部族民通信アラカルト
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桜井哲夫「世界戦争の世紀、20世紀知識人群像
(2019年7月平凡社発行)を紹介する、力作です。
ともかく面白い。
第一次大戦の勃発(1914年)から始めてパリ解放(1945年)の40年余のヨーロッパ、主としてフランス知識人の行動を、その場その時間に透明人間と変態して観察するかのごとく、経時経日、経年で描いている。登場人物はオーストリア大公暗殺者プリンツイップから取り上げ、ロマンロラン、トーマスマン、トロッキー、ケインズ、サルトル、ボーボワール、メルロポンティ等々。ケインズは二次大戦の終結(ブレトンウッズ体制)で活躍のみかと思っていたが、一次の終結にも参画していた。小筆関心のレヴィストロースについては20歳代前半の本人が明らかにしていない政治活動にも筆が及んでいた。


市立図書館で見つけ805頁を一気に読了した。久しぶりに(購入ではないが)手に取る、面白くかつ読むに易しい本である。あまり取り上げられないが20世紀歴史での重要な逸話ヴァリアンフライ、セントルイス号事件(クリック)について、もしっかり載っている。先立つモノ(英世の7枚)を速やかに用意し購入する。

知識人の「行動」の記録である。
ボーボワールは「医者に診断書をもらって授業(リセ、フェヌロン校)を(ズル=筆者注)休みして、アルザスの部隊に応召しているサルトルに逢に行った」とある。交戦状態にありながら、ある村の宿に兵士の名でダブルベッドの予約を入れ兵営を抜け出したサルトルが、ボーボワールとの1週間の逢い引きを重ねていた。こんな事実があったとは。筆者も驚いているが「(サルトルは)戦闘は始まらない、殺戮行為のない現代的な戦争になるだろう」とボーボワールに語ったとある。
宣戦布告から半年の間フランス軍はベルギー国境で(ドイツ軍が怖いから)進軍もせず、戦術(戦車の運用、予備役兵の配置)も固めずひたすら待機するのみだった。市民はこれを「奇妙な戦争drole de guerre」と蔑んでいた。(droleには「笑わせる」的な侮蔑の意味が含まれる。ナンチャッテ戦争がくだけた訳となろう、筆者の解釈です)

サルトルのこの言動を知るのみで仏軍上層部にして、さらに前線の兵士達も「何となく終わるのだろうよ」弛みきった内部事情が分かる。

小筆は「映画・人間の条件、五味川純平原作」を思い返した。夫梶(仲代達也クッリク、用心棒の写真)に会うべく妻美千子(新珠三千代)は北満国境チチハルの関東軍兵舎を訪れる。兵卒達のうらやみと冷やかしを全身に浴びせられても、二人だけ一夜一露を過ごしたかった。上官の判断で厩の脇、藁の褥で二人は最後の交歓を結んだ。翌早朝から、愛妻を置いて梶は壮絶な銃剣訓練に出る。この時期に関東軍はソ連との交戦は予測されていた。極限に置かれる意識の彼我の差はなへんにこれほどデカイのか。
 
レヴィストロースに関してはベルギー共産党の細胞と連絡を取り、社会党議員の秘書をしていたとある。著書「悲しき熱帯」ではアグレガシオン(教授資格)取得の後、26歳からの話で、この時期20歳代前半の行動は一切触れていない。それ故、貴重な記録であり興味深く読めた。後の「野生の思考」9章(サルトル批判)では「ヘーゲルマルクス的歴史弁証法=共産主義の教条」を完全否定している。社会主義と共産主義を分ける唯一点がこの「歴史必然の弁証法」を認めるか否かにあるので、その分岐を理解した上での政治参加であったのだろう。

経緯がよくは分からないが「事実」とされ、わだかまりが残るけれどその事実を受け入れていた事例。この本でそれらの幾つかの経緯が露呈した。例としてサルトルとメルロポンティの決別である。多く書籍で「共産主義に対しての評価の差」には接するが、ポールニザンが絡んでいたとは知らなかった。独ソ不可侵条約(1938年)を批判してニザン(共産党系新聞の編集長)は離党した。コミンテルンはニザンを「裏切り者、警察の犬」と攻撃して、フランス知識人の多くが共産党の罵りを倣った。戦後にニザン遺児がコミュニケを発表し(1947年)、共産党に対して名誉回復を求めた。メルロポンティ、ボーボワール、モーリアックなどがこれに署名、サルトルも同意の論陣を一時期張った。しかし結局、ソ連共産党、コミンテルン側の意向「ニザンはスパイ」をサルトルが受け入れた。この決断を批判するメルロポンティをサルトルは強く批判した(ようだ)。ポンティからの反論の手紙を読むと「君(サルトル)は僕が君でないと批判しているのだ」(743頁)とある。他者を貶める性向をとるサルトル、その悲しみがこの手紙に集約される。なお行動は思考の裏返しであれば、サルトルは共産主義へ傾倒していたワケで、それはCritique de la reaison dialectique弁証法的理性批判に集約されている(はず)。その辺りの注釈は読めなかった。

畢竟、本書はフランス「知識人」の心理、苦しみが主題である。苦しみとは相克、論争、結婚離婚と姦通に愛憎。(フランス人得意の)多夫と多妻。心理とはごまかしおべっか裏切りと殺害の教唆。ゴシップ、スキャンダル、裏話。一言で述ぶれば足の引っ張り合い。まさに「週刊実話」表紙の書きまとめが本書である。潔くも一語一行も、「思想」への言及はない。時空を超えた記者の(元)教授と伝えるべきか。

レイモンアロンと食事をしたサルトルは彼から「君が現象学者ならこのカクテルコップについて語れるのだ。それが今の哲学なのだ」と指摘を受け、早速フッサール現象学の攻略本を買い込んだ。現象学が実存主義に与えた影響についての一行一句が、しかし本著では記述されない。
サルトル、メルロポンティ、レヴィストロースと役者を揃えているのであれば50年代の一大事件、野生の思考9章「歴史と弁証法」について解説を述べてほしかった。これにも一切、言及がない。

アカデミーに属する方(東京経済大学で長らく教鞭をとっていたと聞く)には、9章の、ボーボワール(論争ではサルトル代弁者)もサルトルすらも沈黙さしめた、レヴィストロース一流の修辞術の策術絡め文体の解釈はできないと思う。文意へのとりつきと嚥下解釈に不確実性(ambiguite)を必ず産む(分からない)から、自身に哲学を持たなければレヴィストロースの確実性にはたどり着けない。ゴシップのみを追う研究者には理解しようともその果て解釈に置き場をもてないのだろう。

これだけの分量を書いたと感心する、著者はものすごくまじめに取り組んだのだ。偉大作品である。

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