レヴィストロース神話学は本巻「裸の男」で最終回となります。今回の紹介はその一部です。全巻600頁をどの様に紹介するか、分量内容の大きさ濃さに、考えあぐねています。来年の課題とします。

部族民・蕃神
今回作成したPDF(Bororo
Klamatsh族神話比較の試み)
の2頁目
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写真は本書掲載の神話分布図に伝播の道程はこんな感じかな?と蕃神が線をなぞった(だけのモノ)。民族交流の(考古学的)証拠など一切ありません、粗雑さを笑ってください。
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 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2019年11月30日
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   「裸の男HommeNu」神話学4巻を読む3(最終)  人類学 投稿2019年11月30日
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蕃神(ハカミ)義男
   

レヴィストロースの神話北上説はブラジル神話が北米プラトーにまで伝わったとする。神話学全4巻では基準神話M1(マトグロッソBororo族)から始まり、三巻の半ばまではアマゾン中流、下流(TukunaMundurucuArawak、カリブ海沿岸に住むWarrau,Carib族)などの先住部族神話を取り上げている。それら居住地をなぞれば、ブラジル中央からアマゾニア、そしてカリブ海域へとつながる経路が想定できる。

カリブ海に住んでいただろう先住民諸族の神話が、記録として残されていない理由は、新大陸発見の後、コンキスタドールなど旧大陸民がもたらした天然痘に感染し、早急に絶滅した歴史事情による。カリブ海と同じ経緯が米南部、フロリダ、ミシシッピ河岸にも当てはまるのだろうか、レヴィストロース著作における北米の展開は、ミズーリ河沿岸の大平原大草原の諸族の神話が嚆矢となる。オレノコ河岸WarrauCarib族の後には8000キロを隔てたプレーンズ(大平原)Arapaho族となる仕組みである。

しかしながら、Arapaho神話(月の嫁)は南米Tukuna族モンマネキ神話の後継譚としてすんなり読み解けるのである。「昔々、平原に1 夫婦しか住まなかった。彼らは天に移住して二人男子をもうけた」夫が太陽と月の父となるのだが、彼はArapaho族の嫁に小うるさい。「人間なんだから、月の障りが無かったら十月十日で」と小言を言いまくる。モンマネキの老母がカエル嫁に「人間は毛虫とかムカデを喰うもんじゃない」などと小言を浴びせ、カエルは居たたまれず逃げ出した顛末を思い起こさせる。Arapaho神話の天上老父はモンマネキのなれの果てと受け止める次第です。

形のあるモノの見比べ、例えば老人の小言の似通いから伝播したのだと結論づける方式は神話歴史学の常套ですが、根拠とは変異は形のあるモノにでるに尽きます。変化の度合いから、近類か遠隔かを判断する。時間や空間で遠ければ、原型にたいして追加、時には削除が重なり変異の幅がそれだけ広がる。これは伝言リレーゲームと同じです、レヴィストロースが説いて止まない「神話思考」がここに働きません。

似通いに惑わされない比較を彼は提言している。挿話の筋、人物、繰り返し(=形式)などではなく神話全域に被い君臨する「意志」を探り、syntagmeparadigmeを焙り出し、それを持って伝播、相互の係累の基準とする。

Syntagme(言語学では連辞、しかしこの用語は分かりにくいから共時因果、別の言い方で分析的理性とする)は族民らが自身の所属する邑落、社会を水平に(共時的に)見つめた印象と反照、その洞察と言える。族民が投げかける水平視野の奥には、同盟すなわち婚姻の有様、しきたりや決まり事これは社会制度であり、行為や服飾の申し伝えを通して儀礼、周期性再生産などが、うごめく影として展開していたはずである。
syntagmeの似通いによる文化基盤の共通。社会、規則、しきたりなどを共に抱く。であれば精神と行動の同じ基盤に立つと言える。

これらの要素は時を同じくして互い影響を与え、受けて存立しているので、それが因果。言語学の連辞と同様に互い影響を与えつ、受けつして存立しているのでこれは因果。よって共時因果とした次第である。

ブラジル神話群の共時因果を探ると;

