夕日。日野から八王子方面を見る(2019年9月9日、台風15号一過の夕)
限界視野の低俗さを悟ってしまった夕には、書を開き気にいった語句を静かに、幾度か、朗しよう。
ナンマイダ~
レヴィストロースが夕日を見つめたメンドーサ丸。仏伯定期航路の貨客船Paquebot
写真クリックでPaquebotMedosaの勇姿(2019年5月30日)へ
猿知恵は人にそれに毛の3本だけ劣る、3本の絶対の本数の差は決して埋まらない
 部族民通信ホームページ8月31日投稿   開設元年6月10日 更新
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ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
      サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
   レヴィストロース自ら語る夕日考 人類学の投稿  2019年8月31日  
 
はじめに;
悲しき熱帯での一節「夕日考」については本年(2019)530日の当ホームページに投稿した。夕日を眺めるとは「農夫が一日の仕事を振り返る」生きる宿命みたいな重荷だとして、我本人は牧歌的に気分がさわやか大満足だった。すっかり勘違いだった。(夕日考の2019530日投稿
文末に頭の回転具合と思考、彼我の高低差の哀しみを語る。


 L’homme nu裸の男(レヴィストロース神話学第4巻、1970年発行)の最終章Finaleフィナーレに「悲しき熱帯の夕日考Le Coucher du Soleil」についての一節が載っている。雲の沸きたちと天啓、あまねくそれを悟り、綴った彼の背景。後の著作を通して思想としてとりまとめ、著作の紙面に展開した経緯。思い起こすままとつとつと回顧し、13年目の本音を開陳している。

 L’homme nu神話学4巻目は「生と調理」をもって1963年に「生と調理」から始まる一連の作品の最終巻で、レヴィストロース哲学(いわゆる構造主義)の集大成として、その作品群最重要に位置する。これ以降の著作は思索断片というか、(それまでに構造主義に対敵していた勢力、心理学や歴史学、実存主義連などへの)批評の志向が明確に強く、多くは短編である。思索活動の一つの意味において、本著作で終着点に達したレヴィストロースの、孤高なる精神を探るにこのFinale解読は必須となる。そこに初期作品の軽いエッセイ風の語り口(recit)一節を、著書名と章名を共に引用していたとは驚きだった。
(Finaleを含めたL'homme nuの紹介は準備中です、年内にもBlog,およびHPに投稿する)

後のキャリアにおいてレヴィストロースは「夕日考」で語った夕日の天啓を念頭に入れ、執筆し活動していたのだとの推定が生じた訳ですが、読み進めてそれが真逆と悟った。夕日が後々に表出した提題をすでに予告していたのだ。夕日に見た天啓の「解明」に取りかかるために「構造主義を基盤とする神話学」を創出する哲学必然を、船上デッキチェアーに寄りかかり悟ったのだ。

後の著述が夕日を語るのではなく、夕日が後々著作を預言した。

「裸の男」の終曲の、この回顧は思想人の、20世紀に卓越した思索者のあからさまな告白であると畏れ入った。

(小筆は彼の自身による構造主義哲学を解析しているのだがこのFinaleの幾つかの文節の解釈により、一片ながら、たどり着けた。「自ら語る構造主義、2019年8月投稿

 

夕日考について改めて語る。

「悲しき熱帯TristesTropiques1956年」第2部(feuilles de route旅の断片)の7coucher du soleil(落日が直訳)Ecrit en bateau(船上にて)と命題された書き流しの語り口風日記が本節である。この作品中でここのみがイタリック体となっている。午後の遅くからの一時をデッキで過ごす。船の周りが大西洋、波と空、水平線のみが目に飛び込む。大洋の風景とはうねりと波、雲の移ろい風のささやき、光と陰の移り変わり。雲の連なりが遠く水平に横たわる。夕べが迫る、太陽は午後のかげりに曇る。雲はふくらみ、高く登った。その頂が西日を受けて輝いて暗がりを帯びだしたの水平に浮かんだ。なおも脈動する旺盛さを誇らしげに、君臨する天の建造物(edifice)の巨大さを見せつける。海を睥睨しているも、闇に溶ける薄暗がりに大伽藍ははたとその消える。海は今、照明の消えた舞台。幕裏の暗がりに役目を終えた役者(portant)が居場所も失い、着飾りを垂らすままにたたずむ。

portantを「着飾りを垂らす役者」とは小筆の意図的誤訳である、沸きたつ雲を擬人化したかった。川田訳は(舞台装飾を支える)柱と正しく訳している。)

