ブラジルマトグロッソの部族民分布の地図

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登場する動物で性状(proprietes)が定まっている例:
タテガミ狼(ブラジル固有種、キツネの仲間)の神話での性状は道化、裏切り、欺しなど芳しいモノ(proprietes)ではない。シーンに波乱を起こす。

生と調理
LeCruetLeCuit

神話学四部作の嚆矢。レヴィストロースの思想、思考回路、文体の癖、修辞法、諧謔がしっかり楽しめる。

奥付を確かめると出版は1964年第4四半期、出版数は8979とある。これほどの硬派な内容にしてこの冊数。当時のフランス人口は5000万人に満たない。日本の半数未として鑑みれば、かなりの数となろうか。

なお、表紙のテーブルしつらえは左右が逆。ナイフが左になってしまった。誤りすら構造的と話題をよんだ(らしい)。



congruenceについて

をクリック

union=continuの整合関係は本神話学で規定される同一性の一種<congruence>です。この語を辞書で引くと2整数の合同とありますが理解不能。尊師がどのようなコンテクストで使っているかに推察し、「機能の合致」とします。一見すると別モノだが根っこ部分、思想で同方向に機能する関係と考えます。格好をつければsyntagmatique(連辞)では不整合、paradigmatique(パラダイム、範列)として整合するとなります。別物だが向かう方向は合致する。かくしてnature/alliance/continuの関係はculture/disjonction/discretと<congruence>(=構成要素で非近似、機能で近似する)の関係を形成します。



ボロロ族はarara金剛インコ尾羽を安定して採取するために雛を飼育し、尾羽が生えてきたら抜き取る高度な飼育技術をモノにしている。
写真は本書(54頁)掲載の「尾羽をむしられた」インコ。

レヴィストロースが男屋泊まりの最初の晩、足にかかって「ギャオギャオー」に驚いて躓いた事件を報告するが、翌朝にこの個体と判明した。

鳥の巣あらしで雛をかすめるとは、父とはいえ子と対抗する部の長、その社会地位を安定させるための危険な作業に繰り出されて、礫の一つを投げて反抗する。父権への反抗であり人情である

ボロロ村の概略、詳細はアラカルトに
写真はペニスケースを装着した壮丁(本書から)
ボロロ族酋長さんの頭を飾る扇状の冠りが金剛インコの尾羽。手にする狩り道具、身体の模様とあわせて儀礼の正装。かつ、身分の象徴。これだけ集めるに幾度、巨木をよじ登り、崖はい上がりの危ない目にあったか、あわせたか。そして息子はかならず反逆し、インコ雛を渡さない。
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ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
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蕃神(ハカミ)義男
   
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神話の形

 

人が語り皆はその耳を筋の道、語り流れに傾ける。一の筋立てを一の部族が語りと継いで、伝える者も聞く人々も世代の移りに交替するけれど、流れる筋の意味合いは語りの口に、聞き手の耳にだだと残り、進む運び流転の戻りが伝播のさなか、承継される中身は転身変遷の幾度を被ります。筋立てと登場人物、動物は同じ形態で同一個性に居座るか、あるいは異なる人容、異形の動物にとって代わるか、かくにも舞台が広がれば、流れは深まり聞かれ語られがさらに続く。

神話は山川森林を渡り大陸大洋を越え、民族の境をすり抜けて語族のくびきは外されて、ついには人も物、なにもかにも異なって、筋道背景の近似性がすっかり消え去りしかし、それでもどこか、いつか何かに類似を匂わせる。

空の隔たり時の逆らい。四方遠方に伝われば変容の分化の様が報告される。

語る主が人ならば聞く者は人、「神話」に備わる力は時間空間のみ。それ自身が「考える力」でうごめくとは考えられない。しかるにレヴィストロースは「無意識ながら神話に一貫性が認められる」と教える。一貫性とは思考です、神話自律論を本書で展開します。

il y a dans les mythes le systeme des axiomes definissants le meilleur code possible, capable de donner une signification commune a des elaborations inconscientes de l’esprit, de societies et de cultures>生と調理20

訳;すべての神話は公理システムを具有する。公理が神話の最も確かな筋立て(code)を決めていき、無自覚ながら人々さらには社会に、神話の文化なる側面に、共有する意味合いへと推敲している筆跡を検知できる。

拙解;axiome=公理、カントの言うentendement=人類共通の知の力であると文脈を追いながら、理解した。またcodeなる語が用いられる。規則、法律、法体系など「一定の決まり」を意味する。Robertに尋ねると「structure qui permet de produire des messages, Les langues sont des codes」意志を伝達出来る構造体系、あらゆる言語はコードであるとしている。楽曲ではcodeは和音で、音の重なりから安定不安定、軽快重厚など曲想を表現する技法である。こちらも意志(思想)の伝達手段である。

