悲しき熱帯には2の夕日描写があります。蕃神はその2例目を本家のCoucherdeSoleil夕日考
と勘違いしていた。あまり取りざたされないこの2例目の紹介です。

21世紀のクリフトンビーチ、遠浅の海、観光スポット

今もデコラクダの伝統は続く
インドのデコトラと本邦のデコトラ(下)





デコラクダ、2の例

神話学第4巻裸の男の最終620頁に引用されるTristesTropiquesの夕日考
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年6月15日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
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サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
   デコトラ、デコラクダ、アッラー降臨
  もう一つの夕日 上
  (読み物) 2020年6月15日
  
 
     

4月(2020年)以来、レヴィストロース神話学の最終、第4巻「裸の男L’Homme Nu1970年刊」の最終章フィナーレFinaleを取り上げています。(神話学フィナーレ1 4月15日投稿続きを読むをクリック)

このフィナーレ最終楽章の最終部を紹介する。

最終巻最終章の最終ならば全4巻の締めくくり、そこに「悲しき熱帯TristesTropiques1955年刊」に記した「le coucher de soleil夕日考」を引用した。神話学4巻とは彼にして、その立ち位置を明らかにしているのですが、著作活動の締めくくりとなります。彼は2009年に没したので、その後40 年近く、自身の言葉をして「黄昏」、ある意味で晩年を過ごす。この間にも発信は活発。とは言え、それらは断片的、過去の蒸し返し、あるいは修正などいわば懐古で占められる(蕃神の個人判断)。

人と社会を「構造主義」の思考から分析し、神話の解釈にもその「構造」を持ち込むなど一の流れの業績がこの4巻本、特に最終巻「裸の男」に、そしてそのフィナーレに集約されています。

最終章において、以前に刊行した著作の説句のいかなる引用もこの「夕日考」以外に見あたらない。あえて「夕日..」を最終の段に取り上げた理由とは、この一文が含蓄する思想に、それを綴ったレヴィストロースにして一入の思い入れがあった、その証左であると感じ取ります。

 

文の一部を引用します;

Parvenu au soir de ma carriere…中略…l’histoire de l’humanite, l’histoire aussi de l’univers au sein de laquelle l’autre se deroule, rejoint l’intuition qui , a mes debuts et comme j’ai raconte dans “Tristes Tropiques” , me faisait rechercher dans les phrases d’un coucher de soleil , guette depuis la mise en placre d’un décor celeste qui se complique progressivement…<(L’homme nu620)

訳:経歴の黄昏(soir夕刻)を迎える今(….これら神話が私の心に残した物とは、最後のとっておきともなる心象であり)、宇宙流れの渦にうごめく人間の歴史が、「それなる」を語り伝える。経歴の最初期「悲しき熱帯」の一節「le coucher de soleil日の沈み」で、私は「それなる」を書き留めた。午後の日が沈み掛けてからそのなる瞬間を覗いつつ

 

訳のつたなさは曲がりくねる原文の仏語的表現、修辞法を顕わにしきれない。思い切って訳から離れこの文意を解説する;

 

レヴィストロースが語るのは神話と宇宙の関わりである。神話が伝える人間社会humaniteの創造と興隆、その歴史は宇宙歴史に刻まれる。人間社会が勃興し衰退し、消える。この様が旺盛な午後の日差しが水平に沈み、闇にまぎれるまでの夕日の移り変わりと同様であると気付いた。隆盛を誇る人間社会も、必ず闇に消える宿命から逃れられない。活動の黄昏を迎える時点で気付いた真実を、経歴の黎明期に悟っていたのだ

 

夕日とは絢爛から闇。その変わり様を文化の創造と勃興、必ず訪れる滅亡に対比した。人間社会の歴史、来し方のみならず行く末を天体の表情に暗喩した一文が「夕日考」であったわけです。

 

