言語学
ソシュールの意味論を
レヴィストロースは

「本質と思考」

哲学の主戦場に持ち
込んだ
leberteの訳語に「自由」を当てた諭吉の心情では、その実体なるデカルト自由を明治の世に定着させられなかった。
取り違えた自由が大正昭和平成と語り継がれ、令和のK氏のカツ丼悲惨を引き起こしてしまった。取り違えの源流を諭吉にさかのぼるのは、維新を見つめ直す事につながるのか。
どんな猿もフランス語が
上達しない
根本原因が
バレた




アチャー!
頭の限界
みならず、意味論
の猿的くびき

のしかかっていたのだ!

さめざめと

ジュリエット


泣いた




 部族民通信ホームページ   開設 令和元年5月20日 更新
 
酋長
    部族民通信 カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ 哲学 
                   
 
蕃神(ハカミ)
   20189月から10月にかけてGooBlogに投稿、令和元年58日加筆)  
   カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ 4   1~3部に飛ぶ
 番外「ジュリエットはなぜ泣いたか」
  (自由のおさらい
   

明治初期。文明開化、富国興産は国家の課題であり、それらの形而上の活動、欧米の文明思想の導入も活発だった。liberteなる概念に出くわし、自由と訳した。この博識は誰かに各論あるが、福沢諭吉との指摘は強い。その訳の意とは自己の由(よし)とする。しかるにそもそもこの語は、漢籍で気まま思うまま(大字源)とある。「勝手気まま」に通じる意でもある。(第2義に他から拘束されず自身の意志で行動するが載せられている)1義が古来からで2義は明治以降の自由であろう。

訳すに当たり諭吉はliberteなる語にまといつく、デカルトの教条、神レベルの無関心を知っていただろうか。投稿子は「知っていた、それが明治期の知識人の博識」と信じる。1万円札を眺めるだけでそうと判断できる。

邦国紙幣の最高額を飾る人物は初発行以来30年ほど、聖徳太子であった。2代目として、貨幣価値の崇高を保つ国家の重責を引き継いだが諭吉。二人の生年の差は1200年を超す。その間に思想家、文人、歌人は輩出したけれど、大蔵省あるいは政府中枢で、お偉い方が選んだのは諭吉だった。空海でも親鸞でもない。世阿弥、芭蕉、白石なんかもエイャ!飛び越えるほどの偉人である。17条憲法の1300年の後に現れた諭吉、その天才がデカルト理論に不明であったなどは考えられない。彼が訳した自由とは無関心の自由、神の自由、デカルトの自由その物であったはずだ。

平成の老人K氏は、利己心を滅却するなどの妥協を一切試みず、JR豊田駅前スクランブル交差点で「カツドン~」と叫ぶ「自由」をもっぱらの行動としている。この態度を「カツ丼原理主義」などと持ち上げてはならぬ。ただの「手前勝手」であり「勝手気まま」である。デカルト自由とは相容れない。しかるにK氏見識の浅さをこのブログで糾弾する暇、時間余裕を小筆蕃神は持たぬ。

言語体系が構造的に悪いのだと指摘したい。(ここで漸くカツ丼三題噺の一翼、構造主義を取り上げられる)

 

意識疏通の構造的欠陥が日本と西欧にあったのだ。レヴィストロースが説明するのは;

le malentendu entre l’Occident et l’Orient est d’abord semantique>>(TristesTropiques、悲しき熱帯の169頁)

拙訳:西洋と東洋の誤解はまず意味論においてであると。

 

諭吉はliberteは自由であると教えた。しかし往来で「カツドン~」と主張する自由はありえないとは伝えなかった。レヴィストロースが教える意味論とは、語の定義であり用法である。言葉と実体との相互性,reciprociteである。日本西欧の間に、この相互性の差異なる溝が隠れているのだ。

言語学フェルディナン・ド・ソシュール(スイス18571913年)は意味論の先駆者とされる。言葉(parole)とは「意味する、意味される=signifiant, signifie」の相互関係にある。意味の伝達において主体と客体の相互関係が成立しているとすると彼は伝える。この説をレヴィストロースが受け入れる訳だが、咀嚼の過程で彼らしく構造主義の細工を仕掛けた。その細工の独自な様をTristesTropiques(悲しき熱帯)でレヴィスロースが展開している。すなわち言語とは「思想と実体」の相互関係であると。

本投稿(GooBlog)で幾度か、この「構造主義的意味論」を説明している(猿でも分かる構造主義シリーズなど)。

ホームサイト(20195月)の開設にあたり、こちらを新規に訪問する奇特な方もいるやも知れず、まあその期待は秘めて、改めて彼の意味論を紹介する。

犬を例に取る。人は「犬の思想ideologie」を持つ。それは「四つ足、尻尾付き、鼻面….」となる。目の前を四つ足、尻尾付き、鼻面の動物が歩いている。人は自身の持つあらゆる四つ足を思い返し、「豚でない、猫とも異なる、鹿や馬との似通いが認められない。分かったぞ、あれが犬だ」と判断する。目の前の四つ足動物には形状(forme d’existance)があるのみで、そこに「犬の本質」は無い。本質とは物ではなく、物と思想の相互性に存在する。

