交差イトコ婚では男子女子の遺産承継が補完し合いとなり、財産の分散、偏倚を防げる。西欧諸国で多く実戦されていた。写真クリックでアラカルトへ、「親族の基本構造」にてレヴィストロースの解説。
西洋哲学の創始デカルト。ある講座「この考え方はデカルト以前の哲学から継承される」(フランス人女性講師)私(部族民)「デカルト以前の哲学者は誰?」講師女史、少し表情を歪めて(そんなこと知らないの)「プラトンです」
バカな質問したモノだ、大いに反省。





アンドレジッド
写真クリックで

アラカルトに


 部族民通信ホームページ   開設 令和元年5月20日 更新
      
部族民通信   カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ 2 (哲学) 
 
                        
 
主宰・蕃神義男
  カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ2 令和元年1210日投稿
  前文 1部 2部 3部
 
LeHavreFongueusemareはおよそ10キロメートルの距離(ネット地図にて)、両家の地縁(血縁)の浅からぬを暗示させる。その意味はいとこ婚を古くの世代より実践していたと推察する。親族周囲も次代を担う二人の結婚を望んでいた、語りの節々にそれが窺える。パリ住まいにリュクサンブールを選んだ理由はジェロームの「学業優先」と関連がある。フランスでは12歳でのリセ(中高等学校)の選択が後の一生の生き様を決める仕組みになっている。リュクサンブールから1ブロックの距離、パンテオン横にはアンリ4世学中高校(Lycee Henri IV)がゴチック風の塔門を見せている。この名門校に合格したと思える(固有名詞は出ていない)。

時系列で推測すると父の死のあとパリに移って入学を決めて新学期(10月から始まる)を待つばかりの夏、ジェローム12歳。母と共にFongueusemareに逗留する。到着の夕;

jetais precocement muri; lorsque, cette annee, nous revinmes a Fongueusemare, Juliette et Robert men parurent dautant plus jeunes, mais revoyant Alissa, je compris brusquement que tous deux nous avions cesse detre enfans.>(ポケット版17頁)

拙訳:私は早熟だった。この年にFon..に戻り、JulietteRobert(=弟)をなんとも幼いと感じたのだが、アリサを見て、私たち二人はもう子供ではないと、突然気づいた。

2歳上のアリサは14歳。「突然」=brusquementとは「それが起こるとは予期していない」の意が強い。するとジェロームは己が早熟だったとそれまで気づかず、久方ぶりにアリサに再会したとたん、異性として彼女を見た。自身の早熟がアリサを前にして「図らずも」認識された。とまどいから語りが始まる。

jetais requis et retenu pres delle par un charme autre que celui de la simple beaute. Sans doute , elle ressemblait beacoup a sa mere; mais son regard etait dexprresion si differente que je ne mavisai de cette resemblance plus tard. Je ne puis decrire un visage; les traits mechappent, et jusqua couleur des yeux>(23

拙訳:(アリサはjolie綺麗との前文に続いて)見てくれの美しさではない何かの魅力に、私はそれにとりつかれた。彼女は母親(愛人をつくって出奔したクレオール女)に確かに似ている。でも眼差しは異なっている、母親似という事は後になって気づいただけだ。その頃の表情については何も語れない。顔立ちにしても目の色までは思い出せないからだ。

ジェロームは母の期待にこたえて高等師範学校(ecole normale superieure)に入学を果たした。同校はフランス教育の頂点に君臨し卒業生は「ノルマリアンnormalian」と尊称を受ける。某国立大法学部と理解すればよろしいかな。

優秀な成績を得て卒業し、serviceと書かれるがこれはミリタリーサービス徴兵、応召し入隊。期間の3年を騎兵士官として務め、外務省に入職し外交官としてイタリア、シリアパレスチナなど歴訪する。24,5歳であろうか。

切り取った来歴の描写に浮かぶジェロームは、当時のブルジョア階層エリート青年のまっしぐらな生き様である。学業のあい間にFongueusemareを訪れアリサと邂逅を試みる。
二人がかくも頻繁に出会うのは「交差イトコ」として家族ぐるみの交際があるから。

