみを伝えるなら抑えて「t’es charmante魅力的だね」と軽くいなすほうがひじ鉄喰わない。


君が彼女(写真)にでくわしたら<t'es tres elegante>に止めよう(Brigitte Bardot)




さめざめと
ジュリエットは
泣いた

さめざめと

ジュリエット


泣いた




 部族民通信ホームページ   開設 令和元年5月20日 更新
 
酋長
    部族民通信 カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ3 (哲学) 
                   
 
蕃神(ハカミ)
   20189月から10月にかけてGooBlogに投稿、令和元年1210日加筆)  
   カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ3 (最終回)令和元年1210日投稿
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  (自由のおさらい
 

アンドレ・ジッドの代表作「狭き門 La porte etroite」は主人公ジェロームの語りで筋が流れる。語る本人は「私」、これはrecitと呼ばれる文芸の一分野です。いずれの行に目を落としても「私」が見た状景、感じ取った他者の表情反応に描写が止まる。アリサの心の動きをジェロームがどのように読み取ったか、彼の心情世界のみが綿々と綴られる。

しかし「私」の回りの視界は狭い、ジッドにしてもその限界に気づいていた。アリサは平素から日記(journal)をしたためていた。「その日記をジェロームが読む」の段が本文に続く構成はこの語り世界の閉塞を打ち破るためだった。

この日記をジェロームの語りに重ねて読むと、あれほどに対話を重ねた二人ながら、かくも誤解を重ねていたと知る。情けと思いのすれ違いのぎこちなさ。会話とはいかに頼りない情報交換の手段なのかと。

南仏ニームの葡萄栽培家に嫁いだジュリエットを、ジェロームが訪問する一節が物語の最後となる。
(本稿の2部でこの訪問のくだりを紹介した、一部重なる)

葡萄の作柄、夫と弟(ロベール=義兄の共同経営者となった)の活動ぶり、子供達の話などをジュリエットから聞く。夕が迫る時間となった。膝と膝の間に闇が忍び込む。

最後のパラグラフを引用します;

Je revoyais la chamble d’Alissa, dont Juliette avait reuni la tous les meubles. A present elle ramenait vers moi son visage, dont je ne distinguais plus le traits, de sorte que je ne savais pas si ses yeux n’etaient pas fermes. Elle me parraissait tres belle. Et tous deux nous restions a present sans rien dire>(ポケット版182

拙訳;ジュリエットがアリサの家具一切を移し置いた「アリサの部屋」に目を遣っていた。今、ジュリエットは顔を私に向けている。けれど、閉じていないはずの両の目なのに判別できない程だから、表情は見えない。しかし、とても美しいと見えた。沈黙を破る一言が、二人とも口に出せないまま、幾ときが過ぎていった。

Allons! fit-elle enfin ; il faut se reveiller…

Ja la vis se lever, faire un pas en avant, retomber comme sans force sur une chaise voisine ; elle passa ses mains sur son visage il me parut que’elle pleurait…

Une servant entra, qui apportait la lampe.>>(同、狭き門の最終

拙訳ジュリエットが沈黙を破った「進むのよ、目覚めて」。立ち上がり一歩前に進んだ、力すべてを失ったか、いすに彼女は崩れた。手で顔を隠した、泣いている。ランプを手にした召使いが入ってきた。

ジュリエットが泣いた舞台は夕闇、

部族民蕃神にはこの「夕べの暗がり」に想像が回らない。
商業電力が普及したのは
20世紀の初頭、以降、スイッチ一つで部屋の闇を明るく変える。以前には暗くなっても、薄い闇の間しばらくは灯火なしであったろうと小筆は推察するのです。では、どれほどの暗さになったら灯をともすのか、部屋にこもる二人に召使いが灯火のランプを運ぶまでは薄い暗がりだったであろうが、その薄さの具合に見当がつかない。

二人の闇に何が起こったのか;

ジェロームにはジュリエットの表情がよく見えない。彼女は「己を見ている」筈だが開けているその目が見えなかった。そしてその姿は「とても美しいと見えた」。目も輪郭もはっきりしない暗さなのに、なぜ美しい顔とジェロームは見たのか。理不尽なのだが、闇を抜けて美醜を感ずる仕組みを人は持つ。美しい「belle」を使っているが、この語は単に形態を評価するだけにあらず、憧憬の感情の動きも伝える。
愛くるしい娘時代のジュリエットを闇の幕間にジェロームが「見た」のであろう、その顔形は「振り返れば今にして、あこがれるほど美しかったのだ」との情念が湧いた。

立ち上がるも、すぐさま崩れ落ちた。ジュリエットは泣いていた。

泣いているとジェロームになぜ分かるのか。忍び泣きではない、しゃくり上げでもまして号泣でもない。声も音も立てずにジュリエットは泣いていた。落ちる涙が光ったからである。闇を切る一閃の涙の垂れで泣き顔をジェロームが察した。

なぜ泣いたのか。

優しく頼もしく、経営力のある夫。子に恵まれ、ニームの中心地に居を構える奥方様の身分。さいなむ悲しみを隠す筈はない。でも泣いた。

ジェロームがジュリエットを「美しいElle me parraissait tres belle」と見てしまったからだ。

ちょっとフランス語;美しい形容詞はbeau= 右コラムに=ひじ鉄喰わないために。  

はからずも美しいとジュリエットを見たジェロームの心の揺れが、言葉に出ず表情にも漏れず、しかし夕の暗がりを通して、いや、暗がりだからこそ、ジュリエットに伝わった。「なぜ今になって」はジュリエットの心の深みの悔やみが一粒の涙だった。

重苦しさから逃れようと立ち上がり、沈黙から離れたくとも心はここ、ジェロームの脇に居続けたいとへたり込んだ。
本の最終行を引用する。<elle passa ses mains sur son visage et il me parut qu'elle pleurait. Une servante entra, qui portait la lampe> 彼女は手を顔に当てた、私には泣いていると思えた。女中がランプを持ち、部屋に入った。

さめざめとジュリエットは泣いた。

カツ丼の自由 の了