発達の理念でレヴィストロースに批判されたが、ピアジェが偉大な心理学者である事は変わらない
本投稿に登場するピアジェとは異なる理論を展開した発達心理学の先学


LevVygotsky(1896~1934年)



SuzanIsaacs(1885~1948年)
ラッセル車、子が目のあたりにして「雪を食べている」と判断した。うなずけるほどの勇姿。
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年5月15日
 
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  親族の基本構造を読む 下 ピアジェ批判の続き(2020515日投稿)
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ピアジェは「発達」をフロイトから取り込んだ。それをontogeneseと規定した。Phylogeneseだとすれば心理学の範囲から逸脱するからである。そしてこの収斂性に独自の解釈を試みた。

 

Piaget a eu , a cet egard, une attitude plus nuancee, mais  qui manque souvent de clarte. Il retrouve dans la pensee enfantiles la magie, l’animismes et les mythes et, a propos du scrifice, il remarque qu’a chaque pas, on peut s’attendre a rencontrer des analogies entre la pensee de l’enfant et celle du primitif.(103)

 ;nuanceニュアンスの勝る。ニュアンスとは一の色調の中での濃淡。少し暗いけれど赤色、紫には入らない。一の色の範疇の中での濃い薄いがニュアンス。これが原義の凝った用法では「定義付けしていない」「曖昧」など否定が強い。

sacrificeを犠牲としたが具体的には「神に捧げる動物(屠る)」である。宗教、信心に伴う「屠り」の習慣、その類型としても捉えられる。

 

上引用の訳; この点(未開と子供の心理を比定してしまう問題)についてのピアジェの態度は微妙さに勝り、明確さに欠けていた。彼は子供の思考に魔術、霊魂、神話を認めた。そして犠牲(屠り)の習慣について、彼の論調には、論を進める度に、子と未開人とを同類とする主張が展開し、その論調は読者にも明らかとなる。

 

未開人の精神風土とは魔術、霊魂、神話そして犠牲(屠り)で充満している。文明人はそんな(非合理)をすっかり忘れているが、(発達途上の)子供にそんな(未完成)精神がわだかまる。ピアジェの主張である。

 

この下りに対してレヴィストロースの指摘は;

il admet ‘ un certain parallelisme entre ontogenese et phylogenese’ , mais ‘ jamais nous n’avons songe a voir dans le contenue de la pensee de l’enfant un produit hereditaire de la mentalite primitive’, car ‘ ontogenese explique la phylogenese autant que l’inverse’.<

訳;彼は個体発達と系統発達にはある種の平行性が認められるとしている。しかし(西洋の)子供精神の中味が未開人精神を引き継いでいるとしているわけではない。なぜなら個体発達は系統発達を説明するし、その逆も言えるからである。

 

フロイトも惹きつけられた「個体発達は系統のそれを説明する」を前の句(ピアジェのnuance)と整合させながら引用文(レヴィストロース)を解説する;

 

1      ピアジェは西欧人と未開人を同一の「人」に括らず、別の系統としている。系統から個体へとつながる発達の仕組みは(生物学の系統・個体発達の法則から)同じと見ている。

2      系統発達に個体発達が平行する図式とは、種としての発達段階の終盤に個体発達が昂進する。それ以降、系統と個体が並列に発達し、種として個体として完成体を獲得する。

 

3      西欧人の系統発達の最終段は未開人のそれよりも優位にある。優位点からの個体発達なので、その過程は抽象概念と演繹思考の獲得まで進む、この終段階は西欧では幼児期に類型が見られる。

 

 

4      未開人の系統発達の最終点は「未完成な思考」なので、そこを起点とする個別発達の最終点は演繹思考を獲得できない(個別は系統を説明する;ピアジェ主張の意味)。魔術と神話信仰(西欧人では低段階の個体発達)で終わる。西欧での個別発達の起点(未開人とは系統が異なる故に別の過程であるが)は幼児の未発達精神であり、未開人の個体発達の最終期とこれが対比できる。

 

(上1~4はピアジェの原文に接せず、レヴィストロース批判を読んだ上での部族民蕃神の「一方的」解釈です。発達心理学に詳しい方からの反論、学会の内部での見解は蕃神と異なる解釈であるならご指摘を乞うtribesman*tribesman.asia *@半角に変換) 

 

レヴィストロースが発起する提題は;

「系統発達での劣位点から出発するとされる「未開人幼児」は、上位点から出発する文明人幼児と比べ出発点での精神に遅れがあるのだろうか」。未開人の幼児は西欧の幼児よりも劣るか?