1分断:主人公バイトゴゴの前半は連続の原理に支配されていた。放逐され再生して村に戻り父、その妻複数、村人全員を殺戮する。過去の連続世界(自然が横溢する社会)を洪水で滅ぼす。部族の再生に当たって8の支族で分断する村を造った(M2)。

2 同盟とは;神話から読み取れる実情とは。登場人物は婚姻同盟を必ず否定する。婚姻を通じ部族社会を構築する思想、これは「分断」ともつながり部落形成の基盤と成るが、これを否定する。登場者は実際の行動(近親姦などの禁忌無視)を実演し、同盟を破壊する。(M1)

3 規則、制度でも決まり、しきたりを無視する行動を取る。母方居住とは子息が性徴を見せる年になると、通過儀礼(initiation)を経て男屋に居を移す。これを守らない例を南米神話は引きこもり男子として取り上げている。M1バイトゴゴがその例である。北米神話M538M540はこの思考を共有できるのか。

糸口は本書53頁に見つかる。

un garcon cheri de ces parents et dissimile par eux dans une fosse souteraine au milieu de la cabane familiale , offre une image symetrique avec celle d’un garcon hai par son allie, et isole par lui dans la brouse en haut d’un arbre : l’enfan cache est donc l’inverse du denicheur d’oiseaux.> 両親に愛でられ住まい中央、地下の穴蔵に匿われる少年と血族から嫌われ木のてっぺんに遺棄される子、すなわち隠される子は鳥の巣あらしと対立関係(inversement)である。(53)

愛でられ匿われる子は北米神話(M538)の隠される子(enfant cache)、嫌われ遺棄される子はM1バイトゴゴ。両者はinverseの関係にあるとされる。ここでのinverseは引用文の前段を要約するかたちで;

A 己の制約(美少年)から他者の欲望を封じるために閉じこもる(閉じこもらされる)に対して、己の事情は無く自らの欲望で女屋に引きこもる

B 禁忌犯しにハメられる、これに対し己の欲望で禁忌にのめりこむ

C 家族村人らからの救う努力がなされるも、他者を巻き込み死ぬ。片方は皆に捨てられ、自力更生し蘇って家族村人に復讐する。

経緯、行為、反動にして反対である。
そして、神話の
syntagmeとして似通いを見せる。

前述の共時因果1~3に照らし合わせると;

他者に姿を現さない、あるいは引きこもるとは、ある得る同盟の否定である。M538 の少年は姉のみならず近隣の娘にもその美少年姿を見せない。M540では隠され子は美少女に変わるが、兄達に守られ(強制され)引きこもり、近隣少年の前に立つ時は老婆姿で欺く。この行為は村落の、同盟(婚姻)を希求する少年(娘)からの求愛を封じるに他ならない。M538,M540で繰り返し謳われる同盟否定は、M1の少年バイトゴゴの母婚(たわけ)に繋がる。

規則、制度の否定についても同類として説明できる。

M538では美少年故に穴蔵に住まわせるのだが、これは少年に課せられるしきたり(通過儀礼、狩り漁労の修得など)を封じ込め、将来の可能性を疎外する、親権の濫用である。M540は親が兄弟に入れ替わるが、兄らは嫁を迎えず、ひたすら家事を妹に押しつける。兄の権利の濫用である。

故に;

隠される末弟(M538)=女屋を出ない引きこもり(M1)=隠される妹

の公式が成り立つ(=は3本線のイコール、congruence、思想が同じだが形式は異なるの意味です。を参照)

 

一方、paradigmeとは出来事の進み具合、その起と結を探る論理であるわけだから弁証法と言える。この思考(言語学では範列という)を部族民は「経時因果」とした。新大陸の神話では筋立てはまずは否定、同盟やら制度否定を皮切りにして、反動巻き込み、錯乱(罰に結びつく)そして総括でサイクルを終える。総括をサルトルの言葉totalisationとすれば理解も深まるか。
先の分析思考とこの弁証法論理は先学によれば、共通の知恵としてあまねく人類が「経験の前に」抱くものだから、新大陸の先住民にしてもこのマトリクス式思考回路で、世の中と森羅万象を見極めている事実は奇異ではない。

