入学式は通過儀礼、その大事を一年生でも知っていた
ふれあい橋全景


河岸テラスと階段
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年6月15日
 
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蕃神(ハカミ)義男

  黄色いランドセル 日野市ふれあい橋
 もう一つの夕日 下 
 読み物 6月15日投稿
 
   

本年(2020年)5月の初旬の話です。

世の中未だ新型コロナ感染防止の緊急事態宣言が発令中。

密接、密閉、密集の3密を避けるが国民に要請された。学校会社も閉鎖され誰もが家庭に逼塞していたまっさかり。ネットを開くと散歩、ジョギングなどの体調管理のために外出するは可とあった。

その日の昼過ぎ、私蕃神は愛車(スポーツ自転車)を駆って遊歩道をサイクリングとしゃれ込んだ。

出発点は日野市南平の丘陵。

七生丘陵と伝わる丘を下り街道を越す。公営アパートの脇道から浅川土手に入る。しばらく一般道路。中学校裏の信号を越して浅川遊歩道に乗り込む。下り追い風の快適がしばし、落川で四谷橋を渡って多摩川に入る。タマサイこと多摩川遊歩道を漕ぎ続けて府中のグラウンド裏のたまりが終点。ベンチとテーブルで小休止。

復路は♪今来たこの道かえりゃんせ♪。往復30キロの一汗流しです。

 

帰り道には「ふれあい橋」たもとで一休止を習いとする。

ふれあい橋とは何か?

京王線特急停車駅「高幡不動」は浅川の右岸。左岸には万願寺なる住宅地。この地と駅を結ぶ歩行者専用橋である。

府中休息たまりから一気に上ってきた。額に浮く汗と塩は拭わんと、チャリを止めた。橋下には河岸テラス、土手は階段状のギャラリー。

 

小筆は階段を3段下りてチャリを片ペダル落としで留めた。どっかと座わる間際に振り返ると土手道に面が揃った。

重い歩みはトボトボと、ちっちゃなお嬢さん。ランドセルを背負い歩いていた。駅と橋の間の小学校学童である。背の開きに黄色いビニールの覆い、被る帽子の鉢も黄色カバー。黄色は交通災害から一年生の防ぐ安全色である。ならばこの子は一年生。

 

土手道に水平の私の視線がお嬢さんと出合った。目と目の出会いだって他生の縁のはずだから声を掛けた。それに「やっと叶った小学校の入学と授業、その帰り道」さぞかし嬉しかったと推察した。

「学校が始まったのだね。良かった」

「学校はなかった」

 

落胆は声に聞こえた。目の沈みこみに気落ちの深さが察せられた。

私は胸が詰まり、言葉は出なかった。励まそうにもとっさの慰め言葉線を選ぶ能に欠けた。

男の子が走り寄った、お兄さんらしい。4年あるいは5年生かと見える。背にはデイバック。女の子の言を補填する云いぶりは、

「自主登校なので、授業はないのです」

4年生ともなれば言葉遣いが明瞭、「自主」を聞いた妹はまた目を地に伏した。ここで会話は終わった。

兄妹さんはゆっくりした歩みのまま橋に向かった。

 

私はチャリ脇に腰をおろし、吐息がホー、口先に漏れた。

風が強く吹いて片ペダル止めのチャリが倒れた。立て直しとギアの確認に手間がかかった。ワイヤーの再調整が終わってさあ帰ると乗りかけた時、橋の欄干、その真下に目が移った。

階段に兄妹が座っていた。対岸を黙って見つめていた。

立ち上がり手を繋ぐのでもなく、寄り添う風でもなく「ふれあい橋」をとぼとぼと渡った。5月の夕日が傾く空は南の寄る西、そこがふれあい橋の真向かいの中空。夕日の勢いは燦々と、まばゆいまでの差し込みを二人に注いでいた。サドルに跨りペダルを一足だけ強く踏んで私は浅川に帰路をとった。

 

兄妹はなぜ土手の階段に座っていたのか、なぜ帰宅の路を続けなかったのか。一年生の妹さんの落胆の様とお兄さんのしっかり応答に答が見えると感じた。

 

今年、一年生は入学式を体験できなかった。

 

4月が始まっても自宅閉じこもりを続けた。買いそろえてもらったランドセル、服、靴、ソックスを枕元において「ガッコウ始まれ」の願いも叶わず、通学の機会は訪れなかった。それらを着し親に手を引かれあの「ふれあい橋」を渡り小学校にたどり着く、あこがれ一日のハレを経験できなかった。

そしてこの日にやっと「登校」が叶った。「自主」の意味合いを理解するには一年生ではまだ早い。期待を胸にふくらませ黄色いランドセルを背にして学校に着いたけれど、そこには何もなかった。

先生はいない、それらしい女の方がいるのだけれど目につくのはでっかいマスクと目玉だけ。授業はない、コクゴサンスウシャカイというのを教わるはずだったのに、ランドセルに教科書を詰めてきたのに、放り出された教室のがらんどうに怯えるだけだった。

何にもましてがっかりは、入学式がなかった事だった。

 

階段に座り込んでいた理由とは、家に戻って母親にこの気落ちぶりをなんと話そうか。答は見つからずお兄さんと一緒に夕日を見ていた。

入学とは「校長先生のお話をしっかり聞くのよ」「脇見してはいけない」「教室にはいったら先生が出席をとるから、名前を呼ばれたらしっかりハーイと答えるのよ」と聞かされていたし、この日にその一連があると信じていた。

それらを全て通過してこそ一年生になれたはず。この喜びを母親に伝えるはずだったのに。

何も起こらなかった。

入学式の一日は子にとって通過儀礼であったのだ。

儀礼を授けられなかった悲しみを、母に何として伝えられようか。それに悩んでいたのだ。

 

日野市では6月から学校が再開されている。あの子はきっと、61日に二月遅れの入学式を通過したと信じている。了

 

 
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