夕日。日野から八王子を見た(2019年9月9日、台風15号一過の夕)


読書愛好氏のブログなど書籍紹介で「悲しき熱帯」は取り上げられる。それら書評に時折、
VII章への論評が及ぶ。この一節は読み流しにしては含蓄が深い。

真っ向姿勢の取り組み構えで紹介する。

蕃神

つたなきが本性の
部族民にあり文中、
勘違い、誤読、読み過ぎをお見つけになるかも知れぬ、
読者にはお許しを。





ある夕日、
東京2019年5月
悲しき熱帯
ポケット版、初版は1956年
  


夕べに漂う不安を

農夫の目差しが表す


不安が農夫の目差しを夕べに向ける



前者は
換喩
Metonyme

後者で
あれば
隠喩

Metaphore

いずれかにして

夕日は
不安






夕日に思う絵はミレー晩鐘
主題は
祈り、感謝
すなわち宗教である。
夕日と農夫と反省
レヴィストロースはしかし、
当作品についてなにも語らない。.
(なぜか?絵画クリックで
アラカルト)

メンドーサ丸
写真クリックで
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 酋長   悲しき熱帯 「夕日考 船上から」 
 
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レヴィストロース著作の悲しき熱帯
TristesTropiquesの紹介。第二部Feuilles de route(旅の紙片) VII章の「Le coucher du soleil落日によせ」を取り上げる。
文頭の副題には「ecrit en bateau船上にて綴る」とある。リオデジャネイロ大学社会学教授に赴任する旅の一駒、その時1935年の船旅です(レヴィストロースは若干26歳、教授就任の経緯は別投稿「悲しき熱帯を読む」をご参照)。

船の上は大西洋。

定期航路はマルセイユからリオデジャネイロまで。旅人は海原遠くを眺め、振り返る艫あとを忘れてひたすらに、船は前に進む。ここは大海原、泊り寄るエスカル港の艀一艘、足を踏む桟橋の一脚にして出遭う踏み降りる気ぜわしさがない。来る朝と過ぎる夕べが十日の余り、甲板から見つめた落日の、傾き具合と色の移り、その物憂げ様をしたためた一文です。
ポケット版で
67から74頁までは7の頁の語りは珠玉の300行。recitを伝える文のの口ならば、それは私で一人称に違いはないが主語のは文中に見えない。心の動きのみがイタリック体で綴られます。

過ぎゆく一日は思いと悩みの湧きたち、暮れゆく夕べが鎮め心、彷徨う落日は海に落ち、ゆだねる間際きらめきに身と心が動いた。一身の悔やみを船旅のデッキの揺れに重ね、託した一幕は、宇宙の摂理と夕暮れ思いの接点が何刻に触れあうかを教えています。
哲学者にして青年の視線が夕べと大洋をの一文にして語りあげる。

甲板の一角、デッキチェアーに座す己の目玉が定位置。

天空と海原、語り手の視点が交差する3次元の原点をそのチェアーに置いた。視野は広がる。近くに甲板、船員達せわしい動き、海原に目を遣れば海鳥渡りの群れ、風の吹き抜け雲のひらめき。視界には海と雲、空と太陽。

レヴィストロースは、

午後に座り、傾く太陽と夜に閉ざされる空を見続けた。日の動きの怠慢、傾きかけてまだ残る、ぬくい日差しはけだるさ西日。日の沈みこみが海の水平を犯し、海の黒みに潜り込み、天空が暗闇に溶けて星空に紛れて、穏やかさが海を覆う。

日一日の活動のやり足りなさを思い返し、夕べこそ今日の終点明日の基点と願いつつ、海上のレヴィストロースが農夫に己を写し夕日をかく、語った。

天文法則から夕日が論じられる;

Qu’un point quelconque de la terre se deplace par un mouvement indivisible entre la zone d’incidence des raiyons solaires et celle ou la lumiere lui echappe ou lui revient, cela se peut. Mais en realite, rien n’est plus different que le soir et le matin(67頁)
直訳;地球のどの地点も日が降り注ぐ地点とそれが差し込まず、そして差し戻る地点の間を、間断のない動きで移動する。それはあり得る話だ。夕日と朝日は何の違いもない。

文言は易しく解釈に頭をひねる文。

鍵は前文にある。ギリシャ人は朝と夕に同じ語を用いるとしている。彼らの世界観を探り、朝夕同一なる理由にたどり着こう。

その世界観を地動説と決めて(アリスタルコス紀元前3世紀の天文学者等が主唱)解釈すると; 地上のどの地点も日中の昼から夕方、夜そして朝に変わっていく。それは地球が回転しているからで、どの地点も間断なく動いている。故に、朝と夕に違いは無い。日の入り日の出とは地表が自転する結果なのだ。

