新大陸神話の北上説の論拠の「新聞連載小説化、feuilleton現象」を「新聞社会面のステレオタイプ記事」とすればより分かり易い。来る日も来る日も「お涙頂戴」の記事が紙面を飾る現象です。


酋長さん

M1(南米マトグロッソ)からM538(北米プラトー)への伝播において、近親姦が1回から4回に増えている。世界中で共通かもしれないけれどもしやして、
戒めは破るため、
禁忌は犯すためにある。
ならば、
我らの息吹がこんな風に禁忌犯しの風として聞こえるかと身も震える。



部族民通信オリジナルのイシス神話の近親姦図クリックでPDF3頁にとぶ




レヴィストロースの解析図(本書47頁から)
Curtis写真はネットから。彼が、前世紀の初頭に採取した断片を組み込むイシス神話の全容が採取されたのが1955年だった。

写真;Klamath族の母子。北米インディアンは日本のオンブと同じく子を背負う。俗神が母子心中からイシスを助けられたのは、母が負う背子に手を回せたから。
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2019年10月15日
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ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
   「裸の男HommeNu」神話学4巻を読む 2 人類学 投稿2019年11月15日
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前回「裸の...1」で紹介したKlamath族の神話M529M530aCurtisEdward 1869~1953年、Klamath民族誌写真を残す) 、Stern(Theodore 著作KlamathTribeを残す)Gestchet(ネット検索できず)氏らの採取であるが(これら情報はネットから)、その長さと相まって語り手記憶の不確かさから前後の関連が不明であった。とある老齢女の語り部の口述から、両の神話を統合する長大な物語としてのまとまりが1955年に明らかとなり、かつLetkawash(英雄Aishishイシスの母親)の焼身自殺にいたる道筋が明らかとなった。

La geste de Aishish , dont Gestchet, Curtis et Stern n’ont recuilli que des fraguements, était apparue vers 1955, miraculeusement preservee dans la mémoire d’une informatice>41頁)一人の女語り部に奇跡的(miraculeusement)残されていたとレヴィストロースは表現している。

M538 Klamath族、geste de Aishishイシスの冒険 (42~45)

M529,530で語られていない部分を紹介)

幾人かの子を持つ女。

娘の一人はさほど遠くはない村に嫁いだ。しかし何かにつけては実家に戻る。一番下の弟は美少年ぶりが並大抵ではなく、母は外には滅多なことで外には出さず、家の中でも地下の穴蔵に住まわせていた。姉の狙いはこの弟であった。

嫁ぎ先に戻る姉に弟が供をすることになった。太陽は中空にかかる、今出立して夕前には到着する行程であるから、母は同行を許した。しかし何故か日がとても早く暮れてしまった(別バージョンでは太陽に早く沈めと姉が脅す)。野の窪みに二人は宿る。寝入った弟の脇に姉が滑り込む。<La femme vint se glisser pres de son frere endormi. Il s’eveilla et fut choque de la trouver contre lui ((Quleelfole ! Vouloir devenir l’epouse de son propre frere !))>

<女は身をすべらし弟は目覚めた。姉を己の上に見て、ただならぬ衝撃を受けた。なんと愚かな行い、血を分けた汝の弟の妻になろうとはと非難した。姉は寝入り、太い幹を身代わりに置き弟は逃げ出した。村に戻るやつぶさに出来事を語る息子、その一部始終を聞く母は大惨事を予兆しおののく。姉の目覚めは昼下がりとなった(早く隠れろと命じた分、翌日にも太陽周期は速まっていた。太陽周期律を乱した罪のしっぺ返し)。

愛しき弟のつもりで抱いた幹が真っ赤な偽り、憤怒に染まる身を走らせた。村中の屋に火を放ち、兄弟達と妻のすべてが死んだ。ただ独り生き残った母は、嫁の一人のSturnelle(ヒガシマキバドリ、鳴き声の良さで知られる)の死骸を探り、腹を割って胎児を取り出した。双子、男と女の子であった。祖母は女の子を男子の背に埋め込み、成長した男子に「前屈みで自身の影を見てはならない、矢を空に向けてはならない」ときつく戒めた。

己身の異常に薄々気づいた子を鳥(pluvier kildirムナグロ)が「空に矢を放て」とそそのかした。矢は真っ逆さまに落ちて背に当たり、二人は分かれた。兄は分身だった妹を、そして妹も身を割った兄を初めて見た。

狩り出る旅にも妹は兄から離れず質問を続けて兄を悩ます。((Qui sommes-nous ? Pourquoi n’avons-nous pas ni père ni mère ? Qu’a donc notre grand-mere a pleure sans cesse ?))(42)私たちって誰なの ?何故、父も母もいないの、おばあちゃんは毎日泣いている、いったい何故?