 

レヴィストロース自身の解釈を引用しよう;

(ce mythe supreme)….rejoint donc l’intuition qui, a mes debuts et comme je l’ai raconte dans Tristes Tropiques, me faisait chercher dans les pahses d’un coucher de soleil , guette depuis la mise en place d’un décor teleste qui se complique progressivement jusqu’a se defaire et s’abolir …>(L’homme nu 620)

訳:至高神話は(私の)直感に結びつき、著作活動の最初期の「悲しき熱帯夕日の状景」の文中で、それ(事柄のモデルle modele des faits)をして私に語らせるに及んだ。至高神話(なる主題)は天の舞台に潜み陽光ちりばむ装飾を一身に受け、身姿を変えながら消えていった
注)括弧内のce mythe supreme(この至高の神話)とはこの前の段で規定されている。「人間社会、その歴史のみならず(動物界、自然界など)森羅万象を含み、人が代表してそれ(森羅万象の)来し方行く末を語る神話」であると。

上引用「事柄のモデル」とはそれ自身が夕日に浮かびそして消えゆく雲の情景だが、船上で眺めていたその時に<le modele des faits que j’allais etudier plus tard et des problemes qu’il me faudrait resoudre sur la mythologie「この”事柄のモデル”は後々に取り組んだ課題で、神話学で解決すべく提題であるとわかった」とある。上2の引用で理解できるのは;

1      普通の神話は(個人の担い手)が語るけれど、至高神話を語るのは「人間社会」である。人間社会が声を出すワケがないから、それは語られない。すると無言の神話か。あるいは普通の神話の総合体の中に森羅万象「来し方」の主題が伝達する内容として籠められているのだろうか。

2      その主題夕日の移り変わり「事柄のモデル」を眺め取り、レヴィストロースが気づいた、雲の立ち上がりと、輝き影と旺盛さ、そして突然の消滅が移り変わりの様に「森羅万象」が暗喩されていると。すなわち夕日とは「事柄のモデル」であり、それはあらゆる物事、宇宙をも含む事柄の栄枯盛衰か。

3      至高な神話は「始まりから隆興、消え去り」の筋があって、それが夕日に託され天上に描かれていた、夕日に潜む至高さをレヴィストロースが感銘を受けたと理解できる。

この一文をして「後の著述が夕日を語るのではなく、夕日が彼の後々を予告した」根拠とする。 

1~3)の前提として;未開人も西欧文明人も同じ思考論理を持つ。未開人が「経験的なempirique言葉」を用い、神話を通して説明した「思考」と、文明人がデカルトに源を発する、抽象言語とこねくり回しの修辞法で語る「思考」は表層においても根底においても共鳴する。「至高な神話」とは未開文明を問わず人間社会が語り人類に共通である至高な思想を訴えている。

 

le modele des faits que j’allais étudier plus tard et qu’il me faudrait résoudre sur la mythologie : vaste complexe edifice, lui aussi irise de mille teintes , qui se deploie sous le regard de l’analyste, s’epanouit lentement et se referme pour s’abimer au loin comme s’il n’avait jamais existe.620頁)

訳;(事柄のモデルはのちに学び始めたのだが、私にとってそれは神話学により解決されるものであった=この文は前出)。続いて;複雑な大建造物で、解析者(レヴィストロースのこと)の目には(夕日と)同じく千の色彩に飾られ、緩やかに展開し、遠くで壊れあたかも実在していなかったかに完結してゆく。