 

レヴィストロースは少々手のこんだ策に入る。

 

Toute tentative hasardeuse d’assimilation se heurterait, en effet, a la contestation très simple qu’il n’existe pas seulement des enfants, des primitifs et des allienes, mais aussi , et simultanement, des enfants primitifs , et des primitifs allienes< (103)

訳;向こう見ずの同一化の試みは単純な問題にぶつかる。子供、未開人、気の触れた者だけを、同じ発達レベルと比定し、それを証明するだけでは事足りない、未開人の子供、未開人の気の触れた者も発達理論に組み込まなければならない。

注;向こう見ず...はこの文節の直前に「あらゆる発達の変異を統合する理論がいずれ構築される」との味到しに対しての返答。さらにassimilation同一の一語はピアジェの学説総体の換喩と解釈できる。

 

続いて

Cette objection vaut d’abord , contre les etudes récentes consacrees aux entants dits ‘primitifs’,  non parce qu’ils appartiennent a des sociétés différentes a la notre, mais parce qu’ils manifestent un incapacite d’accomplir certaines operations logiques. Ces travaux font d’alleus apparaitre une difference, et non une ressemblance, entre les anomalies de la pensee infantiles et la pensee primitive normales.<()

訳;この (ピアジェに対する) 反論は、(彼*が予測した)最新の研究結果と異なっていたのだ。未開の子とは「未開社会」に所属するのではなく、(西欧、実はロシア)の子ながら論理遂行能力に欠陥があるから「未開」としている。それら「未開の子」の精神は、未開成人のそれとは差異があると示した事から価値がある。

 

「彼*」とは訳注で、その「彼」は後文に出てくる。

 

西欧の子の精神は未開人成人のそれと大違いであると彼*が証明した。

 

上の2の引用は唐突感が強い。訳を試みながら具体性が弱く前述、前々述の文句の意味する処との絡みに理解が回らなかった。続く文で種明かしが出てくる。

 

A la difference de la pensee magique de l’homme primitif, ou la connection entre les idées est prise pour une connection entre les phénomènes, les enfants etudies prennent la connection entre les phenomenes pour une connection entre les idées<(同)

訳;未開人成人が持つ魔術に対する考え方は、あらゆる思考を結ぶ体系は事象との結びつきを確保する為にあるが、研究対象とした(未開の子とされる)子達は思考を結ぶために、事象間の結びつきを見つける。Vygotski(発達心理学のもう一方の雄)の引用(The problem of the cultural development of child 425頁 1929年)でした。彼*はヴィゴツキーです。

 

この一文を導入する為に上記2文節を唐突ながらにも差し挟んだ。

 

小筆はある例を思い出した;

 

1      幼児の理解「雪かき車は雪を食べて生きている」(NHKの読者投稿番組の聞き留め)。幼児が雪を「食べる」事象を目撃し、生きるために食べる「思考」に結びつけた。

2      魔術の考え方「不幸な死は祟る」との思想が先に立ち、天変地異に結びつける(崇徳天皇、菅原道真などの例)。飢饉は道真の死霊が祟っているのだと。

 

ここにピアジェとヴィゴツキーが並んだ。しかし発達心理学の深みには部族民蕃神は入り込めない。ネット情報と若干のコメントを入れる。

 

子どもは内言(独り言)を習得していくことで、ことばを思考の道具として使いこなせるようになり、黙読できるようになります。小学校低学年では内言を使いこなすことはできないものの、小学校3~4年生以降くらいには内言が完成し、自分の頭のなかで思考することができるようになります<(ネットサイト3分で読めるヴィゴツキーから)

 

ピアジェは発達段階を「構造化」し外容と内実に分けた。外界刺激で構造そのものが変態するという、いわば機械論を展開した。これを庶民生活に例えると木造平屋建てで生活していたが、近隣情報を集めて二階建てに建て替えた、見てくれが悪いから豪華に門構え数寄屋にしたとなる。精神の仕組みでこんな構造ごとのひっくり返しが起こるのだろうか(蕃神)。