あわせ解釈すると、神話は規則性を持つ(体系である)、意志(思想と置き換えても良し)を伝達する手段(code)である。楽曲の雰囲気を醸し出すのは和声(code)。神話でもcode(符丁)は、思想は何かを分析する手法となります。

 

従来手法は神話要素(人物、背景、筋立て)を分解し、それらを比較し「かなり似ている、あまり似てない、筋立ての起源はこちら、あちらに伝播」などを論じていた。その成果を民族移動、言語の「語族」と対照させる為の研究である。レヴィストロース流の神話奥に潜む思想への言及は無かった。

上記引用で言語と音楽を比較に出したが、のちに神話とそれらとの共通性が論じられる。人の文化が生み出した無意識の事象(elaborations)に共通の意味付けを持つ力である。神話は言語、音楽と同列の「意志の手段」であると。

ここまでは神話の立ち位置を論じた。

以上が神話の性状、

以下は身体形状となります;

たびたびこの序曲で引用される「分節articulation」に論を進めます。言語、音楽と同様に3の発展する分節で神話身体は形成されるとレヴィストロースは語ります。

Robertarticulationを調べると1義は手足の間接、2義に<action de prononcer distinctement les differents sonsprononciation>=異なる音(おん)を明瞭に区切って発声する、発音を見る=とあります。尊師はこの語に「分節の区切りが意味合いの区切り」の意を付加し、言語学の範囲を超える概念を吹き込んでいます。

小筆はそれを「言い切り」と規定します。

文章(神話では語り口)は3段階のarticulations分節=言い切りを経て表現している。この仕掛けを通して語られる物、筋道がidee(思考)に昇華される。すなわち、3分節にして表現される物と伝える思考の対を形成するとレヴィストロースは教えます。言葉と同じ活動原理です。

言葉での言い切り第一段は「イヌ」「ネコ」「タヌキ」などの語(mot)となります。それぞれが思想あるいは表象(representation)と対照されます。目の前の動物は四本足で尻尾付きの動物で人が頭に持つイヌ思想に合致する。2を対照して「これはイヌ」と言い切れる。この仕組みはソシュールの意味論signifiant ,signifieそのものです。次段の言い切りは語を連ねて(=phrase)と成して「イヌが走って棒に当たった」。この2段目には高次の伝達する意思(message)が生まれます。時には長い文があって5頁を書き込んでやっと言い切る(プルースト)。それでも文であるのでarticulations2段目です。伝えるのはmessageです。

文と文とが連なって、表現の絡まりが複雑化して作品(oevre)として完成する。作品にはかならず思考(pensee)や主張(these)が潜む。これが作品の思想ideeとなります。音楽にも3段階の言い切りarticulationsが認められる。音素(音)、メロディ、作品の段階を経て作品は主張します。神話にはこの3段階のarticulationsがあるとレヴィストロースは主張します。

 

神話表現の分節;

第一段はelements mythiques神話要素である。

人物、動植物、自然、天体現象など。個々の単位に分解できる「存在」です。おのおのにproprietes=所有物の意味ですがその者(物)に特有の属性、がつきまとう。聴衆はその人物名を聞いてすぐに善悪、好悪を判断ができる。特定性格であろう。南米の神話では男性女性に必ずproprietesが備わり(ヒーロー男は自然、連続へ誘惑に身をゆだねる、しかし断続の文化、社会を創造する。女は必ず大食い、独り占めなどの色づけがある。通過儀礼前の若者には反抗怠惰、直情の性格付けとなる。動物に関してオッポサム(sarigue)は南米原住民の思考に重い位置を占めている。その特別な属性proprieteの証明に5頁を費やす。文化人類学を本貫とするレヴィストロース一流の分析です。

2段目言い切りを状景=sequenceと呼ぶ。

言葉では文節、映画のシーン、舞台での場の意味です。

Sequenceは見え聞こえる場、「形」です。これに対峙するcode「思想」の意味合いを説明します。

本文に入り多く神話をレヴィストロースは引用する。その選択手順は似通いの基準にcodeを当てはめ、幾つか神話を集合する。女のやりとりを経由して同盟を結ぶ相手(filial)との軋轢、嫁を取る側は嫁を出す側に負債(prestation、婿の労役義務)を背負う。そのしきたりを守らない、相手を混乱させるなどの神話群をまとめ、共通するcode進行(codage)を明らかにします。上記の神話群、filial,linialの軋轢はcode social(社会的符号)となります。登場人物や筋立てでの近似性比較は、モノとモノの比較でしかない。「モノ」と「思想」を分解しての比較でなければ意味を成さないとしている。