交差イトコ(cousin croise)とは;

男女イトコの父母のいずれかが兄と妹の関係を持つ。兄を弟、妹を姉としても成り立つ。アリサの父がジェローム母の兄。この間柄の婚姻はおおくの民族部族で実行されている。強制のしきたりがなくとも、結婚相手として優先されるも多い。

父母の遺産を継承する際、男子と女子では異なる範疇の資産・権利を受け継ぐ。例えば女子には不動産(田畑と耕す権利)、男子には社会地位、狩りの権利など。交差イトコで婚姻を繰り替えすならば異なる範疇の遺産が分散・寡占に至らず再結集する。未開部族だけの風習ではなく、西欧でも実行されている(イギリスでのダーウィン家とウエッジウッド家は世間に知られる一例)
にてレヴィストロースの解釈を説明している。

叔父(母の兄)の居宅を訪れる。
偶然に出会う風を装うが、実際はアリサに会いたい一心でせっせとパリから出向く。ふと出会ったふりの庭の小道、あるいは叔父にし向けられてベンチでしばし。出会う様と出会った後の心の揺れを
追憶としてrecitが語る。

ジェロームは気だても優しく心遣いは細やか。そのうえ教育が良い。イトコ同士だから、二人が結婚すれば、(アリサ取り分の)Bucolin家の財産が他家に流れないうえ、政府高官(となるはず、なにせノルマリアンなのだ)のご令閨なる冠だって載せられる。二人は親族一同から結婚を期待されていた。

しかし、アリサは一向になびかない。ジェロームに感心を寄せるが、時折、断定的厳しい姿勢を見せる。そんな時は必ず否定である。

アリサが選んだのは狭き門なのだ。

狭き門とは?

Vauitier師(のちにアリサの母となったクレオール娘を養女にした牧師)の説教をジェロームが聞く

Efforcez-vous dentrer par la porte etroite, car la porte large et le chemain spacieux menent a la perdition, mais etroite est la porte e resserree la qui conduisent a la vie>(ポケット版29マタイ福音書、日本聖書協会訳:狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。

注:perditionとは<ruine de l’ame par le peche>(Robert)罪を犯して魂が荒廃すること。滅びとは借金で潰れる身体を壊すなど具体性は示さない。罪を犯したら精神が崩れることを言っている。広い門を選ぶ者(選択を前にして妥協するから)結果として身を罪に染めてしまうperdition。聖書はこれを「滅び」と戒める。

これがジェロームを戦慄させた説教、彼から反応を聞こう;

je voyais cette porte etroite par laquelle il fallait sefforcer denter. Je me la representais comme une sorte de laminoir, ou je mintroduisais avec une douleur extraordinaire ou se melait pourtant un avant-gout de la felicite du ciel. Et cette porte devenait encore la porte meme de la chamber dAlissa; pour entrer je me reduisais, me vidais de tout ce qui subsistait en moi degoisme>(同30頁)

拙訳:説教を聞いて目が開く思いで、通るべき狭き門を心に描くことができた。 それは一種の圧搾機で、通り抜けようとする私に、とてつもない苦しみを覚えさせる。その苦しみの中にこそ至福が混じるとも予感させる。この門はまさにアリサの部屋に通じる門なのだ。縮小し自我のすべてを除いて、空虚にならなければ通り抜けられまい

アリサの「部屋」への門とは、具体的な寝室を云う訳でない。彼女の精神に近づくに避けて通れない心の門なのだ。

神は2種の門を用意した。
一つは誰でもそして大勢でも抜けられる広い門。誰でもとは自我が強く、欲、嫉妬、執着などで心が肥大している人をも含む。彼らにも抜けるに易しい広い門があるから、多くはそちらを選ぶ。狭き門は選ばれた者のみを相手にしている。選ばれたと明確に知る者、そうと自覚している者、そうなりたいと努力する者は、圧縮機
(laminoir)に心とおして「縮小」する、自我を心から除去して後に、狭き門に挑め。

