アメリカバク
体長2メートルの大型動物
南米先住民の神話では誘惑者

図は本書挿絵

キツツキ、図は本書挿絵から


キツネ、騙り裏切り好色などその性状は芳しくない(図は本書挿絵)


神話学第二巻「蜜から灰へ」出版は

1967年1月。

読後感「めっぽう面白い」
 部族民通信ホームページ投稿7月20日   開設元年6月10日 更新
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悲しき熱帯より
   レヴィストロース神話学第二巻「蜜から灰へ
    Du miel aux cendres
」紹介
1      
 サイト主宰
蕃神義男
  前文は長いしたいした事などないので別頁にした をクリック


本稿はレヴィストロース神話学第二巻「蜜から灰へDu miel aux cendres」から

1 蜂蜜狂いの娘

2 カエルの饗宴変奏曲

を取り上げます。

 

蜂蜜狂いの娘

M211  renard malade病に伏せるキツネ toba族 87

toba族はパラグアイの地に住んでいた。比較的早期に西欧文明と接していた。なお各部族の生活域はアラカルトに)

村人総出で蜂蜜採りに出てまあまあの収穫だった。キツネも一員で頑張った格好は見せていた。帰宅して、蜜狩りの最中に毒蜘蛛に刺されと言い張り、寝込んでしまった。妻は治療師を4人も呼んだが、どんな術を施しても治癒に向かわなかった。A cette epoque , Renard avait forme humaine. Comme il convoitait sa belle-soeur qui etait plus jolie que sa femme, il exigea et obtint lui servit d’infirmiere. Il comptait sur le tete-a tete pour le seduire>キツネはこの時期、人の姿を持っていた。そもそも彼は義理の妹に懸想していたから、この機会を逃さず彼女の看病を求め、顔と顔の(tete-a-tete頭と頭の突き合わせ)で口説く場を画策した。しかし義妹にはねのけられ、姉(キツネ妻)に言いつけられ放逐された。

最後の行<Une conduite si peu en rapport avec le mal dont il se pretendit atteint finit par eveiller les soupcons, et Renard fut demasque.

悪気はなかった魔が差しただけと言い張るが、そんな小さな行動(手を握ったのか、額を付き合わせたのか)で根性がばれて、キツネは仮面が剥がされた。

キツネは南米神話にちょくちょく登場する。性状(propriete)は固定しており、必ず否定的に描写される。レヴィストロースはdecepteur騙し裏切り屋と形容するが、彼の仕掛けは稚拙でいずれバレるから喜劇的悪漢、その上好色役を担っている。

上の引用神話で見え透いたウソを並べると;

1 4人の治療師を呼んでも直らない。これがウソ、直りたくなかった、病気でもなかった。 2 お前も忙しいだろう、妹が看病に来てくれれば直ると妻に強要する。ウソ 3 口説きの場をしっかり仕組んで迫ったが「魔が差した」衝動と言い張る 5 蜘蛛に刺されたからの一連が義妹口説きの場を作るため。行動全てが仕組まれて、全体がウソ、すっかりバレた。

この神話を前段に置いたのは、続く蜜狂い娘神話で、「悪役」として登場するキツネの舞台回しを読者に示したため。日本昔話でタヌキが出てくれば騙し役decepteur間抜け、そんな役を知らしめるためである。

 

M212 蜂蜜狂いの娘la fille folle de miel Toba族 

Sakheは水の精の娘、蜂蜜をこよなく愛し、もっともっとと要求していた。母は「それほど蜜が好きなら結婚しなさい」と答える。キツツキの嫁になったら蜂蜜をもっと食べられると娘は知った。

キツツキ探しに旅にでる。道すがらキツネに出会う。キツネはとっさにキツツキに変身する。しかし喉元の赤さまでは真似できず、娘を欺けなかった。その上背負い籠に入っているのは、蜜とは遠い間に合わせの泥。偽キツツキを袖にして婿さがしの旅を娘は続ける。ようやくキツツキに出会い結婚を申し出る。