M1(火の創造神話)に例えれば「鳥の巣あらし」でヒーローとアンチヒーロー(父親)が金剛インコ(arara)の巣から雛を盗む流れです。崖に登るの年少(通過儀礼前)のヒーローは雛を確認しても父に渡しません。「いないと言い張る」「代わりに石を投げる」「雛を確かに放ったけど石になった」。子が父に礫を投げれば、所属する「部」の異なる父親の社会地位の否定です。世代間の諍いと異なり、社会制度が父と子に課す軋轢が起因であう。軋轢をヒーローの反抗、反秩序の行動にして図式化している。これら行動を、少年のpropriete(反抗的)を踏まえて、社会的符号codeとして展開する。

そして同じsequenceを用いる神話を複数とりあげて、code進行を比べる。

sequenceは流れの一端ながら、全体の筋立てが見通せる。音楽のメロディに対応します。メロディ背景にcode(和音)が重ねられ、和音も曲想(快活、悲痛など)を奏でながら進行する。神話では人物など属性は承知しながら、筋立てsequenceに人は耳を傾け何を次に伝えるかに推量が及びます。

金剛インコの尾羽は儀礼の正装に使われ、その大小多寡は生来の身分で決まっていて、その姿の様が社会地位を反映している。父は次の儀礼に新たな尾羽を必要とするが、それを渡さない子は父の否定と、社会秩序(部、支族に分割される)に反抗している。

妹の嫁ぎ先におもむき、野豚のあばら肉を所望した兄の遣いを鶏の足一本で追い返し野ブタに化けされた嫁のもらい手。これにも社会符丁(code social)が当てられる。求める否定される、罰を受けるなど進行の様をcodageとします。音楽のコード進行です。

 

3の分節、troisieme articulationは;

armature(骨格)と規定されます。物語の全体を貫く思想ideeschemeがここに表される。火の創造、水の起源、女の文化からの排除、または取り込みなどが神話の流れ全容armatureから浮き上がります。新大陸全体に広げても良いかと思うが、南米の神話思想は必ず前述したが人の心の「文化への希求」「自然への立ち戻り」、それは畢竟「自然対文化、その抗争」となります。

以上が構造神話学としての神話個々の身体形状です。

形状を別神話のそれと比較します。この過程で登場人物proprietesの正移転、反転、変遷など伝播の形態が語られる。骨格の仕組みを解き明かし、神話の思想を解明する構造神話学となります。

 神話の3分節を音楽言語と比較したPDFクリック(戻りはWebの)

生と調理Le cru et le cuit本文に入る。

神話立ち位置の解説は続く。

「主題と変奏、ボロロ族の歌、ジェ語族の変奏」「良き振る舞いのソナタ」「五声のフーガ」「天空の平均律」「田園交響曲」と音楽用語を冠した章が続きます。

文字で表す文章を楽曲として規定する必然を尊師は述べる;

La coupe en chapitres ne faisait pas seulement violence au movement de la pensee; elle l’appauvrissait et la mutilait…>

訳:流れを章ごとに分ける従来のやり方は、思考に対する暴虐でしかない。思考を貧弱にして分断するだけ(=だから音楽用語を使って、章どうしは関連していると述べている)(22頁)。

思い当たる、生と調理は「Du miel aux cendres=蜜から灰へ」に引き継がれ、小筆(ハカミ)は読み拾いに目がしょぼつくが、突然、M12の神話で…と引用先が出現します。その番号は前作の生と調理に掲載される。別冊、400頁前に掲載されているのですが、何がなにやら思い出せません。楽曲でも同様の飛びはねはあります。楽章を越え、調子を変えてもメロディの一端が戻る。そのささやきがテーマをほのめかす。縦横無尽、跳ねて遡ってまた戻る。これをして音楽と伝えているは、レヴィストロース博識のなせる技であろう。。

 

神話と音楽が表現の様として似通うとの分析を以下に続けます。

その1 神話では感性的(emprique)言い回しを通して観念的(conceptual)理解に結びつけている。生は臭み、腐敗と結ばれ非文明、未開の象徴、時に豊饒があり過食にいたる。さらには飢餓、非道徳(近親相姦、親殺し)のびまん。これらを連続(自然)として観念化している。音楽も同様表現の形式であるとしている。

この辺りを解説する。(本書の別頁で)彼は音楽の表現は「metaphore=隠喩」を基盤としている。しかし上記の比喩は「metonyme=換喩」であり、対立する。換喩は実体で概念(あるいは思考)を言い表す。例えば黄色という思考を説明するに「ミカン」を上げる。置き換え法と言っても良いだろう。一方、隠喩法は概念が実体を表す。いわば仄めかし。

on pourrait dire que la musique reconnait aux sons des proprieties physiques>

訳:音楽は音を通して実体proprietes=特性=を表現している(これは隠喩法、30頁)

レヴィストロースは<Les sanglots longs des violins de lautomne>(ベルレーヌの詩、上田敏訳の「秋の日のビオロンの溜息の...) 例として挙げる。音は隠喩であると踏まえ、その連なりの「概念」が哀しみを仄めかす作用を詩がししたためたと引用している。

