CollegedeFrance教授室にて
(写真はネットから)クリックで拡大

渡来部須万男、
近影。


フランス学院(College de France)のレヴィストロースの教授室。もはや主はここに住まない、撮影された日は彼が死去した後。L'Homme 2010年193号から撮影、クリックで拡大。
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年2月 15日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
       部族民通信  ホームページに  
サイト投稿
渡来部 須磨男
   留学事情 50年前 レヴィストロース、ルロワグーランとの対話 5
  (読み物) 渡来部 投稿 2020年2 月15日
  (留学事情...1  2  3  4  5 に飛ぶ。それぞれをクリック)
  
 
 

渡来部須万男(部族民通信の開設者)の投稿を続けます。

レヴィストロースの公開講座は

>全く理解は出来ない<惨め状況にはまり込んだ、で前回を終えた。
ハナのパリその中央のラテン区なるが学びのミヤコ、フランス学院(College de France)が位置するの舞台はそのド真ん中の
階段教室。紛れ込んだはアジア系若者一人、当代きっての学識レヴィストロースの講義を聞いたらチンプンカンプンに錯乱した。

華麗なる悲惨(徳永恂の著書名)をまさに実行してしまったのだ。

講座はその後も続くし、私(渡来部)も欠かさず出席するのだが、理解に至らない。その原因は第一に頭脳回転能の欠損、次にフランス語理解の未達が挙げられるが、これらと決めつけて正しいだろうか。別の何かが、頭巡りの位相差を、決定的に阻害しているのではなかろうか。

そんな疑問が浮かんだ訳はというと、頭の良し悪しは千差があるにせよ聴衆が100人として、下位かも知れないが、私が最下ではないだろう。フランス語にして能力差があるとしても、講義での言葉は別系なので書を読み、専門の語彙を学べば追いつける。では彼らはあれほどの「ラテン語」みたいな「口演」に追随し理解しているか。全員がそうした特殊能を持つかに疑問を抱き、100人中数人しか追随できないと(負け惜しみ気味に)推定した。

 

他人はどうでも良いのだ、己の悲惨の真の原因は何か;

 

講演に対する意識、彼我の差である。

講座としていたが、その語感は「教育」「単位」との繋がりが強い。公開講座は単位を与えない、演者の思想を伝えるだけ。故に講演の語感に馴染む。そして彼の地で講演とは伝えの様が「一方通行」に徹する。演者は語る、述べる。しかし教えない。学部生となって講座とゼミ(travaux diriges)に出席して、理解不能に陥った経験は覚えなかった。それらには「教える」目的が厳としてあるから。

 

講演での言葉の伝わりは一方通行であるも、中には、演者は聴衆の反応を掴みつつ論を進める。核心に入って、そこ辺りの理解が容易ではないと自ら知るから、繰り返したり筋道の絡繰りを明かしたりする。この一工夫で理解できる。演者にも聴衆にもよけいな経費(口数の無駄、頭の空回し、そして単位落ちの量産)を予防できるから経済的だ。こうした演者は有り難い。

しかしレヴィストロースは過激だ。講演とはかくあるべし、その原理主義者であるから教えず伝えず、問いかけて考え込ませるだけだ。

 

聞き取り不能の学術用語を容赦なく用いながら、ひたすら語る。言葉の句切りは浪々と、息の繋ぎの乱れも聞こえず、喋りの速度は常に一定。己が頭に組み立てている他人に見えない文脈を、言葉と言葉の脈絡で、一語と一語を踏みしめながら、自分だけはしかと前に進み、聴衆を後ろに置き去りにする。

 

その例;

Bien que les connaissances sur les systems numeriques des indiennes laissent beaucoup a desirer, on sait que les systems  decimaux reganaient en Amerique du Nord. En revanche, ... le nombre ordinal et le nombre cardinal, la somme arithmetique assure une sorte de mediation,...puisqu’elle permet toute a la fois aux nombres de parraitre l’un apres l’autre , et d’etre presents en meme temps>(講演できっと語ったはずの「食事作法の起源」から引用)

 