やりとりは;

Pic manifeste peu d’enthousiasme, discute, se declare certain que les parents de la jeune fille ne voudront pas l’agreer...>キツツキは申し出に少しものぼせ上がらなかった。いろいろ述べて君の両親は私との婚姻に賛成しないだろうとも伝えた。

そんなやりとりの後、キツツキは樹上から下り娘に近寄った。肩にする袋に蜜が充満していた。娘うっとり、何とかこうとか言いくるめをぬかし結婚にこぎ着けた。

ある日のこと、

キツツキは村人皆と蜜採取に森にでた。妻は一人、キャンプに残される。

キツネも皆と共に蜜狩りに出たのだが、足にオデキができて木に登れないと訴え村に戻った。オデキとは偽り、キツネおなじみの策略、<A peine arrive, il tenta de violer la femme. Mais celle-ci, qui est enceinte, s’enfuit dans la brousse. Ranard fit semblant de dormir. Il etait terribelement humilie>村に戻るやいなやキツネはキツツキ妻を手込めにせんと迫る。彼女は妊娠中であったにもかかわらず、するりとかわし森に逃げ込んだ。面目失墜したキツネはタヌキ寝入りを決め込んだ。

キツツキは戻り、妻の姿が見えない。キツネに尋ねると母親が呼びに来たなどいい加減な返事。あちらこちら森を探すなどを経て、ようやく(幾年かの経過を経て)家族3人の再開が実現する。きっかけは逃走中に生まれた息子が父の放った矢を見つけ、これぞ我が父の印と気づいたから(Toba族では狩猟具は父から息子に継承されるようだ、母の流浪に生まれたがキツツキの息子との証明を暗示する)。村に戻り、キツネを糾弾する場面。キツネの言い訳まくり立てにキツツキ(族長でもある)が決断を下せない、キツネ無罪となるやの審判に、息子が出てきてキツネ首をナイフで抉り一件落着となった。

 

このM212を「蜂蜜狂い...」の基準神話として章の筆頭に置いた。理由は登場人物(protagonistes)とまつわる性状(proprietes)に類型神話をまとめる標準が見られるからである。それらは;

1 ヒロイン、娘、蜂蜜に目がない=>人倫の欠格。特定食物に拘泥する、それを求めてやまないは食事の規範に反する、故に娘は「自然」に近い。欲望が行動に連続性としてつながる。この連続が反文化に属する。別神話ではこの連続行動が禍をなし、配偶者に殺される。

2 キツツキ、夫=>仕事(蜂蜜採取)に精を出す。女の貰い手として贈り手、妻側姻族への債務(prestation)の蜂を取りまとめては提供する律儀者として描写される。しかし気が弱い、キツネのウソに言いまくられる。しきたりを尊重する文化側。

3 息子の出番は2カ所。飛んできた矢の文様から父が矢を放ったと知り、親子対面が叶う。キツネの偽りを認めず殺す。

=>母が逃避の途中での生まれながら、息子として父キツツキの正統性を受け継いだ。それ故矢を手にして、射手が父と特定できた。審判の場、躊躇みせず嘘つきキツネを「祖父譲りのナイフ」で殺したのは、己の族長としての正統性を確定するため。父よりも勇猛。彼も文化側。

4 キツネの性状、婚姻同盟の破壊者、反文化性は既述した。

 

民族学誌的慣習を2、特記する;

1      蜂蜜の採取。村落の男、総出で取りかかる。蜜を水で割り革袋にいれ男屋の梁につるし、祭儀まで熟成させる。村落団結と他部族との同盟の道具。儀礼の場以外で呑んでも舐めてはならない。=>社会における文化の一象徴。(集団採取にキツネは言い訳を弄し参加から離脱する。しかし成果の蜂蜜を独り占めしようと策を弄する)