選良なる者に求められる訓練と忍耐、模索と成就。狭き門を通じて神との対峙構造、精神の持ち方をかくジッドが教えてくれるのである。


デカルトは真理を語ったが、万人が真理を理解しそこに到達できるとは述べていない。考える人、例えば解析幾何学などを開発した偉人なんかには森羅万象の真理は理解できる。すると狭き門ってデカルトと同じでないかね。

アンドレ・ジッドはカルテジアン(=cartesian)とされる。デカルトdescartesから派生した形容詞、意味に3通りが数えられる。1デカルトが唱えた哲学に関して 2デカルトを信奉する者 3(数学において)解析幾何学。 第4は番外「やたらとへ理屈を弄ぶ(その輩)」4は辞書には載らないが、多くのフランス人がこれに当てはまるとも囁かれる。
ジッドは
1にしてのカルテジアンである。で解説。

筆者が不明とする処かも知れないが (日本語世界では)ジッドとデカルトとの関連は認知されていない。狭き門の解釈にあたり信仰と恋愛に焦点を絞っている。しかるにその方面からのみでは、アリサ行動の理解に至らない。

「狭き門」でネット検索して発見したある一冊と解釈;

then there was Schopenhauers romantic pessimism, the view that the world of history , of conflict, was an illusion that brought nothing pain, that mans salvation was to escape from it into higher ,essential reality to which music and poetry were the purest means of access. Gide went to appreciate Descartes>>

出典はAlain Sheridan Andre Gide a life in the present Harvard uni. Pressから。

(当該冊子は絶版で販売されておらず電子書籍にも登録がないのでネットから引用した)

抄訳:(ジッドの思考遍歴の説明の数行の後)ショーペンハウアーに影響を受ける。その見方とは歴史、闘争とは一種の幻想で、苦しみ以外何ももたらさない。故に救済は歴史から離れ、より高い「本質的現実」に上るべきで、音曲詩歌のみを通してそこに到達できる。これを受けてジッドはデカルトに傾倒してゆく

引用をカンコツ奪胎してまとめると;

人の世とは苦しみばかり。救いはより高みにある本質現実,essential realityに立ち上ることだ。それは現実ではなく文芸、思考の世界に存在する。デカルトがその道を教えている。

この本質現実がliberte dindifferenceである。ショーペンハウアーの「本質的現実」にデカルトの「無関心の自由」を重ねた心情がジッドの伝える狭き門であると言える。

日本語表現に言い換えて「虚心坦懐で選択し、喜びも後悔もしない」が近いか。

 作品「狭き門」に戻ろう。生き様を選ぶ瞬間がアリサに訪れる。

<<non, Jerome, non, ne nous fiancons pas, je ten prie. =中略= Mais cest moi qui peux te demander pourqoi changer? =中略= Tu te meprends, mon ami : je nai pas besoin de tant de bonhneur. Ne sommes-nous pas heureux ainsi?ポケット版59)>>

拙訳いいえ、ジェローム、私たちは婚約しないのよ、お願い。 なぜってあなたが尋ねるけれど、尋ねたいのは私の方よ。今の間柄をなぜ変えたいの。ジェローム、あなたは私を見誤っているのよ。これ以上の幸せなんて私たち、要らない。このままでも幸福でしょう。

アリサが婚約(fiancailles)を「きっぱりと」断るくだり。きっぱりの様がnonに続く否定を幾度か並び立てる文脈に浮き出る。今の間を変えない、今で幸せ、これ以上の幸せを求めない...さらに、meprendsmeprendre 二人称単数形で、あまり用いられないこの動詞の意はse tromper une personne pour une autreある人を別の人と取り違える(le robert)とある。兄を弟と見違えるなどの誤解が一義だが、精神の取り違えとしてジッドは使った。「アリサにしても私と同じく今の状態から止揚すると期待している」この見込みが勘違いたった。

アリサ反発の裏にはfiancailles(婚約儀礼)がある。

単に二人の約束ではなく、近隣縁者への公知と祝宴が含む。舞台は1880年代。ノルマンディ名流の両家の婚約ともあれば、さぞかし華やかな式典になった筈だ。式の次第に神父が呼ばれる(新教徒なので牧師)。式は俗であるが牧師の説教で神が介在することにつながる。結婚を神へ約すのだ。アリサにはこれは全く受け入れられなかった。かたくなな否定の裏に神がいた。

