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文化、自然 連続、断絶

natureを小筆は当初、「自然、天然」と反射的に捉えました。自然の語感から調和、美しいなど前向きな状景を思い浮かべます。cultureは文化と解釈します。こちらも語感は前向きです。これでは解釈する際に前後文章との整合が至らない、この「自然、天然」の意味づけが間違いと思い直しnatureを辞書で開くと;

一義は大自然の自然、二義に
caracteres innes生まれついた性状、次にce qui est inne, oppose a ce qui est aquit 生まれつきのもの、獲得したものとの対比(=petit robert)とあります。用法に<cest de sa nature>彼の本来の性向だよ(悪い性格ではないが、余計な不必要な性格、例えば潔癖すぎるとか。それを批判する用法)。白水社の大辞典では「奔放」の意をも加えています。そこで本書でのnatureとは「手つかず、ほったらかし」が正しいとする。これはすなわち規制、順列を受けないただの連続を意味します。

cultureとは;robertを開いても農耕、知識、教養などしか出てこない。頼みの白水大辞典も同様。そこで投稿子は勝手解釈で奔放の正反の「人手の加わった状態、介入」と理解するとします。農耕とは人手を加える、耕すが原義なので的はずれでもない。nature cultureの対峙とは、放りっぱなし(連続)に対するお節介、介入(断絶)が真意となります。(2019年6月30日)

加筆(2019年9月15日):
「蜜から灰へ」にある「蜜狂いの娘」はキツツキに嫁入りした。夫の蜜採取に同行し、夫が広げた木穴にたっぷりの蜜を見つけて、断りもせず手を突っ込んで舐め尽くした。罰は「死」。(M225Kuraho族、同書102頁)
レヴィストロースは蜜をなめただけで妻を殺すとは不可解としますが、これは彼の問いかけ。読者が答えを考えて欲しいとの誘いです。

小筆(部族民)の解釈は、夫キツツキは食欲と行動の間に「婿としての賦役義務、蜂蜜を嫁の贈り手に与える」を入れた、これが文化です。その場で舐めない。しかし蜜狂いの妻は「食欲と食う行動」の間が連続している。蜜を見たらすぐ舐める、自然女房なのだ。
夫の責務の「賦役」を妨害した。単なる大食らいなら、許されるかも知れない。しかし採取中の蜜を舐めるのは文化の否定だ。厳罰に値しようぞ。そこで夫はその場でエイヤ!殺した。

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