もう一つの採取形態は個人で採って消費する。婿責務としても用いられる。本書にはミツバチの種によって消費の分別がなされるとも記述がある。

2      キツツキの献身、婿(女を貰う側)の典型。

家族3人で妻実家に立ち寄った際、(押しかけ女房だったから)妻を娶る前に果たさなかった義務を、かいがいしく供与した。義母から「何か欲しいモノあるかい」と問われ「かたじけないお声かけ、しかるに何もありませぬ。ビールにしても己自身で醸造しますよって」と妻実家側が果たすべき債務をも押しとどめた。誠にわきまえた婿殿と描写される。これらやりとりで=>同盟のあり方、規範と行動を知ることができる。

 

基準神話M212を本書「蜜から灰へ」の主題「文化の喪失」と重ねると;

蜂蜜を通して同盟allienceの確立、女を貰う側が贈る側に蜂蜜を贈る。また村落の全員で採取し、儀礼用に熟成させる。社会維持の為の文化、道具です。この2面をキツツキの父子が粛々と実行した。

「蜂蜜狂いの娘」は反文化としてあげられる。蜂蜜を独り占めするとは、同盟を絶ちきり、社会の規範、儀礼のしきたりに挑戦する悪行と見なされる。ただしtoba族は西欧文明の影響も早く、娘の「反文化」描写は弱い。もう一人の反文化がキツネ。共同作業には参加せず、かつ破廉恥行為に走る。

M212ではキツツキ父子の行動で、かろうじて文化(同盟と社会)は維持された。

 

続いてのM213(題名と民族Tobaは同じ、89頁)

キツツキ妻は危うきを退け、森に逃げてしまった。程なくキツツキは戻ってきた。悪事を隠そうとキツネは妻に変装した。しかし何かがおかしい、事態をつかめないから、まさかの女装まで疑うにキツツキは至らない。とりあえずシラミ取りを命じた(シラミ取りとむだ毛の引き抜きは妻の義務)。シラミをつかんでエイャで潰したキツネの爪がキツツキの皮膚を破った。イテテ、何しているんだ、しかしいつもの手際良さがないぞ。疑い深めたキツツキはシロアリに<Pleine de soupcons, Pic prie une fourmi de mordre sa soi-disant femme a la jambe>「あなたの妻よ」と自称する女らしきヤツの足を噛みついてくれと頼んだ。<Renard pousse un herlement peu frminin qui le fait reconnaitre>あげたキツネの悲鳴は少しも女らしくなく、男の地声で誰かが分かった。

 

他の神話(M216)ではキツツキ妻の沐浴中を襲ったら、衣服(隠しの布紐程度)を置いて逃げたからそれを着して妻と決め込んだキツネ。やはり疑う夫キツツキがシロアリに下した噛みつき条件は「股の奥に何があるかを見てくれ<Si  tu vois une vulve,c’est bien, mais si tu vois un penis, alors mords>それが膣だったら見逃せ、男根を見たら噛みつけ(91)またも見破られ、もっとも痛い男の急所をアリに噛みつかれまた悲鳴。キツネはしこたま殴られたとさ。賢いキツツキと化けそこねたキツネの吉本喜劇風の失敗譚でした。

 

Toba族はパラグアイに居住する(していた)。比較的早く西欧文明に接した。神話の筋立ても「物語」風に洗練されている。粗野、残虐性は無い。ここでレヴィストロースはアマゾニア居住Apinaye族の神話を引き出す。筋立ての風合いが急に変わる。

 

M142(前巻「生と調理」に掲載の再掲、題名は殺人鳥、Apinaye100頁)

惨劇画起こるがその前は;

Akretiは兄と力を合わせ(文化破壊の)人食い鳥を殺した。英雄にして文化(人間界)の保護者の冒険が前段で語られる。彼は村に戻り一人の娘、Kapa...の水浴び姿に見とれ妻とした。仲むつまじく暮らした、ある日、二人で蜂蜜狩りにでた。