他の場面では;

Quant a tes success, je puis a peine que je ten felicite, tant ils me paraissent naturels. =中略= Tu auras compris, nest-ce pas, pourqoi je te priais de ne pas venir cette annee =中略= Parfois involontairement je te cherche; je tourne la tete brusqument. Il me semble que tu es la!>>(ジェロームに宛てたアリサの手紙 同99

拙訳あなたの成功学業についてはおめでとうとすぐに祝福するわ。だってそれって、当たり前だから。それと、今年はもう来ないでと願った理由には察しがつくでしょう。それでも私、無意識にふと振り向いたりするのよ。あなたがそこに立つのかと感じてしまう。

A peineは(よく使われる)「何とかようやくにも」ではなく、古めかしい言い方ながら「すぐにでも」としたい。そんな古い表現をすんなり使う作家であるから。

引用文の後半では夏の休暇に訪れる習慣を持つジェロームに、今年は来ないでと言い切って、しかしふと(毎夏のように)あなたがそこに立っている気がするなどと曰う。滲む心は「乱れ」である。その果てにジェロームと会ってはならないと選択を下した過程に「自由」があった。

極めつきの乱れはアメジストの首飾りである。 ジェロームがフォングーズマールから出立する前日、アリサとの会話で

<<Elle reflechit un moment, puis ; Le soir ou descendant pour diner, je ne porterai pas a mon cou la croix damethyste que tu aimes.. comprends-tu?

      Que ce sera mon dernier soir.

      Mais sauras-tu partir, reprit-elle, sans larmes, sans soupirs.125

拙訳;アリサは一時の間をおいて、今日の夕餉に下りるとき、私の首に、あなたが好きなあのアメジスト十字の首飾りを見つけられなければー

それが最後の夕食となる

そう、あなたは出て行くのよ。涙の一滴、ため息の一つなぎもアリサは見せなかった。

夕食のテーブル、胸はアメジストで飾られていない。アリサの構えは厳峻そのものだった。乱れを秘めても選択は代わらない。自由の選択である。
厳峻さ、かたくなさ、他者(ジェローム)異見を受け入れない時は必ず否定である。何がアリサを否定に走らせるのか。

デカルトは人とは判断、選択を実行する際に自由であるべしと規定し、その精神作用にはvolontefaculteが交差するところであるとした(=Doute et liberte chez Descartes,Par chevetネットより、1部で引用)。

デカルトは選択の過程、および結果においてindifferent(無関心)たれとも教えてくれた。Aを選べば金持ちになる、幸せな結末が待っているなど損得に拘るなとの教えである。

ジッドはアリサにデカルトの自由(liberte dindifference)を具現しようとした。

アリサにおけるvolonteは信仰それはcharite愛である。ではcapaciteは、vertuなる分かりにくい語が後半、幾度か引用されている。辞書を開こう;

1の義にenergie morale, force dame  2)にはforce avec laquelle lhomme tend au bien.とある(le robert)エネルギーであり、人を良きに維持する力である。(正しい)決断力とある。これを取ろう。volonteが精神ならvertuは行動である。かく解釈すればデカルトのvolontecapaciteの構図を、アリサ内部での「信仰charite 対行動vertu」に重ねられる。

vertuが用いられる下りを引用すると;

Non Jerome, ce nest pas la recompense future vers quoi sefforce notre vertu. Lidee dune renumeration de sa peine est blessante a lame bien nee(164)

Combien heureuse doit etre lame pour qui vertu se confondrait avec amour! Parfois je doute sil est dautre veru que daimer, daimer le plus possible et toujours plus.Mais certains jours, la vertu ne mapparait plus que comme une resistance a lamour(165)

拙訳;ジェローム、違うわ。将来の報酬を求めるために私たち、行動するのではない。苦しみに対する報酬という考え方は信仰の深い心を傷つける。(recompence, renumerationともに報酬と訳した。