犬の思想を頭の中で熟成する仕組みはカントの先験性である。先験性が人の思考を形成する、これはレヴィストロース本人が言っている。

 

この相互性、形状と思想の有様を深く見ると、人の思想が主体となり形状は客体である。

一方で、ソシュールでは実体の犬が言語paroleを喚起するのだから、実体が犬で、それを犬とした言語は客体である。レヴィストロースは言語学における意味論の主客を逆転させている。そして「意味なる仕組みsemantique」を西洋哲学の基調である「本質と思考」哲学の主戦場に持ち込んだ。

蜜蝋を眺めつつ、(物に隠れる)本質と(神が人に授けた)思考に思いを巡らすデカルトとの差異を一例に、また知覚の現象論(メルロポンティ)で、さらに本稿レヴィストロースの構造の定義で、読者諸氏は構造主義を理解するかと思います。

思想と物体とを対比させる構造主義の手法は、後の神話学4部作(生と調理など)に開花していく。

 

悲しき熱帯TristesTropiquesの一節を引用する;

ce sont les formes d’existance qui donnent un sens aux ideologies qui les expriment : ces signes ne constituent un langage qu’en presence des objects auxquels ils se rapportent>>(169頁)

拙訳;(目の前の犬)現実の形体が(犬の)思想に一種の方向性を与えた(犬を見て何かを感じた)。すると思想はその形体を表象として表出する(あれは犬だ!)。この相互の関係は、思想が表象する主体が、客体として存在する形と結びついた時にのみ、言語となりうる(思想と形体の相互関係)。

説明;この単文に構造主義のエッセンスが充満している。主体はideologie思考であり、客体はformes d’existance存在する形態。思想と形体は一蓮托生でなければならないとする。

これに続くは前回に引用した文。再引用となるが;

le malentendu entre l’Occident et l’Orient est d’abord semantique>(TristesTropiques、悲しき熱帯の169頁)

拙訳:西洋と東洋の誤解はまず意味論においてである。

 

訳語をもうけてわだかまる背伸び解釈、あるいは誤解。その根源は歴史、風習に源を発する「疏通障害ではない、意味論でのボタンの掛け違いであると」尊師レヴィストロースが曰わった。liberte 自由の東西の理解に掛け違いを当てはめると、諭吉はlibre arbitreを思想として(言葉だけで)自由と訳した。その客体、無関心なる自由liberte d’indifference を本邦日本の皆々に移植するまでには至らなかった。さもありなん。デカルトの考察を濫觴としジッドが近世バージョンを綴った「無関心の自由」がここ日本に根付く風土など無い。
K氏を例に上げれば納得もいくだろう。

日本人の自由はカツ丼にとどまる!

諭吉、あるいは兆民ならば自由とはliberte d’indifferenceなると理解していたと推察する(このあたりは研究の余地がある。誰かやってくれないかな)。しかるに一般には、封建村社会の不寛容なる精神風土、そこから脱皮できない本邦善良市民は明治の過去も令和の今も結果には無頓着に行動する「自由」など許容されない。自由とは「勝手気まま」を引きずりながら時に「自由が過ぎる」など否定の含み否定を濃く色づけて、私たちは自由を用いる。その用法にのみ、頭の思想と自由の実体が日本人に構造主義的につながるのである。

 

K氏のカツ丼の自由はアリサ、ジェロームからの理解を得られるだろうか。1951年に他界したのだけれど、日野市に再臨したらしきジェロームは伝える。

Kは狭き門を選んでいない」

K氏は反論する「誤解だ、天丼親子丼などを私は排除した。カツ丼だけの選択だから狭き門を選んだ」

1889年にパリで客死したはずのアリサが横から口を挟む。

「自由はvolonte発心とvertu実行なのです。あなたは実行vertuはお持ちだが、volonte発心の時点で欲望、すなわち空腹にさいなまれる食欲、美食を求める耽美心、平らげたぞの自己満足から、自由の選択において、影響を多大に受けている。これをしてあなたの自由は不自由な自由(liberte de difference)とデカルトは切り捨て、尊大、不謹慎のvertuから出発してあなたをジッドは否定するのよ」

K氏「自分がやりたいようにしているだけなのだ」

ジェロームアリサが口をそろえて「それをegoisteと言う」

やはり東洋と西洋は理解しあえない。

 

 

番外編 「ジュリエットはなぜ泣いたか」

 

アンドレ・ジッドの代表作「狭き門 La porte etroite」は主人公ジェロームの語りで筋が流れる。語る本人は「私」、これはrecitと呼ばれる文芸の一分野です。いずれの行に目を落としても「私」が見た状景、感じ取った他者の表情反応に描写が止まる。

アリサの心の動きを、ジェロームがどのように読み取ったかが綿々と綴られる。

しかし「私」の回りのみでは視界は狭い、ジッドにしてもその閉鎖性に気づいていた。そこでアリサは平素から日記(journal)をしたためていた「その日記をジェロームが読む」の段が本文のrecitに続く。