Akreti(夫)creusa le tronc et dit a Kapakwei() d’exraire les rayons. Mais elle enfonca son bras si avant qu’il fut coince. Sous pretexte d’elargir l’ouverture ave sa hache, Akreti tua sa femme et la coupa en morceaux qu’il fit rotir>

夫は狙いをつけた木の幹を抉り蜂の巣の在処にたどり着いた。妻に木くずを払えと命じた。しかし妻はその命を聞かず、腕を深く穴に差し入れ腕が奥に挟まってしまった。夫は妻を救うため開き口を広めんと斧を取ったが、妻を殺しバラバラにして焼いて食べた。

命令を無視した、ただ手を奥に(蜜の在処)伸ばしただけで愛妻を殺害した。

このラジカリズムをレヴィストロースは蜜(が持つ思想)との関連でしか説明できないとしている。<le lien parait tenu avec les mythes dont l’heoine est une fille folle de miel , si ce n’est que le miel joue un certain role dans le deroulement du recit>(101)

蜜のみがこの流れにかかわるのだからとしている。蜜はタダの蜜ではなかった。

蜜の「思想」は述べた。1部族の結束 2(婚姻)同盟の確認として機能する。

本書には蜂の種によって水で希釈し蜜酒hydromelとなす蜜と個別に採取し生食する蜜の区別があるとしている。1は族民の総出での採取、2は自家消費、とくに婿賦役用の採取と区別できるとした。夫との2人だけでの採取だから賦役用である。その蜜を「先に舐めたい、独り占めしたい」と妻が手を出した。己の欲望を先んじて夫の面目、婚姻同盟(女の貰い手贈り手の義務関係)を否定した。妻のこの行為は嗜好による舐めたい~の衝動ではすまされない。

夫が採取する前の賦役に手を出した不届き千万の行為、それを妻がなすとは。同盟を破壊する直接手段であり、反文化にして容自然(欲望と行為の連続、直情)、この罪悪を遮断する(妻を殺す)は、文化の創造かつ維持者のAkretiとして必然の行為であった。

これを一言で述べれば「愛よりもしきたりが強い」。おかる勘平でも読んでるつもりになった。

そうしないと文化は維持できない。夫の妻殺し、かろうじて文化は継続できた。
をクリック。

 

同類型の神話を一例 M225 蜂蜜狂いの娘 Kraho(102)

夫婦で蜂蜜採取に出た。蜂の巣の見つかった木もようやく倒れかけた。すると妻は夫の制止も聞かず蜂の巣に身を投じて独り占めせんとした。<Rendu furieux il tue la gloutonne, depece son cadavredont il fait rotir les morceaux sur des pierres chaudes>夫は怒りその大食らい女を殺し、肉片に分け熱した石で焼いた。夫は妻の親族を呼び集め、アリクイ肉と騙し喰わせた。しかし<Survient le frere de la victime qui goute la viande et connait aussitot son origine>犠牲者の兄(弟)は一口食しすぐに思い当たった、その肉が誰の肉かを。この神話では犠牲者の肉はその親族に供された。

(小筆の注:兄が肉の塊を味わいそのすぐさま由来を知った、他の親族は気づかなかった。これは兄と妹(主人公の妻)とに比喩の意味で「食べる、食べられる」関係がすでにあった。肉の味見をしていたと示唆している。ここにも婚姻制度の否定、反文化が隠れる)

レヴィストロースは続く頁で、蜜狂い神話とバク(Tapir)誘惑神話を結びつける。

バクの誘惑は本文に引用されないから記述から要約すると「女はバクに誘惑され身体を許した。夫がかぎつけバクを殺し、肉を妻に食わせた」。バクと女を主題にする神話群も確認されている。本稿では引用は省く。

 

