GezaRoheim
本書購入は幾分か前となる。題名からして「人類学」の純研究書と判断し、読むに遠ざけていた。読み出した経緯は本文にあるが、この本は民族誌の資料を用いて構造主義を解説した哲学書です、近々に全体紹介を取り上げます。



蕃神
親族の基本構造。この個体は第2版第2刷、1968年版。中表紙
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年5月15日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
       部族民通信  ホームページに  
サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
   親族の基本構造を読む 上 ピアジェ批判の続き 人類学(2020515日投稿)
  下に移動する クリック
 
   

先の投稿でピアジェ批判を取り上げた。「裸の男フィナーレ」からの抜粋である。話学最終章 フィナーレ解説 1 4月15日投稿

ピアジェ批判は神話学第4巻「裸の男」最終章に、突如取り上げられた感を与えるが1947年刊行の「親族の基本構造」Les Structures Elemetaires de la Parante7章「古代という幻想」L’illusion archaique98113頁)で子細にかつ徹底して論じられていた。裸の男の脱稿は1970年、基本構造から23年を経ての再批判となる。ピアジェの論旨に危惧、あるいは忌避を覚えたよほどの危機感があったと推察してしまう。

 

そこで「裸の男フィナーレ」を一旦離れ、「親族の...」でのレヴィストロースのピアジェ批判1947年版の骨子をここで紹介する。過去投稿(2020515日)で取り上げた展開と重なる言い回しは一部に認められるがその点をご容赦。

 

(雑なる一節;新型コロナ禍巻き込まれ高熱を発し、さらに焼き鳥店「南平ヨッチャン」の下働きを飲み屋不況で解かれたから、4月はもっぱら「読む楽しみ」(徳永恂氏一生の名言)にふけった。書庫(段ボール)から「親族の...」を引っ張り出して再読したら、ピアジェ批判にぶつかった。「裸のフィナーレ」を先に読んでいたから、両の筋立てを照らし合わせた。理解の深まりもより一層と、勘違いしながら思った)

 

1      ピアジェは「未開社会住民の精神構造は文明社会の幼児のそれにあたる」、読み流しても今にして、奇妙きわまりのない説を論じた。「未開」なる差別語を容認しない人類学者としての反論である。

2      レヴィストロース論点の基準としてgenese=発達、発生の否定である。ピアジェの心理学は幼児期から青年期までを4段階に分け、精神の成熟を説く。その原動力にgeneseが位置する。論の基本理念を否定する訳だから、彼の理論、論旨と仕掛け様々などの全否定につながる。

3      「構造」へのピアジェの思考の曖昧さ、その不確かに立脚したレヴィストロース批判への反論も読み応えは重い。

 

「親族の基本構造」98頁から数頁は前項のおさらい、省略して102頁に入る。

 

Le probleme des rapports entre pensee primitive et pensee enfantine n’est pas nouveau>

訳;未開人と幼児を比較する問題は目新しくはない。

Le problemeは<そうした問題>、すなわち進め方の論理手順の「問題」ではない。比較する事自体に問題があるとしている。

 

Il a ete pose dans des termes a peu pres immuables par des auteurs aussi eloignes ailleurs que les psychanalystes et certains psychologues comme Blondel et Piaget>

 

訳;この問題は精神分析家と心理学者というそれなりに離れている、例えばブロンデルとピアジェの関係だが、場合においても、ほとんど同類の表現手法で論ぜられた。

 

termes a peu pres immuablesimmuablesは不変、継続したとの意味。それぞれが共通の用語でこの課題を語っている。故にレヴィストロースの本意はそれなりに分野の離れた両者(精神分析と心理学)に影響を与えた思考があったと示唆している。

 

BlondelCharles1876~1939年、フランス)は精神分析家らしい。明治に当てれば9年生まれとなる、ピアジェは1886年の生1980年没。比較の意味で西田幾多郎は1870(明治3)生、1945年没。レヴィストロースは世紀が変わって1908年生、2009没。上の2名は生まれ死もレヴィストロースの一世代の前である。

 

当事者らの生年に拘泥した理由は、19世紀後半20世紀前半、一次大戦勃発まで欧州一部に不穏な思想が跳梁していた。そして上の2者は生年からしてそうした思想に感化されたはずと(蕃神は)勝手解釈しているからである。

