部族民通信アラカルト
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なぜ女狩人はいないか

女狩人は存在しない。アジアはおろかアフリカにもアメリカにも女狩人は存在しない。なぜか?昔からの民族学者を悩ませていた疑問に部族民通信が答える。

物理、理念、摂理の三欠損で女は猟師になれない。

1物理。女はひ弱だから狩りに向かない。これはやはり正しい。
獲物を狩るとは。皮を剥ぎ、血を抜いて腸抜き四肢を分解しもっこに担ぐ。頭から足先が血と脂にまみれても、疲れ果てても村に持ち帰る.。これは男の仕事だろう。「月々に流れる血に穢れる身だからからこそ、獣血のさらなる汚れを女が受けてはならぬ」とご先祖様が言ったかも知れない。

2理念。
狩りは特権である。その権利とは狩りとって分配する権利である。一子相続、長子に譲られる。娘には絶対に渡されない。。獲物を分配するは男の采配である。肉をハミたければ特権を持つ男に女は身をあずける。ボロロ族に限らず新世界の先住民の女は「肉」を喰いたいがために色恋抜きの食欲一本道の直滑降で、男狩人に身をまかした(神話での話)。社会安定維持の機能でもある。


3摂理。
狩りは自然界への人の干渉である。獣を殺すは自然への挑戦でしかない。自然は狩人に反撃する。分別ない狩猟には懲罰がくだされる。生き死にの臨界点に追いつめられる因果業こそ狩りだ。再生産を担う女(子を産む)を修羅場に押し出す必然はない。(狩りすぎと夜の狩りが自然に反撃されるエピソードは「生と調理」に。自然と契約していないジャガーなど大型獣を狩りたてるプロトコルは悲しき熱帯に記述されている(死者が出ると自然から許される)。

3-2-1の順で理由が濃厚である。

「生と調理」に出てくる神話M13(Guaranimya族、83頁)を例とする;

「チャリアは女鬼、狩りに出て鼻クマをしとめた後、木に登った太陽神をめざとく発見、矢を放った。命中、太陽神は落木して屎を垂れた(毒矢で仕留められた猿の症状)。痙攣死体の太陽神を取り込み、屎を葉っぱにくるみ籠に詰めた(偉い人の屎は呪いの材料)。帰り際に川に足を止めて漁を試み籠を岸に置いた。実は、木から転げたのも屎をひねり出したも太陽神の演技だった。仕留められてなどないから石ころ一つを詰めて逃げ出した。ついでに鼻グマも蘇生させて籠から逃した。巣穴に帰って子らにチャリアは


図 鼻グマ本書から

「今日は獲物が多いぞ、鼻グマにニアカンラチチャン(太陽神の本名)」ワーイ、籠に取り巻き子らが中身を引っ張り出した。
「カーちゃん、石ころと屎しかない」
「アレーッ、騙された」女鬼チャリアの悲しみ悔しさ、腹ぺらしの子供はましてがっかり。

堅苦しい文の列にさらりお笑い譚を挟むはレヴィストロースの「茶目っ気」。チャリアは女鬼だから女の猟師。これに小筆は違和を覚えた。先住民でも文明人でもどこでも彼処でも、猟にたずさわるは男。狩りをする権利、獲物の分配は男の特権となるを知るから「女猟師」は存在しないはずと。鬼の世界なら女猟師はあるのかとも。


青木繁「海の幸」(国の重要文化財)
繁が描いた狩人は海を狩る漁師である。この列に女はいない。海の狩るとは自然への窃盗である。報復を必ず受ける。そんな修羅場に再生産を担う女を置かせない。実はこの漁師の列には一人だけ女らしき顔が見えている。上図は縮小で見えにくいが、白い丸顔が認められる。繁の許嫁であった福田たねとされる。


レヴィストロースにしてこの辺りに気がひっかかる処があったのだろう、次の冊
L'origine des Manieres de Table)でチャリアは女鬼(ogresse)ではない、鬼(ogre男の鬼)であるとワザワザ訂正を入れている(食事作法の起源、135頁 Les eclipses du soleil remontent aux luttes de l'aine des dimiurges avec l'OGRE CHARIA 日食は俗神の最長老と悪魔Charia(男性形)の戦いに起こる)。 (2019年5月30日

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