妹「何でも知っている太陽に質そう」しかし問いを太陽は無視する。妹は矢を取って太陽の頬を射た(太陽の周期性をかき乱した)。やっと太陽が真実を語った。お前達を孤児に貶めた者は今、水中に潜むと。

兄妹は教えられた沼に夜の漁を仕掛ける。<Nuit après nuit ils raporterent du poisson et des loiseuax d’eau en quantite. Enfin ,ils entendirent le cri de la meurtriere ((gocho gocho gochdjip)) La grand-mere l’entendit et pressenterait qu’un jour ,en dechargeant le poisson elle trouverait la tete coupee de sa fille dans le panier.(43)

毎夜、魚と水鳥を篭に一杯に満たし二人は戻る。ある夜、殺人者の鳴き声ゴッコゴッコを聞いた。その鳴き声は祖母も耳にした。「篭の魚を取り込みで娘の首を見つけてしまう、そんな日が来るに違いない」不吉な予兆に苛まれた。母は殺人娘を愛していたのだ。

(父母の敵、鳥に化けた叔母を捕らえて殺害した)二人は祖母から逃げる。(竈間の灰に穴を穿って逃げ道としたが、什器の諸々に「誰にも教えてはならぬ」と命じた。しかし錐(alene)には伝え漏れてしまった。案の定祖母の問いつめに錐は逃げ道を教えた。(錐への申し付け漏れと秘密露呈は広く新大陸神話に登場する)

兄は矢を林に見失う。妹に探し出すよう乞う。妹は「私はあなたの誰なの」この問いに答えてと切り返す。<Elle refusa a moins qu’il ne precisat a sa satisfaction quel était leur lien de parente. ((Tu es ma sœur ?Non)) 兄の返事は妹だろう。違うわ。叔母、母、いとこ返答が続くけれど妹からーNonがすぐさま返される。親族関係の言い回しは、それを口に出すまいと兄が残しておいた、一つの間柄しかもはや残されない。Epouse伴侶を答えてしまった兄に妹のーOuiそうよ、がやっと出た。以来、<bienque frere et sœur, ils vecurent comme des époux>兄妹なれ夫婦として過ごした。

祖母は追う。彼らが遺棄した小屋の竈灰が丸く凹んでいる。身ごもった腹が灰を窪ませた、祖母は孫二人の成るべくして起こった事の結末を知った。

臨月を迎える。兄は森に入った。断食と潔斎で精霊を呼び母子の加護を祈るためである。しかし熊に変身した祖母に喰われた。祖母は孫娘に会いに来た。その意図を先に孫娘が察知して真っ赤に焼けた石棒を祖母の肛門に突き刺した。遺骸を焼くために火を熾した。

ここからM529Letkakawashは子を背に負い、燃えさかる薪火の前に立った。因縁浅からぬ一人の魔女の死骸を焼かむと熾した業火であった)が続く。イシスの再生、成長、そしてM530 イシスは複数の妻を持つ。妻の一人にKmu…が懸想しイシスを村から放逐しようと画策した...)につながる。

イシスから復讐を受け全ての心臓を燃やされた(Curtis版ではパイプ)俗神Kmukamchは地上に樹脂の熱雨を降らせる。イシスと家族は助かるものの村人の全滅でM538神話は終わる。

このM538が本巻の基準神話としてこの後も取り上げられる。

投稿子は本文を読み進み、この解析に2の視点を取るべきと提案する。その1着目点を近親姦の罪と罰に限定する 2に神話のschemeスキーム全体の主張の比較である。いずれの解析もレヴィストロースが用いた手法であり、この神話とM1(神話学4巻の基準神話)との関連、伝播の証左を見つけるとする目的である。

M1神話(神話学全4巻の基準)は以前の投稿「生と料理」で取り上げた。あらすじのおさらい;

少年バイトゴゴは森に入った母を追って、母を姦する。母は息子の印(腰紐に飾る羽)を取って、己の紐に「みよがし」に飾る。夫はその羽模様を訝しみ、少年らを集めダンス特訓を開く(通過儀礼の過程)。突き止めた結果を信じられず再度集める。やはり同じ結果、妻を犯した少年は実の息子と知った。=中途はいろいろあって略=バイトゴゴは蘇って村に戻り、牡鹿に変身して父を川に突き落とす。父はピラニアに喰い殺された。実の母を含む複数の妻も一人残らず殺戮する。洪水が村を襲って、彼と祖母はジャガーからくすねた火を守って生き残る。

M1では近親姦は上下婚(たわけ)で一度のみ。罪と罰に分解すると;

少年バイトゴゴの罪:感情と行為を連続させる「未文化」思考が罪。

姦淫したいと蠢く情を、それは禁忌だ、人倫を乱すと自制を働かせず、連続的に直に行動に移す。罪は少年の個人行動にあるのではなく、統制のない(原初の)人間社会に宿る。

罰:そのような社会を是認していた父、母に罰が及ぶ。全員の殲滅。バイトゴゴは一旦死んでいるから己の罪は浄化し(小筆蕃神の解釈)。罰明けのバイトゴゴと祖母は新たな「文化」社会を創り始める。