(注:上田訳は「ひたぶるにうら悲し」で締める。直接表現の「悲しい」であるから仄めかしはないーの反論が聞こえる。原文のlangueurを「悲しみ」としたのだろうが、文面ではlangueurはバイオリンの音を形容している。辞書robertで調べるとmanque dactivite衰弱とある。バイオリンの音が減衰しながら心に響くとの隠喩で、心が悲しいとの直接形容は原文にない。秋、日、心などと重なる換喩に続いて、バイオリン擦れの「音」を隠喩にはめた技巧の詩であると尊師は取り上げた)

生と調理は換喩、一方で神話も概念を使い実体を隠喩しているとレヴィストロースは主張する。ひねくり回しの筆の加減が彼一流の修辞法であり、(無理矢理に)それが奈辺にかと巡らすと、神話では「概念が実体」隠喩を仄めかしている事もあるのだと気付く。

神話での隠喩の例は後に回す。

 

その2 時間進行とばらつき。

l’ordre de presentation ne pouvait etre lineaire,phases ne se liaient pas entre elles sous le simple raport de l’avant et de l’apres>

訳;表現は直線的に進行するわけでないし、文節が互いに前後の関係でつながる事でもない(22頁)。

これが神話と音楽に共通の時間の取り方だという。

言語では語りの流れは物事の進行と重なる。経時を原則とした表現である。神話は言葉を用いるが、経時の取り方で言語と異なり、音楽の進行の様に近似するとレヴィストロースは伝える。

音楽では主題メロディが思わぬ展開で再出現することに驚く。そのメロディも分断され一部のみが顔をだし、それでも主題の一部かと聞き分けられる。続く筈の旋律を待つうちに、リズムが変わり、時には調を変化してから待ち望む残りが出てくる。音楽はそもそも時間の経過を自在に扱う。神話、特に口承の語り話しで登場する人物、動物、天変などが自由に変化するが、属性(proprietes)や進行の形態(codage)は変わらないし、変わる場合もある。音楽と神話は経時の組み立てが自由闊達と指摘する。なるほど。

 

その3 言い切り方(articulation3段階での神話と音楽の相似

これは前述した。

小結語:神話と音楽の共通性。3分節、最小の単位からして属性を具有する。隠喩、経時性の自由度、最終分節で主張を締結。

 

悲しき熱帯Les tristes tropiquesに立ち寄ります;

ジャングル、河の氾濫、悪路立ち往生で数週間をへて、ボロロ族のケジャラ邑落にたどり着いた。程なく日が暮れて一行は男屋に間借りします。聞こえてくるのは女の泣き、夫5人に次々を先立たれ近隣に食を乞う辛さを「あの頃はマニオック、肉も魚も不足していなかった」落ちぶれた今の様を幾時間も語りに嘆いている。寡婦の夜泣きが終わり夜も更けて歌が聞こえ始めた。

Des chants se modulaient au-dehors dans une langue base, sonore et gutturale aux articulations frappes. Les melodies simples et cent fois repetees, oposition entre des solos et des emsenble, le style male et tragique, evoquent les choeurs guerriers de quelque Mannerbund germanique>

訳:外から歌が聞こえた、しわがれの男声は低く調子でよく響く、抑揚をつけ跳ねる言い切り。単純な旋律は幾度も繰り返される。ソロの歌声を合唱が追いかける。男の悲劇を語っているのか、古代ゲルマンの男組Mannerbund戦士の心理が彷彿とする。

伴奏は木管とマラカスのみ、歌が止まる間にはマラカスの切りの良い拍子、音声の沈黙の合間に悪魔の声が聞こえてくるほどとサレジオ会神父の報告もある。毎晩、歌は夜明けまで続く。男達が眠るのは明け方だ。歌の内容とは祈りと物語、かく神話は語られ伝播してゆくとレヴィストロースは知った。(悲しき熱帯252頁)

 

生と調理(Le cru et le cuit) 本文に入ります。

第一楽章は2部形式で1ボロロ族の歌 2ジェ(語族)の変奏曲。全神話(最終冊裸の人の最終神話番号は813)の基準となる神話(M1)題:金剛オウム(Aras)の巣あらしを引用します

Dans des temps tres anciens, il advint que les femmes allerent en foret. Un jeune garcon suivit sa mere en cachette, la surprit et la viola. Qand celle-ci fut de retour, son mari remarqua les plumes arrachees, encore prises a sa ceiture d’ecorce>43頁)

要約:昔々、森に入った母を少年(ヒーロー)が追って犯した。成人の通過儀礼を控えていた矢先だった。夫は、妻の腰ベルトに若い男が付ける羽飾りが付着しているのに気付き、妻が誰かと内通したと知る。