女が、はしたなく蜜を食べる神話群を1とし、女とバクが密通する群を2とする。

2の神話群を結ぶ鍵は「食べる行為での規則破り」であるとしている。

1は食べるにあたり「規則破りの食べ方」が発端となり、2は「食べること自体」が規則破りであるとしている。これら2種の「食べるにまつわる」の禁忌を巡って2のシーンを比較すると、意味と主客が転換していると説明する(102~103頁)。

転換状況を<Il faut donc que la transformation : seducteur propre (tapir) =>seducteur metaphorique (比喩としての誘惑者の蜜miel) entraine deux autres : femme=>parents親族, et : femme mangeant食べる女 =>femme mangee食べられる女>と転換している。

訳;真の意味の誘惑者バクが比喩の誘惑者ミツに転換し、(罰を受けるは)女が親族に転移し、禁忌を犯すは食べる女から食べられる女に転移した。

意味において真と比喩の対立がある。故に対立という思考作用を経て登場者、シーンを変えている伝播であるとしている。

蜜狂い娘ではその「食べ方」が違反で(なぜなら娘は蜜と性交できないから)蜜の誘惑は比喩、不作法に食べるは反文化の比喩。罰は親族に降りかかり、妻は文化として(焼かれて)本来の意味で食べられる。比喩に起因し本来に帰結する。「バクの誘惑」では誘惑は真であるがこれを食べるに転換して比喩としての食べる罪を妻が置かした。罰を妻に課しそれはバク肉をたべる、文化として(焼いて)真の意味の食べる行為を近親姦相手に罰にした。すなわち、蜜とバクは登場人物を変えて、比喩にとして非文化で食べる罪が起因して、真の意味で食べる罰に、文化として終了させた。主題はいずれも「文化維持の危機」対「自然回帰への希求」である。この図式をPDF(食事をめぐる罪と罰の意味論)にした。

同盟(婚姻)の危機、その起因を2あげて同盟維持の為に2の罰を用意した。M225においてしきたり破りの妻を掣肘した夫は、妻と水平婚(たわけ、兄弟姉妹の近親姦)にふけっていた義兄(義弟)に殺され同盟は破断した。kraho族は自然を賛美し文化を否定した。

続く頁では民族誌の記載をまじえ、いかに文化が周期性を保ち維持されているかを論じている。写真は116頁の表。周期性を文化を支える基盤とする思考は次巻「食事作法の起源」に詳しいので、今回は写真と解説のみ。


写真は本書116頁:左上雨期、中央乾期、また雨期。季節の変わり目の節々に収穫、伐採、森焼き、漁労、移動と狩猟などの生産活動が振り分けられる。年、月の周期性が生活の基盤=文化を安堵する。

2部 カエルの饗宴le festin de la grenouilleを取りあげます。

自然側からの誘い、蜜はあふれ食べきれないまでに肉が積み上がる。しかし天国は続かなかった。「天国の園からの追放」を主旋律にして、自然側から仕組まれた出会い、そして追放脱走などを奏でる31部の2の組み合わせ、6の変奏。カエル変奏曲の始まり。

テーマ曲;

M233「蜜の精MabaArawak129

Arawakはカリブ族の有力支族、ギニアに独自の文化生活形態を今も維持している(らしい)

蜜との同盟、つかの間の夢を見た人は「一日がかりで額の汗、それでもわずかな量しか得られない」嘆く。かくも蜜は貴重になりはてたかを説く神話です。

蜜狩人と蜂プリンセスMabaとの出会いは;

Jadis, les nids d’abeilles et le miel abondaient dans la brousse.昔はの~、森に入ればミツバチの巣なんてどこにでも見つけられたものだ。蜜もたっぷり採れたのだ、あの頃は。

いつもながらに木を穿ってミツバチ巣を男が捜していた。どこからともなく若い女の叫びが<Attention! Tu me blesse!  Il (その蜂蜜狩人l’Indian) poursuivit son travail avec precaution et deecouvrit au coeur de larbre une femme ravissante qui lui dit sappeler Maba, <<miel>>, et qui etait la mere ou lEsprit du miel. Comme elle etait toute nue, lIndian rassembla un peu de cotton dont elle se fit un vetement et il lui demanda detre sa femme=後略