実は蕃神は夕日の立ち回りを「一日の流れ朝に起き昼に働き夕べに祈る」と矮小化してしまった。中世の農民が農作業を終えて家に帰る道すがら振り返り、一日の甘さ辛さの思いを夕日に託したかくも呑気に理解して、その一文を恥ずかしくもホームサイトにしたためた。(こちらが夕日考の初稿、2019530日、部族民通信Index頁から2019年に飛ぶ、あるいはサイト内グーグル検索から夕日考を検索する)

 

その後、幾年幾月の雨と嵐、時折に晴。

一人黙して読む書を返すが指先、その先が頁はフィナーレ一文。読むにつれ、なぞる指の視野に潜む含蓄が、洞察の奥行きと狭さ、思考の重さと軽さ。彼我の差とは埋めきれなくも越えられない、その絶対の格差の事実に愕然とした。(ホームサイト2019831日投稿)。

己の近辺周囲のみを気遣う幼稚解釈が、森羅万象には関わらない矮小さにうずくまった。何故にかくも見事にも、浅はかさがさらけ出されてしまったのか。

答を探るに太陽信心という日本人の信仰有様が浮かび上がる。

 

太陽はお天道様である。

日本人は旭日に「平安」を祈る。毎朝、日の出に手を合わせ、眼を閉じてその頭を地に落とし平安を祈る。この儀礼はかつての風習であり、今となれば多くに実践はされていないかもしれない。少ないかも知れぬが信心深い御仁はどこかに見つけられる。

毎日を年一回に省力して、正月元旦の初の出に手を合わせる。朝日に願掛けする古来からの儀礼の名残である。

 

願掛けで人は何を願うか。己と家族の健康、無病息災を祈る。毎朝、祈りをけなげに更新するから、今日の一日の有効期限で十分。短くて狭い範囲の願掛けとして、己と家族が無事ならそれでいいや。割合、自己主義の信仰である。森羅万象の平安など入り込む余地はない。

 

レヴィストロースの夕日考に接して、朝に一日を祈る慣習を蕃神が日本人にして思い起こして、それなら夕日には「来し方一日に感謝すると」と思いついた。

「狭くて短い」日本人的ノリ、この短絡狭隘の図式が乗り越えられないのが生まれ育った文化が特性、民族思考回路の伝統なるくびきである。

もう一つの夕日が悲しき熱帯にあった;

 

悲しき熱帯第4部「la terre et les hommes大地と人間」の最終部を引用する。

Je me souviens d’une promenade a Clifton Beach, pres de Karachi au bord de l’ocean Indian. Au bout d’un kilometre de dunes et de marais, on debouche sur une longue plage de sable sombre, aujourd’hui deserte mais ou , les jours de fetes, la foule se rend dans des voitures trainees par des chameaux plus endimmanches que leurs maitres<(悲しき熱帯ポケット版161)

訳;カラチ近郊、インド洋を臨むクリフトン浜での逍遥を今も思い出す。いくつもの砂山と潮だまりを1キロメートルほど歩き続けて、黒みの強い砂の波打ち際に出る。今時はきっと、そこに誰も見あたらないだろう。祭りの日には大勢がラクダ牽く車に乗り込み寄り集まる。そのラクダときたら飼い主よりも絢爛たる晴れ着を着こなしているのだ。

 

ラクダの着飾りの様2葉をネットから拾った。

 

インド、パキスタン名物の「デコトラ」に通じるところがある。ドライバーや所有者は地味目の服飾でがんばって、浮いた費用で乗り物を飾り立てる。自身が前面に立つのではなく、乗り物を通じて己の存在identiteを主張する。日本にもデコトラ、あるいはデコバンの習俗は見受けられる。乗り物を飾り立て威勢を張る、世界共通なのだろうか。

日本のトラック野郎も負けるものか!