注:前者は喪失への慰め、la recompanseと定冠詞が乗るから、宗教的「慰め」意味がこもる。後者にune renumerationと不定冠詞がつくのは「努力した対価報酬」として具体的、世俗的具体的的意味が強く響かせている。この文脈でアリサの考え、立ち位置を無報酬、献身を目的とする宗教的位置に引き上げていると部族民は解釈する。

拙訳続き;もし愛と行動が本心で融合していたらその心ってなんと幸せかしら。なぜって妾(わたし)時々考えてしまう、愛するって、別のとある行動なのかしらと。可能な限り愛する、いつもそれ以上に愛するという愛が行動につながるかと考えてしまう。でもある日かならず、行動って、愛への抗い以上では無いと思えてしまう(165頁)

2文章のつながりと、それをまとめた主張を理解しないことには全体が見えない。

前文では報酬を求めない行動(vertu)を語る。
後文では愛と行動を一緒にしたいと願うけれど、それは不可と決めつける。するとこのでの愛(aimer)とは反対給付がある行為となる。このaimerは世俗の愛であり、愛することで愛される反対給付を求める気持ちとなる。決して男女間の愛だけではない、子を愛し子からも愛される。まさに世俗の行為だ。


ちなみに辞書(robert)を開けると愛するaimerには宗教的意味合い(反対給付を求めない)は無い。実力行使などを匂わすから愛は世俗の行為なのだ。

しかし行動(vertu)は将来報酬を求めない。故に世俗の愛を否定する。アリサは「無関心の自由」を実践しているのだ。

後半にジェロームの語にアリサの日記が続く。
1 状景が一変する
2 デカルトが教えいない自由をアリサジェロームが体験した。



アリサは家出する。家出の多くは予告なしで実践する。アリサも予告しなかった。だから皆が驚いた。

ジェロームは外交官として中近東で公務に携わっていた。義弟(ジュリエットの連れ合い、ワイン製造業)は仕事を放り出し、アリサ探しにパリを奔走する。発見した時は手遅れ、誰にも看取られず慈善病院で死んでいた。信仰chariteと行動vertuの「無関心の自由」を迷いなく実行したあげくの孤独死であった。

遺品の小荷物に封書が発見され宛先はジェロームへと記されていた。公証人を通して彼に送られた。その中身「アリサの日記」が最終章に掲載される。ジェロームの語りrecitの最終はそれを開けたジェロームの落胆ぶり;

Vous imaginerez suffisamment les reflexions que je fis en les lisant et le bouleversement de mon coeur que je ne pourrais que trop imparfaitement indiquer (ポケット版155)

拙訳;日記を読んだ驚きは筆舌に尽くせないほど、あなた方(読者)は私Jeromeの反応(reflexions)を十分に理解できるであろう。

ジェローム視点で語られていた本章の語り口recit、その筋とは全く異なるアリサ心情が、面々と日記に綴られていた。アメジスト首飾りのくだりをアリサの視点で見ると;

Jerome! mon ami, toi que jappelle encore mon frere, mais que jaime infiniment plus quun frere(ジェローム、友よ、おまえを未だ弟と呼んでいる私だが、実は弟よりも限りなく愛している)この日付は930日、一日おいて

Javais egalement pris sur moi la croix damethyste quil aimait et que je portais chaque soir, un des etes passes, aussi longtemps que je ne voulais pas quil partit>(173

拙訳;彼がお気に入りのあの十字のアメジストをずっと着していた過ぎ去ったあの夏、毎夕それを着けていたのは、彼が出発するなどいかなるほどにも望まなかったから。

ジェロームお気に入りを一夏、毎夕(chaque soir)着したとアリサは語る。しかし本文では、首飾りを着せず夕餉の卓に座ったアリサを目にしたからその夕に、ジェロームは出立した。意志を知らせる肝心なあの場に、アリサは着さなかった。

毎夕に着していたのに、あの夕べにのみ外されたていた。二人の言い分、その隔たりをなんと理解するか。

「胸飾りを着しない、そしてジェロームには居てほしい。衣装と心の食い違い、この冷たい真実に、思いの丈を馳せてくれるなら、居つづけてほしいと希求する私に気づくはず」と乞い願っているのだ。

別の一節では;