訳=「気をつけて、私を傷つけないで」声の出所は幹の内から、怪訝な気持ちを抱くも注意深く、さらに幹を抉ると空洞(蜜蜂の巣のありか)の手応え。男は先に斧をすすめ開けきって見ると、なんと蜂の巣の代わりに輝くばかりの女が現れた。「私の名はMaba(=蜜)、あなた、私を呼んだのでしょう」と恥ずかしげに語る(前段で男は「蜂の巣出てこい蜂蜜mabaでてこい」の掛け声をあげて蜜蜂狩りに没頭していた)。恥ずかしさには理由がある、なぜって女は全裸、男はわずかばかりの綿布をかき集め、与えると女は前を隠した。妻にならないかと尋ねる男を見詰めながらMabaはゆっくりと頸をタテに振った。

たった一つの条件とは「私の名を絶対に他の人に教えないでね」

本名を人に教えてはならぬ、Mabaの約束掛けを読みながら、小筆は「悲しき熱帯」のNambikwaraの一シーンを思い浮かべた。Elle vint se refugier aupres de moi, en grand mystere, a me murmurer quelque chose a loreille=(TristesTropiques326)

女の子同士で諍いがあって一人が片方を叩いた。するとその子がレヴィストロースに駆け寄って、その後がとってもミステリアスだった、何かを呟いた。意地悪の仕返し、叩いた子の本名だった。怪しい事態がなにかとはレヴィストロース耳元への囁き、それが何に気がついて大急ぎでとんできて「密告」の子の髪を掴んでレヴィストロースから引き離した。

先住民は本名と通称を持つ。本名は絶対に他人に教えない。身内、せいぜい集落内の者にしか伝えないし、お互い様だから村人の誰にしても声にしない。他人がわかってしまえば呪い文句に使われる。

Mabaに戻る、仲睦まじく二人は暮らす。

Mabaは蜂蜜酒(=hydromel、蜜を水で薄め数日間放置すると甘美なアルコールに変わる)を夫の宴会に欠かさず用意した。その晩、珍しく樽が飲み尽くされた。男は<La prochaine fois , dit-il, MABA (大文字は小筆)en prepare davantage明晩には十分な量をMabaに用意してもらう。うっかり本名を口にした。<Aussitot, la femme changea  en abaille et s’envola.> すぐにMabaミツバチに変身しては空に消え去った。男は森に迷い込み<Maba,声張り上げる二度と出てこなかった。うっかりミスが男の約束破り、いくらMaba~と叫んだとて信頼は消えてしまった。それ以来誰が呼んでも蜜の精は出てこない。

蜂蜜を採取するに額には汗(la seur au front)の一日が必須、それほどにも貴重と化したのは男のうっかり、約束破りのせいだとさ。

では、Mabaと男の出会いは偶然(aleatoire)か仕掛けられたか(programme)

男が呼ぶ声「Maba出てきて」をMabaが聞いた。それは蜜狩人の「蜜はないか」つらい作業の掛け声なのだけれど、(偶然に)聞いたMabaは己が呼ばれていると受け取って巣を離れなかった。そして巣板を剥がされて、裸の姿まで見られてしまった。しかし男は礼儀正しく、隠し布までこしらえて当ててくれた。そしてなんと求婚、こんな場面に追い籠められたのだから「仕方なく」受け入れた。

これが文の流れ、全てが偶然、aleatoireの出会いである。

引用の文脈はかく淡々と偶然を装うが、この出会いは自然からの仕掛けと小筆は解釈する。(自然と文化の接触、特筆その1)