これは正しい=cela se peut=なる素っ気ない句が天文の真理を説いている。こんなさらりとした文を冒頭において、ギリシャの世界観による乾燥した夕日論を紹介した。

しかし、

中世以降、西洋は朝日と夕日を厳格に分けている。ガリレオに屈した天動説であるけれど、天空が地の上を回転するとの世界観は中世の農夫も、日常の感覚としてならば近代人もそれを受け止めている。では朝日とは;

l’aurore ne prejudge pas. Elle engage l’action meteorologique et dit : il va pleuvoir , il va faire beau>(67頁)

訳;暁光は裏切らない。近々雨が降る、今日の天気は良いなど気象の動きを知らせる。続いて<l’aube ne leur fournit qu’une indication supplementaire du thermometre,du barometre, du vol des oiseaux...朝日は温度計、気圧計、鳥の飛び交いなどの気象情報の補完を与えるにすぎない。朝の太陽に人が期待するとは機能のみである。

朝日には感動はおろか昂揚、葛藤、なんの感興も心に起こさない。

夕べに人は思いこみを重ねる。落日の思いの丈が見つめる心に現れる;

Pour le coucher du soleil, c’est autre chose ; il s’agit d’une representation complete avec un debut, un milieu et une fin.夕日は朝日とは別モノである。ある一貫する過程を夕日が表す。始まり、半ばの見せ場そして終結である。

夕日が一貫した何かを現す、ここでは’une’ representation および’un’ debut....と単数不定冠詞が用いられるが、気に掛かる。なぜならune, unは「とある一つの」でしかない。

一の過程を夕日そのものが 語るのであるとすれば「la repre...avec son debut」と定冠詞および所有形容詞を用いる。不定冠詞un,uneを用いれば「目の前に繰り広げられる、この日の入りの過程」ではない事情を示している。

それは一体何か。文の連関だけでは分からないので、un,une不定冠詞の意味は「とある過程」の始まり見せ場と終わりとしておこう。夕日は「とある過程」をなぞっているのだ、夕日には意味がない、夕日が現す「とある」何かに意味があるのだ。をUne,unで掴んでおこう。

et ce spectacle offre une sorte d’image en reduction des combats, des triomphes et des defaites qui se sont succede pendant douze heures de facon palpable, mais aussi plus ralentie. L’aube n’est que le debut du jour ; le crepuscule est une reputation.(67) 

 訳;この状景(夕日)は明瞭な、あるいは緩慢な12時間に渡った闘争、勝利、ないしは敗北の映像である。朝日は一日の始まりでしかないけれど夕闇は、一日の繰り返しである。

 

次の文でレヴィストロースは日の入りの一行程が表すのは12時間の闘争であると教える。

「とある過程....」とは12時間であるからに、朝から夕べまでの一日であろう。一日の活動の連なりは闘争である。生きる戦の思い出しの様が西の空に再現されているのだ。

朝日はただ気象を報せ、一日の活動を日の沈み込みに夕日が再現する。

日中活動とは闘争に他ならない、勝利か敗北か、明日に続く熾烈さか。一日の仕事の手際を思い返した人の悔やみを消え入る日が嘲るのか。朝に人は「期待と不安」を抱き、「悔いと嘆き」を夕べに噛みしめる。
不定冠詞
を用いたレヴィストロース修辞はここにある。

人は夕日をどの様に見つめるか。中世の農民を例にあげる;

le paysan suspend sa march au long du sentier, le pecheur retient sa barque et le sauvage cligne d’oeil, assis pres du feu palissant. Se souvenir est une grande volupte pour l’homme, mais non dans la mesure ou la memoire se montre litterale, car peu accepteraient de vivre a nouveau les fatigues et les souffrances qu’ils aiment pourtant a se rememorer.(68)

訳;帰り道、農夫は足を止める。漁師は舟をもやいに止める。消えゆく薪の熾りに身を寄せる原住民が目をしばたく。思い返しは人の特権、それは享楽とはいえ、順を追って思いだす記憶が幸運である場合でしかない。疲労と苦しみを思い起こしたところで、苦しみを新たにして生きようとする者はいない。

