部族民通信アラカルト
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晩鐘 ミレー1857


夕日と農民で思い起こす絵画は「晩鐘」(1857年、ミレー)であろう。耶蘇は朝昼夕に鐘を叩き黙祷と祈りを強要する(アンジェラスの鐘と聞く)。するとこの名作にうかがえる精神は「一日の感謝の祈り」でしょうか。一方、無神論者のレヴィストロースは落日を見つめる農夫の目差しに、生きる不安が漂うとしている。薄暗がりに一日を、生きた苦しみと思い返して夕日とそれを共有する。その刹那に不安を農夫が感じる。

「悲しき熱帯」夕日考の主張です。

晩鐘が表現する趣とレヴィストロースの主題は異なる。
帰依と信仰の宗教に対して思索と理性。心のよりどころを何に抱くかの差異が上記の差に繋がるであろう。ゆえにレヴィストロースはこの名作には一言も言及していない。


加筆:レヴィストロースは「裸の男」(神話学第4部、最終)で夕日を見ながら森羅万象の宇宙的興隆と衰退、消滅を感じ取ったと述懐している。

故に本アラカルトの主題である;

ミレーの絵に論を及ばさなかったレヴィストロースの心情、

ここにあたらな解釈を導入せねばならない。

すなわち一日周期の「反省と悔やみ」ではなく、サイクルは宇宙の来し方興隆と、行く末の衰退となる。周期はなんと300億年くらいである。この年数にしても、サイクルであるなら幾度も繰り返しているのかなど、誰も知らないであろう。
しかし一日とはずいぶんのかけ離れだ。
思弁の雄大さ、汎宇宙の広がりなど、小筆の解釈とは全くの勘違いだった。恥ずかしながらもそのままに残す。

部族民の解釈を全く否定する自ら語る夕日考、クリックで飛ぶ。2ヶ月遅れの(2019年8月30日に書き直しを投稿した。

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