仕掛けに何かが潜むならそれは自然の意志。文化への同盟誘いかけである。装われた偶然は蜂蜜肌のその金色輝き、これ見よがしに晒したとは仕掛けも上々の企みである。

理由を語ろう;

男の仕事態度、蜂蜜を巧みに採取する描写が好意的、きっと人柄は真面目で温厚、約束を守る仕事人、娘受けする実直印象を前段で与えている。毎日森を訪れて蜂蜜狩にいそしむこの男をMabaが、自然が見初めたのだ。男とMabaの同盟は自然と文化の連結になるが接点に浮きあがった世界は天国である。毎夕毎夜、村中揃って飲めや歌えで大騒ぎ。この豊穣と騒擾が、自然文化の同盟成就の賜物である。自然の蜜が文化の醸成工程を経たら誰もがふんだんにhydromelを窘める。「エデンの園」が創造されたのだ。第一行の「昔は蜜が流れるほど」は古老の懐かしみであって幾十年かの昔に天国は出現したのだ。

しかし禁忌の破り、男のうっかりで破綻したと前述したが、それが皮相観測である。直接の起因は男の酩酊、すなわち天国の弛緩生態のなせる陥穽。うっかりではなく天国居直りの傲慢で約束を破った。すべてがそれでひっくり返った。「人は天国に住むに値しない」との結論に自然がたどり着いた。Mabaは失せ、人はこの世に追放された。

(フランス翰林院員にして構造主義の泰斗レヴィストロースは上記「部族民通信の私的」解釈を取らない。正統なる彼の解釈は「出会いは偶然、名前呟きのインシデントもうっかり」と説く。この差異は後述、PDFにて対比させる。PDFへのリンク、を入れた。説明は後述)

要約すると;

出会いは偶然か計画か人がのめりこむのか自然が誘うか。この調律の塩梅を巡る変奏曲らしい。

 

南米先住民があこがれる美女本文とは関連性が弱いから暇な人はこちらへ

 

特筆その2;出会い「蜜から灰へ」のテーマの一つです。

出会いとは必ず男女。そして文化側と自然、本書では、生まれと立ち位置が異なる母体に属す二人が出会う。共に文化に属する男女の出会いは当たり前、特異な事態は発生しない。自然同士の出会いは獣のオスとメス、勝手にしろの動物宇宙なので神話は取り上げない。男と女いずれかが自然側に属し片方は文化に属す。信ずる心と異なる二人、そんな出会いがなぜか発生して一時は結ばれるが、いずれ破局にいたる。

 

M235 (Abeille devient gendre,蜜蜂の婿 Warrau族、135頁)

自然側が仕掛ける出会いの例。Warrau族は、Maba神話を伝えるArawak族の北方ギニアの地に居住する。

兄弟が妹を引きつれ狩に出た。娘は月の障りをむかえたので仮のキャンプで休んでいると=La jeune fille fut suriprise de voir un homme sapprocher et partager sa couche=誰かが近づく足音に驚いた、若い男(Simo)で娘に近寄り褥を共にした=

若い男はSimo蜜蜂の化身、見初めた娘が兄弟から離れ、一人になるのを待ちかまえていた。故にこの出会いは蜜蜂、自然側が蜂を男に変身させ、娘一人を狙うとの仕掛け(programme)が設けられた。Simoは娘と褥を共にしたが、交合には至らないとは文脈で明確。障り女には手を出さない。礼儀である、それを禁忌とする部族も多い。いつも自然は奥ゆかしいノダ。羽衣で世阿弥が諭す天の規範だ。一方人は激情に駈られるから、そうした無様が時に起こっているのかも知れない。

Simo神話M235に戻る。

兄弟は一日中、狩りに出るが獲物を見つけられない。今日も手ぶら、疲れ切ってキャンプ地に戻る。近づくにつれ肉を焼く匂いが漂い流れる。おかしい、ここ数日は手ぶら帰りなので肉の備蓄も無い。そんな疑い消し去って匂いに誘われ大急ぎで戻ったら、たっぷりの肉を焼く妹の脇に見知らぬ若者が立っていた。

