部族民通信アラカルト
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10の特異点、なぜ中野は11連勝に挑まなかったのか
 2019年10月15日投稿

自転車競技スプリント。
選手二人が円錐状に凹んだアリーナを5周して勝敗を決める。脚力に自信があってスタートから前にたって全力で回周し続けたとしたら。速く走るほど選手は風圧を受ける。後ろについて風圧を避けていた敵手に最後のスパートでうっちゃられてしまう。4周目までは力を温存、敵手の後ろで漕ぐのが作戦となるが、相手も同じ戦術なので駆け引きがでてくる。この駆け引きに加え自転車の性能が絡むが、決め手は体力、脚力、そして勝負のカンとなる。(ゴール手前の小競り合いが大競り合いに発展するから、腕力だって必要だ)

世界自転車競技会スプリント(プロスクラッチ)10連勝(1977~86年)中野浩一。
人の体力勝負の競技において世界大会で10連勝した例を他に知らない。

これに近い戦績は同じく自転車競技ツールドフランス7連勝のランス・アームストロング(米)を挙げたい。しかし彼はドーピング疑惑を釈明しなかった事で、7連勝を含め自転車競技すべての戦績が消去された。陸上短距離で断トツの成績を残したウサインボルト選手。一競技大会で100メートル以外に出場しているから、獲得している金メダルあるいは1位の数は10を越えているだろう。連続した一位の記録(世界陸上、オリンピック)では2008年から7回である。



写真:スプリント決勝に挑む中野浩一選手(右)(ネットから採取)。

ヨーロッパには中野選手の走り様を目の前にして、スプリント競技を断念した選手が多いと聞く。ナカノが出てこない長距離に目標を変え、才能ある選手がスプリントから抜けて、長距離競技に集まりツールドフランスが栄えたく(ウルリッヒ選手など)。スプリント、十連勝を決めた最終の競技で決勝に残ったのは中野選手ともう一人の日本人選手となった。翌年に11連勝、さらには12連勝の体力が彼に残っていた。しかし10で止めた。なぜだ!

10はもう一つの10を求める。中野選手に求められていたのは11勝でも12勝でもない、もう一つの10連勝である。これは難しかったであろう、それ故に10で止めた。今にして、文明世界でも10の特異点、魔力は残っている。了

レヴィストロース「食事作法の起源」を読む(続き) 「数え方の思想」投稿に寄せて起草。

なお;
ステートアマと呼ばれたソ連、東ドイツに強豪選手がひしめいていた時期と重なる。彼らはアマチュアなのでプロスクラッチに参加出来ない。もし出場していたなら中野10連勝はなかったとの憶測がある。おそらく正しい。しかし当時のソ連東欧圏の陸上などでの強さは「ドーピング」によると今は判明している。