立ち上る雲の闇に消える様を落日に見て物事の発生、興隆そして滅亡を彼が感じ取った。夕日の雲は成り上がり、隆盛、そして滅亡に至る宇宙の、人間界の換喩metonomieであった。

 

Cette image n’est-elle pas celle de l’humanite même et par dela l’humanite, de toutes les manifestation de la vie…このイメージは人社会のそれのみではない、人を超えてすべての生命の活動でありこの後生命、鳥、蝶々、貝、獣、花植物などを羅列が続く。

さらには人の命と成り立ち、繊細で磨かれた作品、すなわち言葉、社会の成り立ち、風習、芸術作品など(まさに森羅万象を)あげてそれらが<quand ils auront tire leurs derniers feux d’artifice, rien ne subsiste ?>最後の(人工の)火を消してしまったら、(この世には)何も残らないのか。

mon analyse fait donc ressortir le caractere mythique des objets : l’univers, la nature, l’homme, qui aulong de milliers , de millions n’auront rien fait d’autre qu’a la façon d’un vaste système mytholoqique , deployer les ressources de leur combinatoire avant de s’aneantir dans l’evidence de leur caducite.

訳;私の研究は対象とする物から「神話的性格」を引き出したと言えよう。対象とは宇宙であり、自然、そして人間である。それらは、目の前に見えている確実にやってくる衰退、その果てに絶滅してしまう前に、手の内のすべての表現を幾千年、幾百万年に渡り展開している。

 

神話的性格とは彼が集成した南北アメリカ大陸原住民の神話叢そのものと言える。レヴィストロースの神話学に立ち入ろう。

それらを分析し、主題別にまとめるに当たってcode符丁を用いた。人に振り当てられる符丁とは社会(social)婚姻(alliance)創造(universel)などを設定し、性格、思考、行動規範をステレオタイプ化した。例えばM1神話(bororo族)では近親姦、父子の相克、主人公の死と復活、火の創造が社会創造など符丁進展の様として伝えられるし、人をして神話的性格(罪を犯して横死する英雄、復活し創造する英雄)に結びつけるのである。符丁を重ねれば、断片として語られる神話が「神話的行動」にまとまり、伝播する様が解析できる。

自然、天空、獣類などもコード化して(連続=放縦な自然対不連続=規制を定める文化など神話に収斂させている。獣にしてもジャガー(人に火を教えた)野ブタ(食物の起源)など自然存在をアイコンに替え、神話叢の中での立ち位置を決めている。

これらが「神話的性格」であり、女を語るには反逆、不服従、非周期性(やりたい放題)を前面にだしている。(神話を喪失した)現代人的アイコンは身長体重、胸囲腰回りなどを肉付きに転換させ、性的外観を偏重する。それとは別の女世界を描いた。

 

小筆は夕日を定点定時刻で観察する夕日の相貌、そして変遷の状景が「とある農夫の労働の半日、12時間の過程」一日の生の反芻を描いていると解釈した。足を止め背を振り返る農夫が漏らした吐息は「生の辛さ、労働の苦しさ」に他ならないともした。落日を目にし、おののいて、その瞬間を一日の苦しみと敷延し汗を垂らした。「夕日は人生の裏鏡。生きる落胆をレヴィストロースがかく語った」とした(夕日考の2019530日投稿)。
しかるに著者本人は「森羅万象の来し方と行く末、宇宙の終わりを直感した」とある。

思索の眼差し、その広がりと奥行きの差が農夫と森羅、一日と何百万年。部族民、己の思考の牧歌さと暢気さ加減の源はきっと精神塩梅のbanalite(平凡さ)、頭の巡りのpauverete(貧困さ)にあったのだ!細身が震えました。

♪祇園精舎の鐘の音、諸行無常の~ゴ~ン♪

余談;アラカルトクリックにてレヴィストロースは何故「ミレーの晩鐘」を引用しなかったのかに疑念を漏らした。そんな宗教「牧歌的」な情景とは大きく離れた思索があったわけで、小筆の疑念自体が的はずれだった。恥ずかしいけど、そのまま残す。