論を理解するに、これら言葉の繋がりと息継ぎの狭間に演者が訴える、それが何かを把握しながら筋立ての、核心となる語を己の耳で探し出さねばならない。走馬燈を聞くがごとく流れて消えゆく一方通行、言葉の影のはかなさを後ろからこれぞと一言を引き抜いて、理解の手口はここにと当たりを付けたら、さらに前節、前々節でわだかまった言い回しを舌に噛みしめ、自分勝手でも良いからと工夫し解釈しながらに、全体に迫る。しかしその刹那にも口演は進展している。考えあぐねで頭大混乱さなかにも、目の前のレヴィストロース口舌を同時に聞き取るべく専念し、耳だけでも理解し続けなければならぬ。しかし如何にして、耳で言葉を理解するのか。書いてるだけでこっちの頭が混乱する。

 

上記引用の核心は「decimaux」十進法があって、「nombre ordinal」序列数詞、「nombre cardinal」基本数詞が難関に控える。これらの語彙の概念と2者、3者の区分を峻別するところから理解が始まる。そしてla sommemediation仲介者となるとは何事かに気付かなければ全体はぼやけるだけで終了する。
しかし普通の人が普通には、これら語の概念を即座に理解するとは考えにくい。

(なお序列、基本数詞、la somme mediationとなるを解説し、PDFを作製している。「食事作法...の続き2」クリック、20191015日投稿。蕃神注)

 

よって;

「ちょいと聞きに行くか」

好奇心で、向学心でもそれに臨むのでは理解はできない。著作に接し何を主題とするか、どんな用語が用いられるかを前もって調べない限り、理解は無理と知った。その覚悟を聴衆にレヴィストロースは求めている筈だ。演壇と列席を挟んでの刃撃に散るは火花、これは智の真剣勝負と言えます。
口舌で相手を納得させるローマ時代以来の雄弁、そのパトスが階段教室に危険なほど充満していた。しかし骨の髄から日本人の私
(渡来部)は、呑気のままにそれに気付かなかった。

 

彼我の差は匕首を胸に呑む哲人に対し、呑気坊ーヤの気晴らしに収斂された。勝負にならない喩えでした。

 

後日、書店に出向いて本書を購入した。少しずつ読み進めるのだが、理解に至らない。2週に1回の公開講座は楽しみだったが、その度に「華麗なる悲惨」の実地体験に泣いた。

雄弁、そのパトス」に戻る。

本投稿第2回で発掘現場へのドライブ車上でジュヌヴィエーヴが名詞文節とするが、勿体ぶった言い回し」で私を煙に巻いた。「レヴィストロース...対話」クリック。彼女に会う度にその言い回しが始まり、周囲は「また始まった」とあきれ顔をみせる。その意は「どうせヤツ(渡来部)に分かるはず無い」と言いたげだった。こうした言い回しの源流に「雄弁術」が潜む、平凡な語彙を用いてまともな言い方で意思を伝えれば相手は理解する。しかし理解とは納得を促すのみで「賛同」には進まない。

文節を一回二回とひねくり回して、文章全体を名詞に変換する、この換喩(metonymie)が説得に必須なのである。

換喩の言い換えぶりを接する智の楽しみ、言い回しを雄弁に昇華させる言葉の妙を耳にする喜び。階段教室に集まるパリ市民は哲学、人類学以上に彼の弁舌を心して待ったのでは無かろうかと感ずる次第であります。

レヴィストロースとの対話はあったのか?

無かった!

一の学部生が稀代の哲学者に近づける機会はない。それが発生したかの表題で、長いこと引き続けた詐欺性は反省する。しかし、読者にはこう考えてくれ。「彼の地の講演とは演者と聴衆が真剣勝負で戦う「対話」がある」と知ったのだ。さらには彼の右腕と目されたプイヨン氏とは幾度か対話したんだから赦せ。まあ、こんな処だ。

 

終わりに;学生留学の制度を設け、私(渡来部)を選考し派遣してくれた財団法人「サンケイスカラシップ」様に深謝を表します。面と向かって真摯に「ソルボンヌ学部に登録するにはaccueil(選別する事務所)で口頭試験があるから、目的をしっかり説明しないと落とされるわよ、文明講座にまわされるのよ」有り難い助言を授けてくれた島田明子様(サンケイスカラシップ事務局)には多々感謝です。風の便りは山岳遭難。お若くして他界なさった明子嬢への謝意と、伝えそこねてしまった思いの熱さが届くを願いご冥福を祈ります。合掌

 
    ページトップに戻る