(「生と料理」で「何故、罪を犯したバイトゴゴは復活し、さしたる罰を受けず、罪をとがめた父が報われないのか」の問いかけをレヴィストロースは行中に挟んだ。読む間にはこの解にたどり着かなかったが、4巻目にして罪と罰のあり方を見直し、上記が解答であろうかと思う)

罪とは行為ではない、思想が罪である。構造主義としての森羅万象の解釈の一つの応用である。

M538(イシスの冒険、第4巻での基準神話)に戻る。

あら筋を前回に紹介した。

母親が末弟を床下に閉じこめる理由は「あまりにも美少年」であるから。長姉が婚家と夫をないがしろにして、足繁く実家に戻る狙いが末弟。その二人が戻りの旅にでた。昼に出立なら夕前に隣村につく、この日程なら母は末弟の同行を許す。しかし、戻る途中で野営する不都合におちた。この不都合は姉が周到に計画した狙いそのもの。
姉は太陽を脅して、夕べを早ませた。

この晩に起きた出来事には2の解釈が立つ。1は同衾のみ 2は交合、近親姦が発生した。

したか、しなかった。いずれか。レヴィストロースはここの不確実性を(=)と括弧付きで表す

直説法では何も語らないから、姦淫は無かったと思はしめている。しかし言い回しにクセが見え隠れする。まず少年が目覚めると姉はcontre lui=彼に対抗=していた。寝ている男に対抗ならば馬乗りとなる。脇に滑り込んだのならa cote de luiとすればよい。少年は目覚めたが、この目覚めをse reveillerではなくs’eveillerとしている。後者は比喩としての「目覚め」例えば春の目覚め、性の目覚めなど使われるし、毎朝の繰り返しの「寝起き」ではない突発、最初の事象であるとの意が強い。

さらに姉は、身代わりに置いた幹を弟とすっかり騙されて寝込んでしまう。もし姦淫に至らなければ「まんじりともせず」眠るのであろうから、生身と幹の区別などはたちどころだ。状況証拠からして姦淫は「あった」とする描写が濃厚である。さらには太陽を脅し周期律の錯乱まで起こして、なにも起こらなかったでは済まない(面白くない)。

怒りの姉の火付けで集落壊滅、嫁が皆死に、母が嫁腹を割って子(男と女の双生児)を取りだした。その子達が夫婦となって暮らす。第2の近親姦の発生。レヴィストロースの説明はあくまで文面通りです。

部族民蕃神は姦淫の「起と結」を拡げて解釈します(良き作者とは回答を与えるのではない、質問しているーとレヴィストロースは幾度か語るので、読者の一人の小筆は勝手ながらの解釈に踏み入ることにします)。

まず、(禁忌犯しの姉弟の)母に禁忌破りがあった。理由は母のただならぬ警戒心。長姉が実家に帰る頻度から、末弟への邪な心を見抜いた。婚家に帰るお供に姉は末弟を指名したが、許した理由は「まだ日が高い、夕暮れ前にはたどり着く」。野営を前提の旅行きでは「きっと起こる」禁忌犯しを危惧するから、許さなかった筈だ。

腹から取りだした双生児を一体化して、男子に影を見てはならないと戒めた理由は、分身したら近親姦が発生すると知るから。戒めを破って二人は分身し、祖母は毎日泣きくらす。兄妹は愛し合い、子(英雄イシス)をもうける。

母(双生児からは祖母)は己が犯した禁忌破りを知るからに、子の代孫の代に渡る悪状を怖れていたのだ。そして最後の近親姦はイシス養父と嫁の姦淫。

これら行為の罪と罰を考えよう。正しくは犯す行為を促す思想が罪であり、故に罰は当の本人のみが被るものではなく、あまねく(誰かに)降りかかる。

(祖母)が犯したはずの罪は記述されない。(部族民解釈の近親姦の繰り返しはに)

姉は弟と野営を設けるべく「太陽を脅して」運行を速めた、天体周期の規則を乱したが罪。水鳥に化け、首を狩り取られるが罰。双生児にまつわるそもそもの罪は、死んだ母から兄妹を引きずり出された事情が天地錯乱の罪(生まれない子は死んでいるとの判断;南米ボロロ族は死とは個人の形態ではなく、個人周囲の環境であるとの信心を持つ(悲しき熱帯から)。こうした考え方が北米民族の信心としてあるのか否かは検証しなければならない。当方にはできない)。

戒めを破った兄、問いつめた妹の罪、そして太陽に矢を射かけ、知る必要のない真実を言わしめた、これも罪。

同じ出来事を繰り返し語る「新聞の連載小説=feuilleton化」なる現象が神話の伝播過程に見られるとレヴィストロースは教える。M1M538を見比べれば、近親姦とそれにまつわる罪と罰の繰り返しが4例を数えられる。伝播した実例であろうか。

 
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