以下は引用無し:成人の通過儀礼で少年達を集めダンスをさせた。その羽と同じ柄を付けるのは己の子と目撃し、2度目のダンスでも同じ結果が露わとなって歎いた。妻と子の近親相姦を恨む。

復讐に「精霊の巣」から楽器(hocchet=マラカス)を盗み、持ち帰るよう子に命じます。苦境に子は祖母に相談する。ハチドリ(oiseau-mouche)の助けを借りよと答えが返った。ハチドリは楽器を吊す紐を切った。<jo>と音を立て川に落ちる、精霊が飛び出すも鳥が回収して子に渡す。父はさらに中マラカス、小マラカスを盗むよう命じ鳩、バッタの助けを借りて盗みに成功し、父に渡した。

父はさらに金剛インコAraraの巣あらしを命じた。子は雛の代わりに飛礫を落とした。はしごを父に外され、絶壁に取り残された。トカゲを補食し(生で食べて)飢えをしのぐ。余ったトカゲを紐で身体にくくると腐敗し、悪臭で気を失った。ハゲワシについばまれて尻がなくなった(少年は死んだ)。

トカゲに変身して村に戻った。祖母の小屋に住み着き、頃合いを見て人間の姿に戻る。洪水が発生し常夜火の全てが消えた、ただ一灯残ったはヒーローが持ち帰った火。祖母に火を村人が貰いに来る。すると母は死んだ筈の息子を認め、大急ぎで夫に注進する。ヒーローは父を誘い出して沼に落とす。父はピラニアに食べられた。返す足で実の母も含め、父の妻達を殺した。

このあとボロロ族の民族誌に移る。ブラジルの中央台地マトグロッソの南方に居住地を持つ有力部族、母系(matriarcal)集団、盛時の人口は3000人を超えていた。その邑落は中央に成人男が居住する「男屋」を配し、周囲を女小屋が円周に囲む。東西に引かれる(架空の)線で南北に等分され、北がセラ部南はツガレ部。各部は4等分されそれぞれが支族(clan)として特定されている。さらに支族は上中下の階層ヒエラルキを持つ。すなわち邑は32の支族と階層に分けられている。

 

この分類は身分、行動、婚姻を規定します。例えば同じ部の間の結婚はない。セラの男はツガレの女としか結婚できない。それもセラの部(例えばキ支族)の男はツガレ部のアラレ支族の同階層の女としか結婚できない。人類学的に説明すると部は外婚(exogamie)、支族の階層レベルで内婚(endogamie)の婚姻制度。着用する飾り物にも支族と階層の規定が厳密である。長く優美な金剛インコの尾羽は儀礼に必須だが、それを着用する様式は男の属する支族と階層で決まる。ボロロ語で「豊か」の意味は、継承した社会地位が高くそれだけ豪華な尾羽を頭に飾れる権利を持つとの意味。

かつての日本で裃袴に帯刀は武士の特権だった。武士にも乗り物に上下格差がある、これと似ている。

均等に人口が配分されているとすれば、かつて32の各単位はかつては100人ほどの構成となる。男女が50人見当。この員数であれば婚姻の相手を決めるのは容易であろう。セラ部キ支族の下層民の生まれとすると、婚姻の相手はツガレ部アラレ支族の下層の女と自動的に決まる。その女小屋には50人の女が住む。老女と既婚女を除くと娘は2~30人となるか。半数が適齢であれば、互いに選べるだろう。

しかしレヴィストロースが訪問した時期では総人口は400未満だった。すると対向支族の同階層に婚姻可能な娘がいるかどうか。難しい場合もあるだろう。幼少なら性徴を待たねばならない。規定をはみ出す婚姻は外婚破り、近親婚と忌避されるから、他部族から女を略奪する荒手しか残らない。

成人の通過儀礼(initiation)の過酷さ、羽根飾りの意味合い、金剛オウムの巣の位置、ペニスケースの説明と続く。

 

基準神話(M1)とは;

ヒーローの母が森に入った理由とは息子の成人儀礼の締めくくりとなるペニスケースの材料を切り出すため。それを装着して壮丁となり、男屋に寝泊まりする。一旦、男屋に入ると実家(母親の女小屋)に出入りするのは禁止ではないが、昼でもはばかれる。夜には父親が妻問いに通うから、息子には禁止される。通過儀礼を迎える年頃ならば性徴は芽生える。そして母との別れは間近、母は森に入った。別れを認めたくない、居続け息子が(頻繁、あるいは時たま)犯す禁忌破りを印象づけている。さらに腰ひもに取り付いた羽飾りを、ためらい覚えず夫に見せつける妻の態度はより反抗的。

女の反逆はボロロ神話の特徴である。

Elles pleuraient en poussant des cris comme pour la mort d’un etre cheri,parceque le garcon se detachait de la societe des femmes>