 

筆先が迷うた、許せ。悲しき熱帯に戻らむ。

L’Ocean etait d’un blanc verdatre. Le soleil se couchait; la lumiere semblait venir du sable et de la mer, pa-dessous un ciel en contre-jour. Un veillard enturbanne s’etait improvise une petite mosque individuelle avec deux chaises de fer empruntees a une guinguette voisine ou rotissaient les kebab. Tou seul sur la plage, il priait.<(同)

訳;海は鈍い白色だった。太陽は沈んでいた。薄暗いなかに光は漂う。夕べ残りの日の輝きを孕む西の空の下。そこには砂浜、そして海。西から光が一帯に迷い込むかに見えた。ターバンを頭に巻いた老人が、椅子を2脚、それは浜に面する小屋がけのケバブ焼き店からの借り物だろう、を砂浜に置いた。そして小さな個人用のモスクを広げた。浜辺に彼は一人、祈っていた。

 

蕃神の読後の個人感覚となるが、夕日考の本家「大洋に沈む夕日」と比べると、この「夕日に祈る老人」からより強い印象を受けた。昼の間の喧噪ぶりは祭日かバザールの混雑を思い浮かべる。夕べには雑踏が消え、老人一人となった。そのコントラストが目に浮かび、心にしみ込むほどの感慨を残した。最後の句>Tou seul sur la plage, il priait.<誰もいない浜で祈っていた。この状景がはっきりと浮かんだからである。

 

ターバン老人の浜辺の祈りを詳しく再現したい。

 

「大地と人間la terre et les fommes」の部の14章は「空飛ぶ絨毯」Le tapis volantの章名を取ります。読み進めると回教徒がモスクから離れて祈る時に、地に絨毯を敷く規則あるいは習慣が語られている。引用文節に限れば絨毯に説明が及んでいないけれど、読者は浜辺の老人はまず足下に絨毯を敷いたと想像する。

個人用モスクとは何か。

携帯可の祭壇、祈りの台と理解したい。

イスラムの徒はアッラーに毎日幾度か、定刻に祈らねばならない。寺院モスクから遠く離れた教徒はどう祈るのか。地に跪きアッラーがおわしますメッカ方向に向かい、ひたすら平伏し、祈りを捧げる。

浜辺の老人は;

絨毯を敷いて携帯式祭壇をその前に置いた。メッカはカラチから向かうと真西、すなわち西を臨む浜辺の波打ち際にそれを置いた。己の位置はその対面、老人が砂浜の側、すると祭壇はインド洋の縁に接する。

 

2脚の椅子はどこに置く。記述はない、察してくれとの暗示が籠もる。ゆえに蕃神の推察が始まる。

 

一脚は祭壇の安置に用いる。神聖な物だから砂に直か置きは不謹慎だ。

もう一脚を祭壇脇に据える。祈りなので神のご降臨を願うのだから神様の居場所を決めないと。神様アッラーには脇の椅子に鎮座をお願い申す。「そこに立っていてくれ」と彼には命じられません。

この携帯祭壇なるをネットで捜したが、採取できなかった。敬虔さでイスラムの徒と同等とされるチベット仏教徒、彼らが旅先で祈りを捧げる携帯祭壇の写真をここに貼る。

(チベット仏教なる語を用いたが民族的特異性はなく、大乗教、正統なる北方仏教である)。

 

さて浜辺の老人、祈り用意の万端が整った。

祭壇はしっかり椅子に据えられた。脇の椅子には誰も座っていない。

老人は退いて絨毯の上、跪いた。目の前に夕日が終わってその残照が白く鈍く広がる。平伏し祈る、その方向は真西。

祈りが通じたならばアッラーが降臨する。祭壇脇の椅子に座す。しかし老人は頭を垂れて砂を見つめるだけだから、降臨し椅子に座したアッラーご尊影を見ることなど不可能。浜辺には誰もいない。たとえ見ようとてアッラーは全くの透明だから、人の目玉は検知できない。見ようとする意志すら持ってはならない。しかしその夕べは神が降臨し、2脚目の椅子に座したと部族民蕃神は信ずる。

老人を見下ろすアッラー。絨毯も祭壇も老人の平伏姿は見えるけれどアッラーだけが見えない。全くの、曇りの一条すら見つけられない透明な影が座っていたのだ。

浜べにはこんな状況があったのだ。

最後にCliftonBeachの今、レヴィストロース訪問後70年を経てリゾート地と変身した。写真を幾つか。

 

続く


 
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