アリサの日記をジェロームの語りに重ねて読むと、あれほどに対話を重ねた二人ながら、かくも誤解を重ねていたと知る。情けと思いのすれ違いのぎこちなさに、小筆ならずとも戦慄を覚えてしまうだろう。会話とはいかに頼りない交換の手段なのかと。

南仏ニームの葡萄栽培家に嫁いだジュリエットを、ジェロームが訪問する一節が物語の最後となる。
(本稿の2部でこの訪問のくだりを紹介した、一部重なるが)

葡萄の作柄、夫と弟(ロベール=義兄の共同経営者となった)の活動ぶり、子供達の話などをジュリエットから聞く。夕が迫る時間となった。膝と膝の間に闇が忍び込む。

最後のパラグラフを引用します;

Je revoyais la chamble d’Alissa, dont Juliette avait reuni la tous les meubles. A present elle ramenait vers moi son visage, dont je ne distinguais plus le traits, de sorte que je ne savais pas si ses yeux n’etaient pas fermes. Elle me parraissait tres belle. Et tous deux nous restions a present sans rien dire>(ポケット版182

拙訳;ジュリエットがアリサの家具一切を移し置いた「アリサの部屋」に目を遣っていた。今、ジュリエットは顔を私に向けている。けれど、閉じていないはずの両の目なのに判別できない程だから、表情は見えない。しかし、とても美しいと見えた。沈黙を破る一言が、二人とも口に出せないまま、幾ときが過ぎていった。

Allons! fit-elle enfin ; il faut se reveiller…

Ja la vis se lever, faire un pas en avant, retomber comme sans force sur une chaise voisine ; elle passa ses mains sur son visage il me parut que’elle pleurait…

Une servant entra, qui apportait la lampe.>>(同、狭き門の最終

拙訳ジュリエットが沈黙を破った「進むのよ、目覚めて」。立ち上がり一歩前に進んだ、力すべてを失ったか、いすに彼女は崩れた。手で顔を隠した、泣いている。ランプを手にした召使いが入ってきた。

ジュリエットが泣いた舞台は夕闇、

近代人にはこの「夕べの暗がり」に想像が回らない。商業電力が普及したのは20世紀の初頭、スイッチ一つで闇を明るく変える。以前には暗くなっても、薄い闇の間しばらくは灯火なしであったろう小筆は推察するのです。では、どれほどの暗さになったら灯をともすのか、部屋にこもる二人に召使いがランプを運ぶまでは薄い暗がりだったであろうが、その薄さに見当がつかない。そして二人の闇に何が起こったのか;

ジェロームにはジュリエットの表情がよく見えない。彼女は「己を見ている」筈だが開けているその目が見えなかった。そしてその姿は「とても美しいと見えた」。目も輪郭もはっきりしない暗さなのに、なぜ美しい顔とジェロームは見たのか。理不尽なのだが、闇を抜けて美醜を感ずる仕組みを人は持つ。ジュリエットの愛くるしい娘時代の顔を闇の幕間にジェロームが「見た」のである。

立ち上がるも、すぐさま崩れ落ちた。ジュリエットは泣いていた。

なぜ泣いているとジェロームに分かるのか。それは忍び泣きではない、しゃくり上げでもまして号泣でもない。ジュリエットは声も音も立てずにで泣いていたのだ。落ちる涙が光ったからである。ジェロームは闇を切る一閃の涙の垂れで泣き顔を察したのだ。

なぜ泣いたのか。

優しく頼もしく、経営力のある夫。子に恵まれ、ニームの中心地に居を構える奥方様の身分。さいなむ悲しみを隠す筈はない。でも泣いた。

ジェロームがジュリエットを「美しいElle me parraissait tres belle」と見てしまったからだ。

ちょっとフランス語;

美しい形容詞はbeau、女性形はbelle。頻繁に口にする語ではない、強すぎる。あなたがちょいと知ってるフランス女性に「t’es belle お前、綺麗だ」と言うとあなたの感情の動き、お前を好きの意味も伝えることになる。見てくれの良さのみを伝えるなら「t’es eleganteエレガントだね」と軽くいなすほうが、ひじ鉄喰わず無難。

 

はからずも美しいとジュリエットを見たジェロームの心の揺れが、言葉に出ず表情にも漏れず、しかし夕の暗がりを通して、いや、暗がりだからこそ、ジュリエットに伝わった。「なぜ今になって」はジュリエットの心の深層の悔やみ。

重苦しさから逃れようと立ち上がり、沈黙から離れたくとも心はここ、ジェロームに居続けたいとへたり込んだ。
本の最終行を引用する。<elle passa ses mains sur son visage et il me parut qu'elle pleurait. Une servante entra, qui portait la lampe> 彼女は手を顔に当てた、私には泣いていると思えた。女中がランプを持ち、部屋に入った。

その居すまいを、誰からも見分けられなかったジュリエットが、どの様で座り続けていたか。この語り小説はそこで終わる。

さめざめとジュリエットは泣いた。

 

カツ丼の自由の続き の了     

 

 

カツ丼の