訳:母親達は(儀礼の荒行に虐げられて)子に悲鳴を上げ、あたかも親愛の者の死であるかにいたわり歎く。その日から息子は女の世界から離れるのだから(52)

成人手前の子との別れと悲しみ、母の心の微細な言い回しの内に、母子婚(たわけ)が「昔々には」頻繁(時たま)だったとレヴィストロースは示唆している、そう読みたい。

 

生と調理本文に;

M1に続いて民族誌的にボロロ族を説明している。

金剛インコの価値に入ります。尾羽が美しく儀礼では特定の男の頭飾りに供される。尾羽飾りの大きさと模様が男の地位を表している。鳥の巣あらし(幼鳥を盗む)がM1では恣意的に妨害され、続く神話でも必ず失敗します。ハシゴを掛けて子(=M1)あるいは義理の弟を巣に上らせます。子(弟)は「雛は見えない」と偽りかわりに石を投げつける展開になります。インコを渡さないとは親(義理の兄)の社会地位を否定する、貶める行動です。偽りの報告と自身の地位を父に対抗して確立せんが為の反社会行為。

怒った父はハシゴを外す。ヒーローの苦難の始まりです。

人物や動物、それらの行動は神話素(elements)の属性(proprietes)を特定するに役に立ちます。M120elementsを数えられます。母(女)、子、近親姦、夫、羽、通過儀礼、巣あらし…等。レヴィストロースはelementsproprietesの対立を念頭にした解説を拡げています。

第一変奏曲(premiere variation)では神話2M2)ボロロ族の「水、服装、葬式の起源」が取り上げられます。

M2要約:昔々、ボロロ族は二人の酋長(ツガレ部)に統治されていた。その一人バイトゴゴの話。妻が森に入って同じ部(妻の部はセラ)の男(兄弟に遇される)に犯された。母を追っていた子に目撃され、子は父バイトゴゴに森の奥での密通を伝えた。復讐に弓をとり男に肩、腕、胴…と矢を放し殺害した。その晩、妻を扼殺して死骸を小屋の床下に埋めて出奔した。子は殺されたと知らず母を求め、さまよい鳥になる。バイトゴゴは放浪するが、森に変身して川と湖を創り(水の起源)村に戻ると決めた。村の統治はもう一人の酋長、彼の兄弟格に託されていた。バイトゴゴの帰還にともない、同じ部から二人の酋長体制に戻った。二人が別の部(セラ部)に向かう時は必ず飾りや楽器などの贈り物を持ち運んだ。最初の訪問では、彼らの父親(=ボロロの婚姻規定では父と子は別の部に属する)は着飾り(飾りの起源)、歌で祝して迎え、飾り物を送った。神話は謎めいた言葉「たくさんの贈り物を持ち込む者は殺されない、少ない贈り物を持ち込む者は殺される」で終わる。

M1と同じく母、森、子が隠れながら追う、近親姦の発生、夫の復讐殺人で始まります。M1では明確でなかった二の部(ツガレとセラ)の並立が出てきます。贈り物が豪華でなければ殺されるとは不吉な終わり方です。

M267頁に要約されています。

Un abus dalliance (meutre de lepouse incestueuse, privant un enfant de sa mere) complique dun sacrilege qui une autre forme de demesure中略=provoque la disjonction des poles ciel (enfant) et terre (prere)中略Baitogogo retablit le contact entre morts et vivants , en revelant les ornements et le parures corporelles, qui servent lembleme a la societe des hommes , et de chair spirituelle a la communaute des ames>67

訳(ヒーロー・バイトゴゴの行為について):同盟の破壊(近親姦を犯した配偶者を殺害して、その結果、息子から母を取り上げた)、居屋の地下に妻を埋めその痕跡を隠したやり方はさらなる冒涜、死者の再生(村の中央に埋め後に掘り起こして川に流すが決まり)を封じた。母が殺されたとも知らずさまよう子が鳥に果て、森に化けた父とは天地に分離した。

以降(引用なし)を要訳すると;

森になったバイトゴゴは水を創造して空と地の交流を創造し、かつ生者と死者の交流も道筋を立てた=森に化けた精霊は村に戻った。かつての共同酋長のイツボレに乗りうつって、別の部(セラ)に訪問します。贈り物をふんだんに用意し、(イツレボに憑依した)己も服飾を華麗に仕立てます。この身の飾り作法が死者と生者との交流儀礼での取り決めとなります。

この筋道は「神話構造」で伝える第二分節(articulation)です。(sequencecode)森の奥で兄と相姦する妻、隠れて目撃した子。それを聞いて義理の兄を殺害するバイトゴゴ…と劇場仕立ての圧巻の筋ですが、それを追いながらもcodeによる分析を展開する。構造主義の進め方で彼なりに読み解くと;