Simoは手練れの狩人だった、肉を供給し続け兄弟は村に戻れるだけの量がまとまった。肉は彼らの父母への贈り物、これは女の貰い手の婿の債務だから、Simoが自ら肉の全てを運ぶ。その量たるは兄弟二人でも背負いきれない嵩に積み上がるが、その重さも軽々と背負うSimoが歩みに遅れる事もない。

村ではSimoの望み通り全てが順調に進展した。

Simoの妻となった娘には二人の妹がいた。そしてSimoにただならぬ関心を持つ。ある日の沐浴時間、妻から子をあずかり木陰であやしていた。義妹二人が沐浴に参加し、Simoの関心を呼ぼうと水を掛けた。水浸しに成功した<Les belles soeurs reussirent a le mouiller.

Aussitot il s’ecria : Je brule! Je brule!>転げ回って蜂に戻って空に消えた。

蜂は水気を極端に嫌うとWarrau族は言い伝える。

 

元曲のMaba神話(M233)、それからの第1変奏がM235Simo、変奏部分は、

レヴィストロースは[=>] (同じ)<->[=>](しかし性が変わった)と説明する。これを解説すると;

1      両神話ともに自然から文化への同盟しようとの誘い。出会いには自然からの仕掛けがあった。

2      Maba神話で働くは自然側のMaba, その様は「かいがいしく」が肯定的に描写している。この肯定の理由は希薄だがAwarak族に「夫に尽くすは妻の鏡」なる価値観があると思える(確認できない)。Simo神話でも働くは自然側のSimo。要するに自然と文化が同盟すれば、自然の恵みを自然側の努力で享受できる「天国」が創成できると言いたいのだ。せっかく勝ち取った文化なのに、その逆の流れにはまって。今は何とも貧相な事よ、嘆きが入る。

3      MabaM233は天国をかくも描写した、Simo神話はそこまで行かず楽園程度か、Simoの狩りの成果で夫婦に加え姻族も恵まれた生活を送っている。

4      一時の自然文化の同盟、破綻のきっかけは義妹のうっかり水掛け。蜂蜜Maba神話では夫のうっかり、いずれも恣意性はない。しかるに、前述したがMabaでは蜜酒たんまり天国の酩酊が、禁忌破りのうっかりを引き起こした。故にこれは恣意、別の語で蓋然があった。Simoの義妹は義兄が蜂だったとは知らずの水掛けだから、恣意性はそこにはない。義妹がなぜSimoの気を引こうとしたか。Simo嫁に納まれば肉をふんだんに食える。義父母義兄弟の意向がここに反映したと見る。Simoが第二第三の嫁を別系統から貰えば、肉の分け前は減る。Simoに妹二人を贈れば、続いて肉はふんだんに食える。婿の義務をより多くより長く細工する義父の仕掛けは別神話(木の婚約者)で描かれる。自己の利得が働いて、二人おぼこに水かけよ(女の求愛の行動)とけしかけた。婿が未婚に残る義妹を嫁にする風習は南米で一般、婿が優秀なら23人と姉妹を贈り既得権を強固にする。

5      すると「水浸しまでの水掛け」が偶然で、同盟破綻を招いたのではない。肉を独り占めせんと義父母兄弟、姻族上げての欲張り、自然の富の独り占めこそ真の原因となる。偶然の裏に隠れる恣意がM235 Simo神話に潜んでいた。MabaSimoの両神話とも自然の恩寵の上に文化が成り立つ事実を人は忘れる。旧約聖書が打ち鳴らす警鐘に劣らずとも匹敵する、ユダヤの知恵をArawak, Warrauの神話が伝えている。人の祖がエデンを追われた過ちが1万年の時間差と2万キロ地理の隔たり、3の大洋の分断を乗り越えてWarrau族の本貫地、ギニアで再現された。