ヴィゴツキーは外界に言語、教育などを当て、内実の発展を説いた、社会目的論と言える。(レヴィストロースの指摘する)ピアジェ説の欠陥の構造体の変遷及びハイパーコンバージェンスはヴィゴツキーで解消されている。

 

言語、教育を文化(神話、通過儀礼)に置き換えれば「未開」人の発達の仕組みは文明人のそれと変わらないと言い切れる。いずれかを支持するに、人類学の徒レヴィストロースの迷いは無い。

 

この後には、未開人の社会での成人と子供の差異、世代間の葛藤など民族誌学の観察を紹介に入る。子と成人の精神、知恵の差異は文明社会でも同じく観察できる。これらが意味する処は文明と未開の別々の系統発達、それら着地点の優劣、個体発達における出発点の優劣。結果として「未開人」の演繹思考の欠如説は誤りに他ならないとする。

 

未開人の幼児も西欧の幼児も同じ立ち位置を占める。

 

傍証として幾人かのピアジェとは別系統の発達心理学者の見解が紹介される。

 

Il ne faut pas croire a je ne sais quelle misterieuse necessite interne qui ferait repasser l’evolution individuelle par tous le chemains tortueux de histoire....La ’repetition’ ontogenerique n’est qu’une fausse histoire : elle est plus tot une selection de modeles offerts par la langauage...<105頁)(P.Guillaume

訳;私にはとても理解できない仕組みなのだが、何らかの神秘的な必要性が精神の内側に存在しそれが個の進化を、遅々として長き(系統の)歴史を用いて、再発生させる、こんな戯言を信じてはならない。個体発達が繰り返されるとは「偽り」の話しでしかない。それは言語体系が提供する種々の選択肢からある一つを選ぶ作業である。

(少々強い訳である。それは’je ne sais quelle’(知るものか)、feraitfaire起こす動詞の条件法だからあり得ない事象)、fausse偽り...など文全体で否定の強さを見せる点に留意したから)

Paul Guillaume1878~1962年)ゲシュタルト心理学(これはナンなのだとしか言いようがない学問分野。これ以上の解説はネットで見てほしい。著作は多い)

 

La culture la plus primitive est toujours une culture adulte, et par cela meme imcompatible avec les manifestation infantiles qu’on peut observer dans la civilisation la plus elevee.(107頁)S.IsaacsIntellectual growth in young childrenからの引用

Susan Isaacs(1885~1948年イギリス)幼児教育

訳;最も「未開」とされる文化でも「成人」の文化です。それは最も進化している文明でも子供の見せる言行とは一致しない。

 

両氏の引用をヴィゴツキーの引用文と併せ読むと理解が早い。ピアジェ発達説の否定と受け止められる。最後にレヴィストロースの言葉を;

 

La ‘regression’ apparente n’est donc pas un retour a un stade archaique de l’evolution intellectuelle de l’individu ou de l’espece : c’est la reconstition d’une situation analogue a celle qui preside aux debuts de la pensee individuelle seulement<

訳;(未開とされる社会に)際だつ後退とは系統、あるいは個体の知的進化の古典段階への逆転現象ではない。人の思想に宿る進化過程の原初に位置する思考を再現しているだけである。

 

意味の深い一言です。部族民蕃神の解釈は動詞のpresidepresid司るの現在形)を注視する。過去にのみ個人を仕切っていた状態ではない。その場合はpresida(単純過去)を用いる。すると個人が先験として持つ智の類型を再現したのだとなる。こうなるとカント先験に行ってしまうが、これは小筆の平凡さ(banalite)に陥る悪癖のなせる処だから、読者諸氏に解釈を譲ります。了

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最後に;

レヴィストロースが批判するピアジェの論点は「未開」社会を幼児的社会とした論の進め方にあります。系統発達と個体発達を組み合わせ、未開人個体発達の起点は文明人のそれよりも劣位にあるとした、(彼の言うところの)向こう見ずな同一化を批判しているのみです。実学としての発達心理学、今も教育現場で応用されている実情を批判する文ではありません。

 

 

 
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