取り上げたcodeが「allience同盟」との「disjonction離反」です。code conjugal婚姻の符丁としてよいがレヴィストロースはそこまで細分しない。これもcode social社会符丁に分類されます、

同盟とは婚姻により配偶とその一味(姻戚)そして親子の関係があって、近親姦でそれが一気に破断される。バイトゴゴは村を出奔し四例(夫婦、親子、型破りの埋葬、息子への縁切り)の離反を実行した。そして地と精霊、人と死者の同盟を築いた。こちらも数えると四例の同盟。破断した旧弊同盟の代わり、ヒーローバイトゴゴは新たな同盟を創造する。こちらは決まりがより厳格で服飾、飾り贈り物が規定されている。セラ部の酋長は「贈り物が少なければ殺す」と不吉な予言で新たな世界の基準を言明する。贈り物の多寡が同盟の維持、破談につながる。旧来の不安定な同盟から取り決め(秩序)を重視する社会へ進化を物語っている。

 

神話3「ボロロ族、洪水の後」。

Apres un deluge, la terre se repeupla a niveau, Meri, le soleil, eut peur et chercha comment il pourait reduire le nombre中略il les tua a coup de fleches, Ce qui lui valut le surnom de Mamuiauguexeba,cuase la mort>(59)

訳:洪水の後、人は世に満ちた。Meri(太陽)は恐れ、どうしたら減らせるか考えた。

太陽は全ての族民に大河を、壊れやすい小舟で渡るようし向けた。案の定、小舟の浸水に族民は難儀した。びっこの(=contrefait=原文のママ)アカルイオボカドリ(ヒーロー)は遅れて着したので免れた。激流に流された者達は縮れ毛、静水に溺れた者達は直毛。アカルイオボカドリは彼らを引き揚げ、太鼓を叩いて蘇生させた。まずBuremoddodogue族の者を蘇生させて、そのあと7gueの接尾語を持つ者達を選んだ。7の者達にはお礼の贈り物に手厚さを求め、約束出来ない者達を殺した。この殺戮行為によりアカルイオボカドリは殺戮者(マムイオゲセバ)の名が冠せられることになった。

洪水神話にレヴィストロースは「連続」と「不連続」の原理を持ち出して、神話の核心(shemes、スキーム、62頁)に迫ります。それがボロロ族の社会の起源であると。川渡りの試練=アカルイオボカドリの奸計で脱出を急いだ部族が間引きされ、8の支族に分離されたのが部族の始まりとM3が語る(ボロロ村は2部、8支族に分かれている)。さらに蘇生させて間引きし殺戮する場面では「贈り物が少ないから殺した」族長ボカドリの不吉な言い訳が出た。

それが「連続」対「不連続」なのだと尊師は教える。この意味合いを考えます;

本書に頻繁に出るnature cultureの対峙がヒントです。本文から離れるからで。

それでもM3のみでは族民の殺戮、間引き神話は理解できない。そこで他民族の神話を介し、パラダイム手法(paradigmatique)を通して解釈を進めます。「似たような神話を引っ張り出して比較する」手法とは理解する。レヴィストロースもその事情を下記に打ち明けています。

Limitee aux Bororo, linterpretation est fragile. Elle acquiert cependant plus de force quand on la rapproche de linterpretation analogue de mythes provenat dautres populations>(61)

抄訳;ボロロだけで解釈しても弱いから、似たような神話を拾って比較する。

比較したのはボロロ族の親戚筋、ジェ語族のOjibwa族とTikopia族。本文の引用は省略されて解説のみ。Ojibwaでは洪水の前に6の支族が「接続」して居住していた。各支族は盲目(に扮する)先祖神を奉るが、一の神がバンドを外し盲目でないと表明してしまった。五の神は彼を支族の民とともに追い出し、5の支族の構成に縮小して、不連続域を創成した。

Tikopia族の手法は「これまでは食べ物はその種類が数えられない状態だった。数えられないは混乱の原因、この「連続」から脱出するには食べ物の数に制約を入れて、支族をその数に合わせよう」

選んだ数は6、無数の支族を消滅させて(殺戮して)4支族の構成に「正した」。

ボロロ族のやり方は上記2部族とも異なる。

「部族の相貌、習俗などが連続している現状とは人口の多い理由だけれど、突き詰めれば小さな支族が数多くあるから。故に弱小を殲滅して、8の上位支族だけにすれば不連続世界となる」とアカルイオボカドリが故意に乗船に遅れるなど策略を巡らせた。贈り物が少ないとは弱小なので、ボコドリが期待する質と数をまとめきれなかった故の殺戮である。優勢、有力を生き残りの基準点にしたボロロの冷徹な知性が光ります。