上文の解釈とは、

見つめる日は毎夕同じ地平に沈む。過ぎゆく夕日を見つめる農夫には、今日の働きを噛みしめても辛さが苦しい。赤い夕日は明日の糧にならない。

民百姓が夕暮れを見つめる様態は;

1      定時(暗がり)

2      定点(帰り道)

3      定反応(悔やみ、希に喜びが)

と理解できる。

デッキからも定点観測に徹する、以下に語られる。

Vers 16 heures – precisement a ce moment du jour ou le soleil a mi-course perd deja sa nettete, mais pas encore son eclat, ou tout se brille dans une epaisse lumiere dore qui semble accumulee a dessein pour masquer un preparatif.>(68)

訳;午後の4時にさしかかる、正しくこの時から、道のり途上の太陽から輪郭の鋭さが失われる。しかし陽光が消え入るまでではない。金色の厚い層に太陽全体が輝いている。あたかも次の位相に移るための用意に怠りがないかのようだ。

(とある始まりun debut

見つめる日差しの入射角が突然、狂った。不安に駆られるレヴィストロース。

le Mendosa avait change de route.....メンドーサ丸(乗り込むpaquebot外洋船)が方向を変えていたのだ。これでは定点観測が不可能に陥る。La coube decrite etait si peu sensible....僅かな曲がりだった。レヴィストロースは安心を取り戻した。

とある始まりun debutは続く;

A 17h40, le ciel du cote de l’ouest, semblait emcombre par un edifice complexe, parfaitement horizontal en dessous, a l’image de la mer dont on l’eut cru decolle par un incomprehensible exhaussement au dessus de l’horizon, ou encore par l’interposition entre eux d’une epaisse et invisible plaque de cristal. A son sommet s’accrochaient et se suspendaient vers le zenits, ...69頁)

訳;午後540分、西の空は水平線から平たいながら複雑な形状の伽藍が立ち上がり、それに水平が塞がれているかに見える。それは凪の海面をかぶるように、理解できないなにやらの隆起があると思える。あるいは水平線と伽藍の間に、目には見えない水晶板でも介在しているかに錯覚する。その空が伽藍ごと天頂に伸びていく....

不気味ななにやらが西に広がった。夕日を背景に立ち上がる雲を伽藍と形容し、立ち上がりの急激を見るにそれは理解不能なとした。それほどに壮大、不気味と感じられた。

帰り道を急ぐ農夫の足を止めた中世の黒雲です。

文体について;伽藍、水晶など比喩を多く用いる。修辞法の一つ換喩metonymeと小筆は理解する。簡素な物で複雑な考え方、思想を言う。ここでは伽藍との物をとおしてなにやらのおどろおどろしい複雑系、思想を表すと見るが、ではそれはいったい何か。

 

描写はより精緻に;

Quand on tournait le dos au soleil et qu’on regardait vers l’est, on appercevait enfin doux groupes superposes de nuages, etires dans le sens de la longueur et detaches comme a contrejour par l’incidence des rayons solaires sur un arriere plan de rompart.....

訳;太陽に背を向け東に視線を移す。2の雲塊を認める。互いに重なり、のび合い、引き裂かれ、日の差し込みから外れた逆光の城壁の裏側の構造のごとく....

Il y a deux phrases dans un coucher du soleil. Au debut, l’astre est architecte. Ensuite seulement, il se transforme en peintre. Des qu’il s’efface derriere l’horizon, la lumiere faiblit et fait apparaitre des plans a chaque instant plus complexe. La pleine lumiere est ennemie de la perspective mais, entre le jour et la nuit, il y place pour une architecture aussi fantaisiste que temporaire. Avec l’obscurite, tout s’aplatit de nouveau comme un jouet japonait meveilleusement colore.

訳;落日は2幕の舞台。一幕目の主役太陽は建築家である。2幕目に彼は絵描きに変身する。地平線に沈むと陽光は陰り、作品となる絵は、刻を追うごと描写が詳細に浮き出る。日差しが強いと遠近感が掴めないとは言う物だ、昼と夜の間の薄暗がりにつかの間の、幻想的建築物が現れる。綺麗に彩りされている日本のあのおもちゃのように、全ての色合いが暗いなかで平準化されていく。

 

そして見せ場(とある半ばun milieu)圧巻の始まり、

A 17h45 precises s’ebaucha la premiere phrase. Le soleil etait dejas bas,sans toucher encore l’horison. Au moment ou il sortit par desous l’edifice nuageux, il parutcrever comme un jaune d’oeuf et barbouiller de lumiere ler formes auxquelles il etait encore accroche.  Cet epanchement de la clarte fit vite place a une retraite ; les alentours devinrent mats et , dans ce vide maintenant a distance la limite superieure de l’ocean et celle, inferieure, des nuages on put voir une cordillere de vapeurs, tout a l’heure encore ebouissante et indicernable, maintenant aigue et sombre.71頁)