Cher Jerome, je taime toujours de tendresse infinite; mais jamais plus je ne pourrais te le dire. La contrainte que jimpose a mes yeux, a mes levres, a mon ame, est si dure que te quitter mest deliverance et amere satisfaction>(167

拙訳:親愛なるジェローム、いつもお前を無限の優しさで愛している。しかしお前にそれを告白できなかった。私の目、唇、心にまできつい束縛を課しているのだから。お前を去らせてしまう、それは私の解放で、喜びはとっても苦い。

解放の苦さは狭き門であると。アリサの心情を相克と言えばそれは当たるか。その相克の中身を探れば;

さらにはアリサの心情と行為の落差、心情とはジェロームに対する愛情で、日記の節々に読み取れる。行為については前文で「峻厳」の語を用いたが、毅然、非妥協、言い訳などなし、かたくなさを貫く。この背景には自由を求めるアリサの心の内にvolontecapaciteの相克があるからと読みたい。
それを信仰と世俗と読み替えれば理解が易しい。さらには19世紀のアリサには無条件に神に帰依する心情からは離れていたのではないか。個人、個性の確立が何時のことかは知らないが、19世紀には既に帰依するにしても、生の個人の判定という理性がそこに影響していた(と思う、要検証ではあるが)。その生の個人の心情がアリサの日記の吐露されていた。

意志と行動が対立する自由を17世紀のデカルトは語らなかった。彼にありvolontecapaciteに断絶はあり得ない。volonteを確立すればcapaciteは自ずと湧き上がると断言している。これがこの世紀の人文主義であろう。

狭き門の出版は1909年、1869年生まれジッドの精神風土の土台とは19世紀後半である。デカルトとは2世紀の隔たりが世情の変わりを産み出した。近代人として自己の確立、そしてその新たな自己が求める自由、格闘する自由をジッドが描いたのだ。

 

アリサの死の10年の後、ジェロームは南仏ニームに居を構えるジュリエット(アリサの妹)を嫁ぎ先のテシエール家に訪れる。ジュリエットと二人だけの面会の場、生まれて間もない娘の代親(parrain)をジェロームが頼まれた。(181頁から引用)

Mais j’accepte volontiers, si cela doit t’etre agreeable, dis-je, un peu surpris, en me penchant vers le verceau. Quel est le nom de ma fillette?

-Alissa…repondit Juliette a voix basse. Elle lui ressemble un peu, ntrouves-tu pas?

拙訳;でも、君にとってそれが良ければと答えた。少し驚いた口調だったろう。揺りかごに身をかがめながら尋ねた。この子の名は。

-アリサ、返事は一言。それはとても厳かな声だった。この子、彼女に少し似ている、そう見えるでしょう。

Parrainは洗礼式でその子を抱く役割の代理父親、名付け親とも訳される。

洗礼式だけではなく後々の面倒を見ると期待され、多くは近縁近隣の年長者に依頼される。ジェロームは母方、南仏には縁もなく度々に訪問する訳でもない。そのうえ未婚。申し出に意表をつかれた。子に「fillette」を用いたが「おちびさん」が近い。名付け娘にはfilleulleが正しい。このシーンで用語を間違うジッドは想像できない。不意をつかれて正しい用語が出なかったジェロームの驚きを伝えた。
赤子のアリサの手を優しくジェロームが握る。その様を見てジュリエット「家庭での立派な父親になれるわ」笑みを浮かべながらも問い詰める口調は;

Qu’attends-tu pour te marier?

-D’avoir oublie bien des choses

-Que tu espere oublier bientot?

-Que je n’espere pas oublier jamais.

拙訳;(二人の会話)ジュリエット:結婚するのに何を待っているの?

ジェローム:たくさんの事を忘れ去るまで

ジュリエット:そのうちに忘れると願うの

ジェローム:決して忘れないと願っている

アリサへの思い出を持ち続け、忘れまいとジェロームは誓う。決意を貫くことが彼の自由であり選択である。volonte発心はアリサへの愛、今となっての行動capacitevertu)とは、あの日々の記憶を持ち続ける。

「無関心の自由」はジッド分身のジェロームを色濃く染める。

カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ2の了