 

産業革命と植民地支配で西欧が潤っていた時期、白人至上が西欧に猖獗していた。この時期に教育を受け言論を展開し、社会指導者として施政していた者らには、西欧優位思想の漂いが底流に感じとれる。政治の分野での典型例として日本人を「サル」呼ばわりし、朝鮮を併合するとして日露戦争を起こしたロシア皇帝ニコライ2世があげられる。

学術界では風潮の先駆けとして人類学者にレヴィ-ブリュールLevy-Bruhl(1857年生)の名が思い浮かぶ。ブロンデルもピアジェもこの時代の風潮に蚕食されていた。

それなりに(用語、思考判断で)離反しているはずの精神分析と心理学においてでも、その差異を乗り越える西洋至上の時代風潮に影響を受けているから、同じ用語を用い未開人と幼児の精神を重ねていた。

(以上は私感にすぎない)

 

ここがピアジェ批判の出発点である。なおレヴィストロースのレヴィ-ブリュール批判は前の投稿で取り上げている。一世代二世代遅れの生を受けたレヴィストロースは、二次大戦でナチスの非道に直面し、その根底に民族差別があると知るから「西欧至上」を批判している、

 

親族の基本構造に戻る。続く分節でフロイトを取り上げる。

 

性衝動(リビドー)において口愛期、肛門愛期...などと発達し性愛に向かう。性愛は禽獣には見られない人に特有な情緒である。いわば人精神の極点に位置する。このフロイト説における「発達」の仕組みがピアジェの「心理発達」につながる。

 

発達はgeneseである。大文字Geneseはバイブルが語る「天地創造」を意味する。小文字で始まる普通名詞の意義は>le procesus qui commande le devenir d’une chose <Dictionaire de philosophie, Nahan出版>ある物の(始めから決定されている)未来に向かう行程。行程はphylogenese(系統発達)とontogenese(個体発達)に分かれる。

 

phylogeneseは>L’evolution de l’espese, s’oppose a l’evolition de l’individu ontogenese (引用はDictionaire de philosophie, Nahan)。系統、集団、種、属などの発達(phylogenese)と個体がみせる発達(ontogenese)に分かれる。性衝動リピドーは人の「発達」過程に出現する。ではその過程とは系統発達なのか個体発達の結果なのか。

フロイトは答えていない。

 

弟子筋にあたるRoheimGeza, 1981~1953ドイツ)は;

Freud a montre que les theories sexuelles des enfants representent un heritage phylogenerique<

訳;フロイトは子供が顕わにする性衝動は系統発達を引き継ぐ。

 

口愛期から性愛に発達するリビドーの原動力は系統発生によるとなった。新たな疑問が湧く。系統発生であれば精神や心理から離れて、生物学の範疇である。すると人の性衝動の特異(段階性と最終の性愛)は、同じく系統発生である人の身体、臓器、例えば睾丸やら子宮の形状、性能に支配されているとならないか。精神分析とは実は人の肉体形状を調べる学である。こんな極論につながりそうだ。

 

Roheimが系統発達とした背景はフロイト自身が「種としての人の発達過程を、個が再生する」(人の胎児が魚、は虫類などの形状を経時的になぞり、最終に人の子として産まれる説。後に否定されている)に関心を持っていた事実。しかしそれにまして、個体発達ではフロイト説を展開しきれない陥穽が潜む、これを知るからである。

 

発達理論の陥穽とは;

 

精神の内部作用の発達様式が段階化され、あらゆる人がその段階を踏み、(誰彼の区別無く同一の)目的点に到着する。仕組みのこの規格に合致しない人は、発達が阻害されて例外とされる。人が10億人いようと50億人であろうと同一の様態に突き進む。もしこの仕組みが個体発達であるならば、同一を目指す原動力、根源は何処にあるのだろうか。

個体発達に関わらず目的点が同一、これほど強力な収斂(convergence)はあり得るのか。

これらを鑑みてRoheimphylogeneriqueとせざるを得なかった(部族民蕃神の解釈)。

下に移動する

 
    ページトップに戻る