写真は本著書から。3部族の間引き方法、左が洪水前の連続居住。右に間引き後の形態。ボロロ族は最下、無数の支族が8に集約されています。

 生と調理62頁、南米神話のノアの箱船とも読める

ボロロ、それに近隣の部族にしてもなぜ連続性を嫌うのか。上念司氏の米国加州での山火事解説を引用する(201810月、ラジオ放送聞き取り)。「先住民は小さな山火事を発生させて、大災害を防いでいた」焼き畑農耕を自然管理に利用していたと推測します。放置すれば発火しやすい灌木林を、焼き畑によって一部を灰野に化して、自然の林野に不連続域を生じさせ、全山の火災を防いでいた。もし人口が過密となれば、分断の焼け野が造れません、焼き畑を諦めるしかない。すると翌年は飢餓か山火事に見舞われる。連続の不具合を先住民は知っていた(プエブロ族)。ボロロ族と同じ知性です。

 

不具合は焼き畑の制約に限りません。

連続の不都合は食物摂取にもあらわれます。トカゲのつかみ食い、魚の生食の食べ過ぎ、これら発生がM1,2に語られています。M1,2,3はそれらを通して一つの神話とすべきで、これら3の流れ(sequences)と符号進行(codages)を読み取ることで、全体の骨格(armature)が浮かび上がります。

骨格の思想がscheme(スキーム)であるとは前々回にも語りました。M1,2,3のそれは自然natureに対立する文化cultureに他なりません。

 

漁労(毒流し漁)における文化と自然の対立を以下に分析している。

par consequent, le poison de peche peut etre define comme un CONTINU (大文字化は投稿子)maximum qui engendre un DISCONTINU(同) maximum, ou , si lon prefere, comme une union de la nature et de la culture qui determine leur disjonction, puisque lun releve de la quantite continue, l’autre de la quantite discrete">(同書285)

引用にあるpoison de peche はマトグロッソ、アマゾニアでの毒流し漁で使われる植物由来の毒。discreteは一義で「控えめ」に使われますが、ここでは2義の「分散」すなわち不連続をとります。

 訳:毒流し漁の毒は最大の連続と規定され、それは最大の不連続を生み出す(訳注:せき止めた流れに連続して、一網ならぬ「一流し打尽」の効果を毒が生む。全てを捕る(continu)後には一匹の魚すら残らない(discontinu、最大の不連続)。それ故、naturecultureとは分断されざるを得ない同盟であると運命づけられている。なぜなら一方(nature)が連続の量(大量)を排出すると、片方(culture)は不連続(慎ましやかな、取るに足らぬ)量しか獲得できないから。

注:285頁は表題「astronomie bien temperee宇宙の平均率」の章にあり、レヴィストロースはここで「毒流し漁」を詳細に語ります。その主点は植物由来の毒はそもそもnatureである。naturenature(魚)を漁すると最大連続、ひいては分断を生む(という神話の思考)を紹介する中で、nature/cultureと対比させ、さらにunion/disjonctionにも比定している。すなわちnature/cultureを介して、同盟union(alliance)の+-、連続conituの+-は同一であるとの「神話の思想」を取り上げた。毒流し漁の規制の文化的意味づけが正当化される。年に一回(乾期)、特定の場所(ワンド)、部族民総出、漁獲は分配。すなわち自然を使って自然を破壊するが、文化の規制を採り入れていると。

natureは放任放縦、やりたい放題、cultureは制限、分断とすれば理解が深まる。

 

congruenceについて;

union=continuの整合関係は本神話学で規定されている同一性の一種<congruence>です。

右のコラムを参照
....わかりにくい言葉<iso-forme>同形と逆の意味合いです。

 

基準神話に続いてM2,3を紹介した。この3神話は合わせ解釈すると「創造神話」としてのschemeが理解できる。原初の社会は秩序が無かった、反抗した少年は遺棄され死んだ。村に火を伴って村に戻った。自ら係累を殺してさらに洪水を引き起こし、村落全員を殺戮した。洪水ののち膨大した人口を支族単位にとりまとめた。あわせて支族間の交流の規範プロトコルをとりまとめ、文化の支配する部族社会を創造した。

聖書の創世記を思い起こさせるのは、小筆のみにではないだろう。

以下の数行は小筆の感想。

基準神話と同様のシーンが旧約聖書に読めます。ソドム(背徳=放縦の街)社会の「連続」が最大の破壊=disjonction=絶滅を招いた。洪水神話=ノアは動物を一番いだけに間引いた、不連続を強いる介入です。最もボロロ神話に近いのは「エデンの園」と思われる。放任、放縦、近親姦(アダムとイブ)破局(神との同盟の断絶)が謳われている。codageで分解すれば、両者の似かよりは親密です。congruenceにふさわしい。

無神論者のレヴィストロースは聖書との比較など一切、記載せず、淡々と次のテーマに取り組む。

生と調理 その2の了