一夜の叫び、瘤こそ自由の代償、善行Vertuの証し
オークション落札の金魚、出目きんながら愛くるしかった
金魚鉢、必ず朝顔が上に向く、朝顔開口の法則。
 部族民通信ホームページ  出稿同年6月30日 開設 令和元年5月20日 更新
           読み物頁に
   金魚鉢と出目金と実存主義 (読み物)   ボロロ族酋長
   

金魚鉢の法則の発見者でありその無謬を喧伝する日下氏の言を引用する。

「小さな鉢で飼育していた金魚を大きな鉢に移し換えたら、広い水中を悠然と遊泳するかと思いきや、これまで通りの小さな円弧で泳ぎ回るだけ」(「新聞の経済記事を読むとバカになる」渡辺氏との対談)

 

金魚鉢法則の第1項である。

実は第2項が最近になって発見された。第1項の真逆である;

「大きな金魚鉢で飼育していた出目キンを小さな鉢に移し換えると、鉢の内面にぶつかりまくる。大きな円弧で泳ぐ習性を矯正するのは不可能」。この文章を小筆はさるブログで発見した。投稿の主はブログ投稿をもっぱらとしている某氏。

以下はブログ主の文章を元にしている。

 

金魚鉢はガラスで出来ている。プラスチック普及は消費広くに及ぶけれど、見た目の涼しさが欠かせない金魚鉢に関してはガラスで決まり。その大きさは日本工業規格の番外(規格外編の28項)に記載されるが、6寸から始まる。6寸とは18センチ、その寸の球体に口を開けて6寸半はおよそ20センチの朝顔をのせる。朝顔の上辺には青、紫など「涼しげな」色をぼかしで染める。球と花の重なりながら、方向が決まっている。自然界、花とも紛う金魚命のはかなさが法則、開きの向きは空である。もしその開きを地に向けたなら、花の命を縮めるのみならず、水が地に垂れ金魚は干からび死んでしまう。がさつな説明ながら、読者には可憐なガラスの金魚鉢、その形状寸法は掴めたかと願う。

最小が6寸ならば最大はいかほどか。工業規格では3尺以上とあるだけで大の決まりはない。するとガラス職人の手練れ塩梅と生産費用の兼ね合いで最大が決まることになる。しかしモノには限度がある、越すに越せないカイバル峠は部族の掟、金魚鉢にあり手工芸、技術の極まりと製造費用の高止まりには、不本意ながら限界を置かざるを得ない。これら2の真実が資本主義的妥協点を求めれば、6尺は1.8メートルに着地するらしい。
上に乗っかる朝顔の開きは丈(
10尺のこと、3メートルほど)と覚えればよろし。

販売価格となれば7桁、それも後半にせり上がる。ガラス製品はその場の全額払いで返品なしが鉄則である。壊れとは、たとえわずかな瑕疵であろうとたちまち全破壊、壊滅的全損に陥る。クレーム付けても売り主にガラス瓦礫を持ち込む事になるのだから、返品はきかない。故に懐中広げて財布を抜いて、万札の束を叩いて7桁払い切って「壊れたら元も子もない」と諦観できるほどの金魚鉢愛好家は、この世界でも少ない。
世界を探しても、指折り数えられるが少数。こんな喩えに個人名ははばかれるが、この人なら個人を超越し金持ちの形容名詞に出世したから、まあ許せ、ビルゲイツ級のチョー大富豪に限定される。

6尺の球1丈花の開き鉢、そこに入れる魚は出目キンが定番である。なぜならこの大きさならその筋で、ゲテ鉢と称される。ゲンゴロウブナをペンキで塗り立てたとおぼしきフツー金魚などとはゲテ格では、埋めようとも直しきれないゲテ度の開きが目立ってしまうのだ。出目金ゲテに鉢のゲテ、ゲテにはゲテがお似合いは世の法則なのだ。

6尺鉢に放たれた出目をその恵まれた環境に敬意を表して「ゲイツ出目キン」としよう。

広大な鉢をのんびり泳ぐは一年あまり、ゲイツ出目キンはヤフオクなどセコハン販売ネットルートをたどって東京多摩地区のとある家に下賜された。この主人がさきほどのブログ投稿、某氏である。彼は、ゲイツ級ダイ富豪との比較ではあるが、ビンボーなので巨大ゲテ鉢を用意する資金力を持たない。工業規格で最小の3寸鉢を100円ショップで見つけて、水道水で満たしてゲイツ出目キンをポチャリと放した。

甲類焼酎を炭酸割りにして、5杯ほどしたためるを夕べの常とす。呑んだらそのまま高いびきの白川夜舟。しかしその夜中、しかも一晩中、耳ををつんざく聞きなれぬ、それは悲鳴か地鳴り陋屋住み着きの霊がなすコダマか。響きたるや甲高いヒヤーッ、続いて苦しげホファーッ。二つが同時にヒホヤーファッ薄気味悪さが玄関から、発せられては家中を、怪奇と怖れに満たして明け方には消えた。不可解なる不気味現象に、花提灯の主は気付くヨシもなかった。
静かな朝、差し込む朝日の玄関口には3寸鉢。残りパン屑を朝顔口に落とそうと鉢を見た彼はびっくり仰天。ここにしてやっと気づいた。夢かと聞こえ、うつつに覚えたヒヤーッホファーッの叫び正体がこれだったのだ。そこで漸く目が覚めた。

小鉢に移された出目キンは新しい環境、何とも多摩地区らしい、別の言い方では小ちんまりにビンボー化した狭隘水空間にはなじめず、そこに閉じこめられた真実すら認めず、6尺円弧をこれが宿命とばかりにデカ回りを始めた。それが悲惨の始まり、3寸鉢のガラス内面に衝突を繰り返した。コダマと聞こえたヒヤーッは、出目キンと小鉢との出会いの残酷が、ガラス内面に反響し衝突しまくった破裂の音であった。ホファーッの重苦しさは出目キンの、鉢天国の広大さから地獄の小鉢に移された嘆き。そして怒りワーォが鉢から玄関に、そして家中に巡り回った絶望金魚の唸りの声だった。

ゲイツ出目キンの頭はすっかりコブだらけ、証拠写真をご覧ください。金魚鉢法則の第2項がこれでござる。

金魚鉢、出目金、実存主義 の 了(2018415日、20196月当サイトに掲載)

 

蛇足ながら省察する:魚科金魚属が世に生まれる以前に金魚鉢が存在していた。出目キンは金魚鉢を経験することによって己の生存を確かめる。空間大きさが自由を制約する不都合にアンガシュマンを持って対抗し、遊弋する自由を獲得する。瘤だらけの頭は出目キン自由の表象。一夜にしてランチュウと化けたのは、実存の自由のサルトル的実践の代償だった。