母を姦淫し通過儀礼には鳥を巻き込み難関をくりぬけ、インコ雛を父に渡さず飛礫を放つ。結果は死であるが、機転を利かせて(粘土でお尻の穴を塞いで垂れ流しを防ぎ)蘇り、洪水の後、火の所有者として世に君臨する。このように英雄(M1バイゴゴ)は罪と罰サイクルの終局に生まれる。

M538イシスにして前世代数次の近親姦の果てに俗神に救い出され、ばらけた身を俗神の膝に身体移植されて新たに誕生する。否定、反動、錯乱、総括の因果を有様はM1と変わらずとすれば、2の神話で経時の展開の様は共通している。

Syntagmeを横軸としてpradigmeは縦軸、それらが形成する座標を統合(グローバル)野としたのは、前回投稿(神話から物語りへ)にて著者レヴィストロースの文中示唆を受けての故の定義である。本投稿で南米神話M1(鳥の巣あらし神話Bororo族)等と北米M538(イシスの冒険神話Klamath族)等が一つの神話群を形成するか、上述を取りまとめる形で、統合(グローバル)野に共存するかを試みるとしよう。PDF(BororoKlamatsh族神話比較の試み2頁)を作成した。

PDF1頁目を参照、これは上述1~2、理論の図式化そのものとなります。

PDF2頁目は実例を当てはめての肉付けとなります。結論を先に述べると新大陸、南北の神話群は共時、経時の因果を共に持ち、その座標である統合野の中に安定し共存している。

そもそもの始まりの因果である同盟をみると;

同盟とは婚姻制度であり、嫁やり取り(母系社会のBororoでは婿の納まり方)に他ならないが、支族の間柄を、やり取りを通じて強固にする制度です。主人公は同盟を否定した。再生して村に戻り、父ら族民を殲滅する。これら一連の流れが同盟否定の罪と、結果として襲いかかる罰となります。それは旧の社会の途絶となります。

M538 では末弟をテント奥の地下穴に隠す。姉は実弟と姦淫する欲望を抑えもしない。弟を引き連れ途中で野に露営する。姉弟婚(たわけ)が発生した。村は姉の火付けで壊滅し、全族民が焼け死んだ。
両の神話を比較して、社会制度においても否定(罪)、反動(罰)、総括の蠢きを共にみる事ができます。

別神話ながらM2 Bororo族では毒流し漁で故意に遅れ、掬い上げた魚を独り占めして病気になった女を描いている。多くの女にありがちな「喰いすぎ」を戒める教訓ではない。毒流し漁は村民総出の集団漁法なので、漁労と漁獲を村民で分かち合う。しきたりを破った女に罰を与え、制度を守れと教えている神話です。

北米Klamath族、実家に入り浸りの姉は婚家の務めをないがしろにした(制度の否定)。罰は族民の虐殺。読者は「諫める善の側が悪者に殺戮される」仕組みを不平等と感じるかも知れない。前述のM1神話でも近親姦をとがめた父に罰が振りかぶり、息子に殺される。日本人の抱く直線進行の勧善懲悪とは異なり、罰の下され様に複雑系があるかと伺える。

儀礼についてはM1では困難な義務(水底に棲む精霊から楽器=死者の儀礼に用いる=を盗む)を命ぜられた息子は、鳥の協力を得て難なく通過する。これは個の力で切り抜ける儀礼精神への違反である。父親はより困難な義務を課す(断崖のインコの巣から雛を盗む)。バイトゴゴは失敗し(死に)帰還しない。罪と罰の起、結がここにも見える。
M540は装飾と儀礼に欠かせないヤマアラシトゲ毛について一挿話を割いている(以上、PDF2頁を参照あれ)

周期性について;

南米神話では漁期と星座の関わりをもっぱらとするが、M1とその周辺神話では語られない。北米M538での「太陽周期性を混乱させる」挿話(姉が太陽に早く沈めと威嚇する)に周期への反逆が認められる。

南北新大陸神話には上述のとおり、水平視線にも経時の視点にも共通項が探し出せる。

 

「裸の男HommeNu」を読む の了 

 
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