訳:午後545分きっかり、(2幕の)第1場の始まり。太陽は、水平線に接するまでではないが、沈むまでに低くなっている。雲の伽藍の真下に降りたとたん、放つ光の放縦にその身が伸びて縮んで、あたかも卵の黄身が崩れるかながらも太陽は、ゆだねる光の芯の中にその形状を残していた。横溢する輝きがたちどころ、減衰を始めた。周囲はつや消しに灰色がかり、雲と海面の間の空白に、蒸気もかげる山の連なりが認められた。それらは今し方まで茫洋としていたが、いまやその輪郭は鋭く黒くに認められる。

 

見せ場の出だしで建築家太陽は伽藍を建造し、変身した画家が薄暗がりに乗じ、装飾を施した。夕日が一大事業を仕上げた。

 

そして終盤une fin.

Dans le ciel de l’ouest, de petites striures d’or horizontales scintillerent encore un instant , mais vers le nord il faisait presque nuit.訳;西の空、水平の上を黄金色の光状が

微かに煌めく、それも一瞬で北の空はもう夜だった。

une finには静けさ、安堵が感じ取れます。これから描写の文調が変わる。

Rien n’est plus mysterieux que l’ensemble de procedes toujours identiques , mais imprevisibles. par lesquels la nuit succede au jour>73頁)訳;幾つかの行程のひとまとまりが昼を夜へと転換するのだが、それら行程の一つ一つは常に同じであるが、どんな順で出現してくるかは読めない。これほど不思議な過程は他にない。

(ここでの換喩は状景の「不規則」、でも一体それが何を表すのか)

 

この文を受け止める形の最終の段(74頁)では

Par un passage habituel, mais comme toujours imperceptibels et instanntane, le soir fit place a la nuit.訳は上の引用と同じなので略。続いて

s’eparpillaient les derniers nuages mis en ouevre par la fin du jour. Tres vite, ce ne furent plus que des ombres efflanques et moldives, comme les portants d’un decor dont, apres le spectacle et sur une scene privee de lumiere, on apercoit soudain la pauvrete, la fragilite et le caractere provisoire....

訳;最後の雲が闇に消え、昼は夜にかわる。そこではやせこけ陰気な影のみがうごめく。あたかも衣装を身につけたまま光の消えた、はねた舞台に立つ役者のようだ。そして突然、人は彼ら(用無しの役者)の貧しさ、脆弱そして仮に生きる様に気づく。

描写はmetaphore暗喩に変わる。用無し役者とはそこに立っているはずの雲の伽藍です。落日の一大事業は人に不安を与え悔悟の念を覚えさせた伽藍の建造と装飾。それも夜の暗闇に取り残され、照明消えた舞台の役者となった。

(訳注:portants d’un décorは飾りを下げた舞台上の柱を意味する。この訳(役者)では誤訳かも知れないが、人格をもたせたいから「衣装を付けた役者」とした。突然照明が絶たれ、居場所を失った舞台役者を意味にしたつもりです)

最終行で大洋をすっかり夜に変えている。

Autanttout a l’heure, ils vivaient et transformaient a chaque seconde, autant ils semblent a present figes dans une forme immuable et doulouse,au milieu du ciel dont l’obscurite croissante les confondra beintot avec lui.(74)

訳;先ほどまでそれら(はねた舞台の役者、雲の伽藍、水晶の帯など)はうごめき、変身していたのだが、今となって動きもとれず苦しく固まり、夜空の暗がりに混じり込み、無力となるだろう。

感想:度々出てきた物体、edifice(伽藍)、水晶、卵黄身、日本のおもちゃ、はねた舞台などを換喩metonymeとした。それら換喩が指す先が何かを決めるには、落日の全体が何を暗示するかを突き詰めるに行き着く。

定点定時刻で観察する夕日はめまぐるしく相貌を変える。その変遷ぶりは「とある12時間の過程」で一日の生を描いていると解釈するなら、足を止めた農夫が漏らした吐息は、生の辛さ、労働の苦しさに他ならない。振り返り落日を目にした驚きを、過ぎゆく一日に敷延している。夕日は人生の裏鏡です。生きる落胆、レヴィストロースがかく語った。(了)